【ぼくらの地元#3】ちゃんと暮らしたから、街を好きになれた〜伊佐知美と横浜〜
こんばんは!小松崎さんアシスタントのきくちです。
「居場所って思える場所がほしい」
「地元って呼べる場所があるってうらやましい」
長らく「地元」の不在を感じてきた私が、「地元」のつくり方を教えてもらうためにはじめた【ぼくらの地元】。今回は灯台もと暮らし創刊編集長・伊佐知美さんの物語です。
首都圏で生まれ育ち、「地元」と思える場所がないと感じていた私。「地元」がほしい。そう思いながら生きてきた東京で、初めて愛着を持つことができる街と出会いました。
【ぼくらの地元#1】地元がほしかったあの頃〜菊池百合子と北参道〜
【ぼくらの地元#2】差し伸べられた手を、にぎり返せるか〜菊池百合子と北参道〜
この街のおかげで気づいたのが、「居場所って、つくれるのかもしれない」ということ。居場所がほしいと思っているだけじゃ、なにも始まらない。でも自分から一歩踏み出せたら、見える世界が変わってくる。
そう思って周りを見渡してみると、故郷から東京に出てきたたくさんのひとたちも、東京で「地元」のような居場所をつくっているんじゃないか、と思えてきたのです。
地元と思える存在って、どうすれば出会っていけるんだろう?どうやって居場所をつくっているんだろう?そんな「地元」のつくり方をもとくら編集部に聞いていきます。
取材させてください、とお願いしたら、「正直、地元っていう感覚があんまりないままに生きているから…」と言っていた知美さん。
家がないまま世界一周の旅を続けていた彼女は、どこかの土地に住んでいるイメージより、いつもあちこちをかろやかに旅しつづけているイメージ。ちょうど先日も、2回目の世界一周に旅立ったばかりです。
知美さんの街の物語は、首都圏に住み続けている私とはぜんぜん違うのかな。そう思いながら、家や地元、愛着のある街のお話を聞いてみました。知美さんにとっての地元って、どうやってつくっていきましたか?って。
今回は、知美さんの各地を転々した幼少期、そして今でも大好きな街・横浜での時間をお届けします。
仲良くなっても、いなくなっちゃうんでしょ
菊池 小さい頃に長く過ごした場所はありますか?
伊佐 両親が転勤族だったので、どこかで長く過ごしたというよりも、幼少期をいろんな場所で過ごしてきました。
母の実家がある新潟で生まれて、札幌に行って、幼稚園で東京へ。次は中国の上海に引っ越して、新潟に戻って長岡市で過ごして、実家のある見附市に戻って。3年や4年のスパンで住む場所が変わり続けていたんです。
生まれは新潟だし、親戚も新潟にいるので、地元を聞かれたら新潟って答えますね。でも正直、そこまで長い時間を過ごしていないので、「ここが地元!」って胸を張って言える感覚があんまりなくて。
菊池 私は小学生のときに一度引っ越しをしていて、すごく淋しかったのを覚えているのですが、小さい頃の知美さんは引っ越すときに淋しさを感じていましたか?
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