【#Real Voice 2024】 「仲間がいること」 4年・成定真生也
「問うことで、人は成長できる。現状を打破できる。」
「問い続けよう、その先に見える世界が違ってくるから。」
これは数年前にア式が出演したCM「なぜ、大学でサッカーをするのか?」で耳にした言葉である。
今でも、心の深くに刻まれている。
4年間も活動していれば、
ふと「自分は何のためにやってるんだろう?」とか「この選択でよかったのかな?」って、悩む瞬間がある。
自分に「問うこと」、が多くなる気がする。
それに「何のためにサッカーしてるんだろう」って、
何年間も続けてきて、あれほど情熱を注いできたスポーツにすら、自分の行動の意味を見出せなくなるときがある。
1年生の頃はただ夢中にボールを追いかけてたけれど、
学年が上がるにつれて、部活における自分の役割や存在意義に迷うようになってくる。
次第に夢が遠く感じてきたりする。
だから、自分に問い、迷い、悩む。
社会に近づけば近づくほど、単にサッカーをするだけでは物足りなくなる感覚。
ア式にいれば、なおさらだろう。
4年生としてあるべき姿。
サッカーな自分。
運営に関わる自分。
副将としての理想像。
4年間を通じて、ア式の「自分」は少しずつ変化し続けてきた。
決してすぐに確立されるものではなくて、何度も何度も塗り替えられていく。
だから、今の自分は、ア式な外側が映し出されているだけかもしれないし、
内側から変貌を遂げたありのままの自分なのかもしれない。
自分でもよくわからない。
でもどこかでア式な自分に寄せて生きてきたのは確かだ。
ア式という組織に属しているから、ア式な自分になることは至極真っ当なこと。
きっとこの先も、社会におけるあるべき姿や会社から求められる理想像に自分を寄せていくことになるんだろう。
今以上に内側からの変貌を求められ、外側の自分で対応しているうちに、気づいたらそれがありのままの自分になっている。
社会に出たらそんな連続なんだろうなと容易に想像がつく。
でも、それは本当に、「組織に属しているから」だけだろうか。
振り返れば、学年を重ねるにつれて、ア式な姿が求められてきた。
今まで以上に周りから見られ、評価を受ける立場になり、
特に4年生になれば、
チームの成績が「4年生として」をそのまま表現するようになる。
だから結果も、それまでの過程も、全てに責任が伴ってくる。
そしてそれと同時に、
自分軸よりも、チーム軸が、少しづつ自分の中心に引き寄せられる感覚があった。
自分の中心にある目標が
「関東に出ること」から「昇格すること」になっていき、
「個人の結果」以上に「チームの勝利」に変わってくる。
正直、勝ってくれたら「出られようが出られまいが」関係なくなってきた自分がいる。
学年を重ねるにつれて
すなわち、「責任」を強く感じるようになるにつれて、
変化が起きてくるんじゃないかなと思う。
そして
チームの成績に、結果に、責任を持つとき。
それは同時に、過程を否定する覚悟を持つことだと痛感する。
たとえ100%で取り組んでいても、
勝てなければ、練習の取り組みから否定しなければならない。
たとえ良い積み上げができた1日だとしても、
メニューの1つから、練習の始まる前の雰囲気から、否定することになる。
練習に隙を感じない1週間であっても、
結果が出てないのであれば、発言や態度の1つが、全てを覆すことになる。
良い意味でも悪い意味でも、完璧になることは絶対にない。
全試合勝利して、内容もよくて問題もない。
そんな1週間を毎週積み重ねることができるなら、話は変わるかもしれない。
でもそれが難しいということは、言わずとも全員が理解している。
だから私たちは課題を見つけ出し、その解決を繰り返す。少しでも良い方向へと、成長を目指し、過程の中に改善の余地を見出そうとする。
そしてこれはチーム単位の話だけじゃない。
先ほど言った個人としての目的や意義を見出す場合にも同じだ。
4年生が引っ張らなければならない。
そう思うその瞬間に
人としての変化が求められる。
もし変化が足りていないのなら、今の自分のどこかを否定する覚悟が必要になる。
ほんとはこんな人間じゃないとか、
黙々と取り組むタイプとか、
関係ない。
なぜならア式という組織に属し、結果に責任を持つ立場になるから。
だから知らず知らずに、ア式な自分を探し求めてたりする。
ア式な自分で過ごしていたりする。
もちろん、上手くいかなくて、きついなーってときもあると思う。
なんでこれやってるんだろうって。
降格プレーオフ圏の10位に落ちた日。
「サッカーってなんでこんな難しいの。」って心の底から思ったし、
自分があまりにも情けない4年生な気がして、初めて全てを投げ出したくなった。
それでもまた火曜日がやってきて、みんなで東伏見でサッカーする。
その日の練習後はチームで意見をぶつけ合い、
当時のチーム状況に、みんなで向き合った。
「今を頑張れない人間が、今後の人生も頑張れるはずがない」
1人の言葉は今でも刺さる。
逃げた自分を奮い立たせてくれてありがとう。
そしてこのミーティングを一言でまとめるなら、「チームになろう」
これに尽きる。
つまり、我々はチームになれていない現状を否定したのだ。
でも、だからこそ間違いなくこのミーティングから、メンバーだけじゃなくベンチも応援も含めて、「全員」で戦っている意識がより一層強まったと思う。
合言葉はもちろん「One Team」
戦術面の大幅な変更や選手の総入れ替えをしたわけじゃない。
変化したのは「チームだ」という意識をそれぞれが少しづつ持つこと。
それだけかもしれない。
でも、次節の山学に5-0で勝ち、
そこから4連勝した。
先日の立教戦は悔しくも引き分けたが、
あれから勝ち点17を積み上げた。
チームスポーツにおける最も本質的でかつ見落としがちな部分に、改めて気付かされた瞬間だった。
ア式での活動を経て。
これからに迷う時、目的や意義を見失いそうな時、
その問いに対する答えは、目の前のことに「責任」を持って取り組むことでしか導けないと気付かされる。
チームの結果に責任を持つ、その過程にも責任を持つ。
目の前のことに全力で取り組むことでしか悩みを解決することはできない。
まさに梅(4年・梅林頌英)のブログにある「今を大切にする」「今に100%で挑む」という言葉の通りだ。
そうしたらきっと答えが見えてくる。
自分なりの答えが見えてくる。
少しづつ周りに伝えることができるようになる。
悪い雰囲気になりかけたとき、良いプレーにフォーカスを当て、声をかけたりする。
アップ大丈夫かなって思いながら、少しでも良い雰囲気に持っていきたくて「ナイスナイス」と言い聞かせたりする。
自分はビルドアップ時の打開の役割かもしれない。
ワンタッチでリズムを作ることが役割かもしれない。
前からのハードワークかもしれない。
味方のスペースを作ることかもしれない。
どれが正解のア式な自分かはわからない。
それでも自分なりの答えを持つことは、日々の活動に、今に、全力で取り組み、責任を持って行動した結果でしかない。
そしてそれと同時に
そういった意味や意義を「問うている自分」に気づくことも、すごく大切だと感じる。
物事が難しく感じる時、目的や意味を見失いそうになる時。
その答えを問うているということは、
逃げずに解決しようと取り組んでいる証拠だからだ。
そしてそれこそがまさに「向き合う」ということだと思う。
もちろん答えが簡単に出るなんてことはない。
でもその「問うている自分」に気づくことはできるはず。
そこに気づけて初めて、向き合うということを知る。
そして何よりも、
そう言った自分なりの答えは、決して1人で導くものでは無くて、仲間がいて、周りがいて、初めて導けるものだとも感じさせられた。
本気で取り組んでくれる仲間がいるから、厳しい声がけが当たり前のように飛び交う。
だからプラスの面を見つめることが、自分の役割かもしれないと思えるようになったりする。
パスをつけてくれる仲間がいるから、トップ下の役割が活かされる。
「あのシーン顔出してくれるの助かるわ」っていう一言が、自信になる。
良いポジションがどこなのかわかってきたりする。
後ろからの「まき」っていう声が、ハードワークの一歩目だったりする。
ミーティングの仲間の言葉がきっかけになるかもしれない。
周りの行動が熱量が、自身の目的を作るかもしれない。
仲間のささいな一言が自分を変えてくれるかもしれない。
後押ししてくれるかもしれない。
こいつのために、頑張ろうと思えるかもしれない。
そのように自分で答えを出しているようで、
仲間の存在が、周りの存在が、土台にあることに気づく。
同じ大学の同じサッカー部。
我々早稲田大学ア式蹴球部は、選んで行けるような大学でもなければ、入りたくて入れる部活でもない。
それでも全国から部員が集まり、共に生活の大半の熱量を活動に捧げる。
数あるサッカー部の中で、たまたま同じ部に所属する。
こんな偶然は無い。
何よりも変え難い「仲間がいること」
これを理解することは、簡単なようですごく難しい。
これはブログを書こうと4年間を振り返って改めて強く感じたこと。
このことに早く気づけなかったことは、後悔の一つである。
これまでの活動の中で、「自分1人だけで成し遂げたものは一つもない」ということ。
このことを理解して、この教訓をこれからの人生の糧にしていきたい。
そして、これからの人生も問い続けていきたいと思う。
もうすぐア式を引退することになる。
18年間のサッカー人生に区切りをつける。
あれだけオフが恋しいと感じていたはずなのに、終わりが近づくと驚くほどに寂しい気持ちになる。
もっと一緒にボール蹴ればよかったかな。
もっとグラウンドに残ってたらよかったかな。
そんなことを思いながら、残された少ない時間を大切に過ごしたいと思う。
何度練習中に魅了され、何度試合で助けられ、何度ピッチ外でありがたみを感じたかわからない。
自分にはない、多彩な才能にあふれる部員。
そんなみんなとサッカーができて、楽しくて仕方がなかった。ありがとう。
もう1週間長く、サッカーしよう。
ア式で過ごした4年間は、どれも濃く、素晴らしく、何よりも変え難い経験。
自分には勿体無いくらいの、沢山の経験をさせてもらった。
本当に恵まれたサッカー人生でした。
この経験を無駄にすることなく、これからも生きていきたいと思います。
リーグ戦は残り一節。
やるべきことはもう決まっている。
必ず勝って、プレーオフに繋げる。
必ず昇格して終わる。
それしかない。
「チーム」になって、全員で闘おう。
カテゴリーは関係ない。
全員で、最後まで積み上げて、One Teamで掴み取ろう。
次はブログは公平(北村公平・桐光学園高等学校)です。
大学3年時を寮の同部屋として過ごした彼は、早稲田の主務として、ア式を支え続けてくれました。ありえないほど高いビルドアップ能力とセービング力を持つ桐光の絶対的守護神。熱い声がけと圧倒的なリーダーシップでア式を引っ張り続けてくれました。選手として、そして主務として、ア式を支え、同時にア式を引っ張り続けた彼が、4年間の最後のブログで何を残すのか、ご注目ください。
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