仕事をしてて嬉しいのは、誰かの背中を押せたとき【伊佐知美インタビュー3/5】
Waseiコーポレートサイトに掲載されているの社員インタビューの全容を、第2回に引き続き公開しています。話し手は編集長の伊佐さん。聞き手は、コーポレートサイトを作ってくださった株式会社Lucky Brothers & co.の下津曲 浩(シモツ)さんです。
Waseiメンバーとの出会い
しもつ それでも伊佐さんは講談社をやめて、今は「灯台もと暮らし」で編集長をやっているんですもんね。そこまでのお話を聞かせてほしいです。まず、講談社で働きながらフリーのライターとしてMATCHAでも働いていた、で合っていますか?
伊佐 うん、鳥井さんが編集長で、コマツさん(タクロコマ)と立花さんが編集者で、わたしはライターをしていたんです。MATCHAの中にも今のもとくらみたいにやってるチームがあって、ライターがいっぱい下に紐付いてたんです。あるとき、季節ごとにバレンタインならバレンタインの内容とか、クリスマスならまたクリスマス、とかの記事を書くライターがほしいっていう話になって。そのときに引き抜こうってなった候補のひとりがたぶん私でした。立花さんが私の編集者で、鳥井さんが編集長としてその上で見ているわけですよ。で、「伊佐さんと飲み会でもやったほうが早いんじゃない」という話になって、初めて鳥井さん、立花さん、コマツさん、私で、渋谷で飲んだのが、最初に4人で話したとき。
しもつ タクロコマさんとはどういう関わり方をしていたんですか?
伊佐 コマツさんと関わり出したのは結構後半で、私が取材で行きたい場所にコマツさんがカメラマンとして来てくれる、みたいな感じでしたね。
しもつ そこからそのメンバーとWaseiで、伊佐さんはもとくらの編集長になられるんですもんね。編集長になるにあたって、不安はなかったんですか?
伊佐 正直言えば「編集長」は不安だったというのはあります(笑)。最初冗談だと思っていましたもん。「伊佐さん年上だし」みたいな感じだと思っていたけど、わりと真面目な依頼だったみたいで。
それと先にもお話した通り、私自身は鳥井さんがWaseiを立ち上げるタイミングで、旅に出ようかと思っていた時期だったし、いろいろ迷ってもいました。でも、みんなで合宿をした後に鳥井さんからメッセージをもらったんです。「伊佐さんの夢はずっと出会ったときから知っているけど、これから会社をやるのには伊佐さんの力が必要なので、僕に1年くれませんか」って。
しもつ いい話ですね。
伊佐 それで、私も決めたのは大きいです。最後の、「1年なら」が大きかったかなぁ(笑)。それがあったので2016年の春から一年間、旅に行ったんです。だからそのときは、「チームで新しいことができる!」というのよりも、「またみんなと一緒に仕事ができる。楽しい!」みたいな気持ちのほうが大きかったです。
編集長に対する不安の話に戻ると、私みんなとそういう話を進めていたときはまだ、講談社の社員だったんですよ。なので、通常業務と並行してもとくらを立ち上げてたので、不安という気持ちの前にやることがめちゃくちゃあったんです。
しもつ 忙殺、みたいな(笑)。
伊佐 だから忙しさにかまけて、編集長に対する不安が消えていったのはありますかね。うん、忙しかったけど、楽しかったです。
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