【早稲田カップ2025 epilogue】 「被災地の現在と未来 〜早稲田カップ2025 in気仙沼〜」 新4年・増田健昇
2011年3月11日14時46分
東日本大震災
宮城県牡鹿半島の東南東130km付近に発生。
テレビで見た大きな津波とともに流される家屋や車、瓦礫や樹木。
当日小学一年生だった自分もその迫力、脅威に驚かされたのを鮮明では無いものの今でも覚えている。
当時福岡県に住んでいた私はその揺れは感じることが出来なかったが、聞いた話によると関東地方まで揺れたという。
毎年3月11日の津波発生時刻になると市内放送が流れ、黙祷をしていた。
当時小学生だった私も遊びをやめて、友達と黙祷をしていたのを覚えている。
気づけばそのような追悼行事もなくなり、3月11日になってもただ当たり前の日常を過ごすだけになっていた。
今まで自分で震災について知ろうと思ったことはなく、テレビのニュースや特集などでしか知ることは無かった。
そんな中今年も早稲田カップ2025が開催された。
現地の子供とサッカーができるというのはもちろん、実際行くことで、今までは知ることもなかった津波の脅威や、被災地の現在を知ることができると思い参加させてもらった。
※ここからは文字よりも写真の方が伝わりやすいと思い多くの写真を使用しています。
文章が長いと感じる方は写真だけでも見て当時の雰囲気を感じてもらえれば幸いです。
初日にまず気仙沼市東日本大地震遺構・伝承館へ向かった。
海から近いこの場所は、当時気仙沼向洋高校として170名の生徒が通っていた。
伝承館ではモニター室で実際の津波の映像を見せてもらい、津波の脅威を再認識した。
その後3グループに分かれ、語り部さん達による館内の案内があった。
綺麗に舗装された1階では、シミュレーターなどを利用し、当時の津波の様子や、どのような行動をした人が津波から助かったかなどの説明をしてもらった。
奥へ進むと一気に雰囲気が変わった。
リフォームされた場所とは違い、震災当時のまま建物が残されていた。
天井は剥がれ落ち、床には天井の落ちた残骸や流された樹木などがあった。
2、3階へ上がるとさらに驚きの光景があった。
ここは3階の電気磁気室として利用されていた部屋である。
地上8メートルの高さのこの場所に車が流されていたのだ。
4階へ行くと実際に津波の高さを目で感じることが出来た。
膝の下あたりに見える壁の黒いシミは実際に津波が押し寄せた高さを表している。
これを見てもなかなか想像できないと思うが、以下の写真を見てもらえば実際見なくても津波の脅威が伝わると思う。
これは行きのバスで撮った伝承館の写真。
その時はオシャレな飾りだなと思っていた壁は、実際には津波により流された瓦礫でえぐれた壁であった。
津波の高さだけでなく、破壊力も感じることが出来る。
屋内だけでなく、外にも津波の爪痕が生々しく残っていた。
津波により校舎の間に押し流された瓦礫の数々、その中には縦向きになっている車もあった。
伝承館で撮った最後の写真である。
これは屋上から見た高台。
実際に当時約60人の住人が津波から逃れるために避難したという。
今回自分の目で見た物の中で一番心をえぐられるものだった。
自分たちのグループ担当をしてくれた語り部さんはツアー中よく、
「ハザードマップは災害の最大値を表しているものでは無い」
と何度も説明してくれた。
これは東日本大震災を実際に経験したからこその言葉で、この津波の大きさをよく表している言葉だなと感じた。
ただそんなものでは無いと痛感させられた。
その方は実際に津波が起きる前にワークショップで話し合い、この高台の高さを決める責任者であった。
当時リーダーとして、メンバーにも
「ハザードマップは災害の最大値を示している訳では無い」
と口酸っぱく話していたそう。
ただ、過去起きた明治三陸地震が最大であろうとどっか心の中で思い、高台の高さを11メートルに決定した。
それが大きな間違いであった。
実際はそこに13メートルの津波が押し寄せ、避難した約60名が犠牲になった。
涙ながらに説明してくれたが、その瞳の奥には無念や悲しみ、後悔、自責といった多くの感情を感じられた。
実際に行ったからこそ聞けた貴重な話であり、心の底からこんな悲惨な事故が日本で起きて欲しくないと強く思った。
伝承館での話はここまでにして、2日間にわたり行われた早稲田カップ2025について話していこうと思う。
今年は10チームの参加となり過去最高のチーム数となり賑わいを見せた。
自分はバリエンテ本吉というチームに参加させてもらった。
早稲田カップでは学生がそれぞれのチームの監督として参加することとなる。
初戦が始まった。
選手達はがむしゃらにボールを追いかけ、全員で守備をし、全員でゴールまで攻め込んでいた。
ハーフタイムに入り、自分は監督らしく選手達にアドバイスしようとした。
しかし、そんな必要もなかった。
ベンチに戻るや否や選手同士でやって欲しいプレーを要求しあい、後半はこうしようという話までしていた。
大学生が学生主体と謳いやろうとしていることを、小学生の彼らが自然とやっている事がすごいと思ったし、自分達もこれだけ言い合えるチーム作りをしなければいけないと思わせてくれた。
休憩時間では、シュート練習や、コーナーキック練習など、本当に自分達がやりたい、上手くなりたいことをやっていた。
ある選手は自分に強くキックを蹴る方法を教えてもらいにきた。
ある選手は雨野にキーパーを頼み、ひたすらシュート練習をしていた。
そんな彼らから、サッカーが上手くなりたいという気持ちの大切さ、サッカーを楽しむことの尊さを教わった。
大会の結果は4位に終わってしまったが、選手達は最後までしっかり走り切った。
本当に充実した2日間で、あっという間だったなと思う反面、濃厚な時間だった分長くも感じる。
被災地である気仙沼という地でサッカーをすることで、自分たちが毎日サッカーを出来ることは当たり前なんかじゃないと、自分の身体で感じることが出来た。
今ある環境に感謝し、ボールを蹴れる喜びを噛み締めて、大学でもサッカーに真剣に取り組みたいと思います。
鎖骨キャプテンありがとう!
2日間キャプテンに支えてもらってばっかりだったよ笑
バリエンテ本吉の選手、スタッフ、保護者の方々2日間ありがとうございました!!
最後に、
被災地の現状や津波の脅威、サッカーが当たり前では無いこと、サッカーを楽しむことの大切さ、現地でしか感じられない数多くのことを経験させて頂きました。
この素晴らしい大会を開催するに当たって尽力していただいた全ての皆様に感謝申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
ご精読ありがとうございました。