【#Real Voice 2024】 「タソガレの休日」 2年・谷岡拓
太宰治は、
大人とは、裏切られた青年の姿である。
と綴った。
私は、
大人とは、
「今年の部員ブログ何書こうかな」
白紙の原稿とかれこれ30分は向き合っている。
アイスコーヒーの結露が、焦りを表現しているかのように増えていく。
何度か書いてみたものの、結局何が言いたいのかわからずボツ。
今日の収穫は、美味しいカフェを見つけただけにとどまった。
それから日が経ち、
惜しくも1部参入戦プレーオフには届かず、今シーズンが終わりを告げた。
その後、束の間の3日オフ。
久々に実家に帰ることにした。
田舎のゆったりとした時間の流れが、私には必要だった。
夜中の散歩がこれ程捗る場所は東京にはなかなか無い。
空気は冷たく、でも綺麗な夜空が私を迎えてくれる。
公園の芝生に寝転がって、思い出に浸ったり未来について考えたりする。
耳からは最近聞いている曲ではなく、思い入れのある曲を流す。
何にも代えがたい、幸せな時間だ。
そこでふと、大人とは、大人になるとは何なのだろうと考えた。
精神的に成熟している人だろうか、難しい言葉を使う人、人前に立って堂々とできる人、合理的でないことをしない人、他にもいろいろ出てくる。
20歳になった今、変化した事柄を考えてみる。
お酒が飲めるようになった。
将来や人生に、不安を感じ始めるようになった。
毎日のように遊んでいた友達とも、今では滅多に会わなくなった。
強制的に会う環境ではなく、会おうとしないと会えない友達。
みんなに会えるのは、画面の上でのみ。
いい匂いと感じるものは、道端に咲く花から香水へと変わった。
大きい夢は、見られなくなった。
夢というか、現実味のある目標になった。
現実を見て、可能性が無限大ではなくなっている。
あほなストーリーや投稿をインスタグラムの本垢で上げられなくなった。
我慢することが多くなった。
コーヒーが好きになった。
自由になった。
でも、どこか不自由な気がする。
少しずつ、確実に変化していると感じる。
これは成長なのだろうか。
これが成長というものなのでしょうか。
私が感じる不自由さはきっと、自由という縛りに拘束され、可能性という思考を制限しているから。自由さゆえに行動が起こせず、無限大である思考に制限がかかっているから。
いかにも子供らしい。矛盾である。
私は大人になれていないのか。
なぜだか、夜空が普段よりも輝いて見える。
眩しくて、思わず目を閉じる。
Iリーグ最終節。
何かとポジション的にマッチアップすることの多かったアイク(4年・アイクソエ怜生オーエンス)、対人の鬼泉君(4年・泉颯)、キレキレなガイ君(4年・石谷光基)、走り合宿の同部屋木原君(4年・木原爽汰)、筋肉清井君(4年・清井大輔)をはじめ、大好き?なメンバーと一緒にサッカーができる最後の公式戦。
大勢の声援、素晴らしい雰囲気、全員の感情が入り混じった表情。
心が震えた。
大学生にもなってこの経験ができるのか。
前半途中で怪我してしまったけど、ずっとコートに立っていたかった。
結局走れなくて交代したけど、
そんな思いを久々にさせてくれた。
自分のためにではなくて、誰かのために。
強い「想い」っていうものを、4年生が最後に教えてくれた。
ア式蹴球部は、よく練習で「積み上げが大事」と口にする。
私は、その積み上げを正直信じていなかった。
大学に来て2シーズン、怪我して離脱することもなかったし、走りも手を抜いたことはないし、練習や試合、今シーズンに関してはIリーグのほぼ全試合に出場したが、思うような結果は得られなかったからである。
この時の私にとって「積み上げ」とは練習の積み重ねであり、毎日を全力で意味を持って取り組むことであると思っていた。
しかし、この最終節で私にとっての「積み上げ」に大きな変化が起きた。
それは、
「積み上げ」とは、ある瞬間、自分自身の存在を感じるための「厚み」を創り上げるものである。
という変化だ。
この変化は、アップから試合開始までの間で間違いなく起こった。
「積み上げ」というものを「幅」でとらえるのではなく、瞬間的な時間を感じる際の「長さ」のためととらえること。
これは私の感覚的な部分が多く、うまく言語化できないが、きっと記憶に残っている瞬間は誰しもあると思う。
その時、あなたは何を感じたか。
嬉しさか、感動か、絶望か、恨みか、怒りか、感謝か、無か。
その瞬間の厚みは、「積み上げ」に比例する。
心が震えたのは、きっと「積み上げ」があったから。
「積み上げ」が大きい程その瞬間的な厚みは厚く、小さい程薄くなる。
だから「積み上げ」は大切だし、継続しなくちゃいけない。
しかし時に、勇気を出して今までの「積み上げ」を壊す必要がある。
その「積み上げ」を否定しなければいけない時がある。
今まで自分がやってきたことが無意味だと。
自信がなくなるかもしれない。
今まで継続してきたことが、無くなるかもしれない。
今までの関係が壊れるかもしれない。
今までが全部嘘で、自分に何もなかったことに気づくかもしれない。
それでも、
全部自分にとって必要なモノ。
無意味を認識してそれは初めて意味を持つと私は思うから。
「積み上げ」は、その決断もきっと刻んでくれるから。
怪我をして離脱をしている今だからより感じるが、練習を作っているのは選手だけではない。
最高の練習環境を整えようと動いている学生スタッフがいる。
その心の内には、みんなそれぞれ違う想いがあるのだろう。
しかし私はそれを見て、決して目立たずとも「活躍」していると感じた。
この気づきも、離脱をしたら「積み上げ」がなくなると怖かった私が、離脱した結果得られた視点であり感覚である。
グラウンドに立って練習をすることだけが、「積み上げ」ではない。
それに関係するすべての行動が、「積み上げ」なのである。
それが発揮される瞬間は、いつ訪れるかわからない。
また、どのような形で現れるかもわからない。
しかし、私はこの経験を決して忘れない。
私なりの「積み上げ」の答えを見つけたから。
またその瞬間が来るまで、そして終わりが来るまでやり続ける。
曲が終わり、目を開ける。
心なしか、さっきより鮮明に星が見える。
1つで目立つ星もあれば、周りと繋がって一つの形として輝く星もいる。
人の数なんかよりもずっと多い星も、無意識に誰かとつながっていたいと思っているのかもしれない。
誰かと繋がって生きる素晴らしさは、幸せなことに、今まで生きてきた20年の人生で多くの出来事とともに感じてきた。
全員が全員、同じぐらい輝いていたかといわれると、決してそうではない。
でも、輝いていない人もまた、いなかった。
ひとりでに輝く人も、その輝きを受けて輝く人も、バランスを取って輝く人も。
なんかいいな。なんて思った。
私が輝いているように見える人達は皆、私よりずっと前を行く。
行動を起こし、目を輝かせて、努力をする。
果たして、私はどうだろうか。
もしかしたら、ひとりでに輝くタイプではないのかもしれない。
いや、かもしれないというより、そうだと思う。
だからこそ、私がやるべきことは明確。
「人を想う」
これが私の軸にある。
20歳になった今、感じた私の変わらない軸。
自分という存在を自覚する。自覚したことによって、責任感が芽生える。
全員にいい人であることは無理かもしれないけど、その人のことを想う気持ちを無くしては、自分が自分ではなくなってしまう。
だからこそ、
私は、
大人とは、自分が何者か理解した人。
と解釈したい。
貴方は、何者ですか。
次のブログは、筋トレ仲間宮地健輔くん(宮地健輔・川崎フロンターレ U-18)です。
ポテンシャルバケで欲求バケな彼は、やる気のないキャラとして名を馳せていますが、一緒にいると何かと意外な一面も見られたりします。そんな彼が書き出す文章が楽しみで筋トレが捗りそうです。
【過去の記事はコチラ↓】