「早稲田で良かった」 3年・吉田峻
部員のブログを読んでいると、みんな良いこと書いてあるなと思いながらも、今年は何について書こうかととても悩んだ。その結果、
「自分の今感じている思い」
というものについて書いていくことにした。
今感じていること。それは、
「早稲田大学に入学し、ア式蹴球部に入部できてよかった。」
ということである。
気が付けば、早稲田大学に入学し、ア式蹴球部に入部してから、3年目が終わろうとしている。
自分としては、もう3年も経ってしまうのかという印象を強く持っていると同時に、自分は早稲田大学に来て、本当に良かったと思っている。
正直なところ、早稲田大学へ進学するという考えは、高校3年の4月の段階では持っていなかった。ユース時代の監督に薦められたK大学のみ受験するつもりだった。そのK大学の練習にも参加し、部員の方々には、受験対策までしてもらった。それにも関わらず、K大学の第一期の二次試験の面接で不合格であった。その時に自分の中には第二期も受験できるからという思いがあり、特に焦ることはなかった。しかし、監督にはK大学だけだとリスクがあるから、他の選択肢も持った方が良いだろうと言われた。そこで話をもらったのが早稲田大学社会科学部の自己推薦入試である。
最初に行こうとしていたK大学に落ちてから、早稲田大学社会科学部を受験すると決め、願書を出すまでに期限が1週間しかなかった。その1週間のスケジュールを簡単に説明したいと思う。
[スケジュール]
月曜日→・「K大学不合格」という通知を見る。
・練習がオフだったために、電話で監督
に伝える。
火曜日→・練習前に監督と話をして、
早稲田大学社会科学部の存在を知る。
・その日の夜に家で相談し、早稲田大学
も受験することを決意する。
水曜日→・学校に行き、担任の先生に早稲田大学
社会科学部も受験しますと伝える。
・それと同時に、発行までに2週間くらい
かかる調査書をすぐ発行してもらえる
ようにお願いをした。
木曜日→・放課後に練習を休んで志望理由書を
担任の先生に無理を言って、マンツー
マンで指導してもらい書き上げた。
・その他の必要な書類も完成させる。
金曜日→ ・願書を提出する。
というような流れで願書を提出した。
今思うと、自分に他の選択肢を与えてくださった監督、願書の提出ができるように必死になって動いてくれた学校の先生、早稲田大学も受験したいと言った時に許可してくれた両親には感謝の気持ちしかない。
もし、この1週間で決断していなかったら。
もし、この1週間で書類が完成しなかったら。
今、早稲田大学に入学し、ア式蹴球部に入部することはできていないと考えると、この1週間がどれほど重要だったのかということが分かった。(K大学の二期の受験も落ちました。)
このような経緯があり、早稲田大学に入学することになった。
1年目。
練習に参加する2月の頃は、受験前に練習参加もしていなかったので、ものすごく不安だったのを覚えている。
4年生を中心に練習・活動を作り上げるという主体性や、「自分の存在意義って何?」と考えるきっかけにもなり、苦労しながらもア式蹴球部に入部することができた。
しかし、リーグ戦には1試合ベンチ入りしただけで、その他は試合に関わることができず、関東リーグは優勝したが、自分はチームに貢献することができずに悔しい思いをしたのを覚えている。
2年目。
1年目の悔しさを胸に、意気込んで取り組んだ年であったが、個人としては、さまざまなカテゴリーを行き来する日々が続き、チームとしては、残留争いをしていた。2度の脱臼という怪我もあり、思うようにサッカーができず、2年目もチームに貢献することができなかったと感じている。
昨シーズンの思いは、昨年の部員ブログで書いてあるので、読んでください。
そして迎えた3年目。
関東リーグに途中交代で試合をすることができたが、出場はその1試合のみ。Aチームにはいるが、なかなかメンバーに入ることができず、悔しい思いをする。
11月にIリーグ登録となるが、思うような結果を残せずに、グループリーグ敗退。個人としても膝の怪我で途中離脱。
今年1年間は、考えに考えまくったシーズンだったと思う。
「考えて行動する」
この言葉は、自分がサッカーから学んだ大切なことである。
なぜ考えるのか。
これは、ピッチ内でもピッチ外でも言えることだが、考えなくても直感や自分の能力だけで、解決できてしまう人も中にはいる。
自分はピッチ内で言えば、足が速いわけでもなければ、体が強いわけでもない。かといってめちゃくちゃ技術があるわけでもない。
そんな自分でもある程度のレベルでサッカーができている。
それはなぜか。
他人との差を「考える」ことで埋めてこれたからだと自分では思っている。
主にピッチ内でのことになってしまうが、足が速い選手に勝つためには、その選手よりも早く予測して動く。体の強い選手に勝つためには、体をぶつけるタイミングを変える。技術がなく狭い局面でボールを失ってしまうのであれば、受けるポジショニングを工夫してみる。
このように、自分の能力を把握したうえで、他人との能力の差をどのようにして埋め、なおかつ勝つことができるのかを常に考えて行動をしてきた。
前提として言っておくが、自分が劣っている点から逃げているわけではなく、自分が能力で勝てるようにする努力はしている。
それでも、もともと能力のある人に追いつくことはできてもなかなか勝つことができないのが現状である。
そのために、日々、自分が上手くなるため、ライバルに勝つため、目標を叶えるために「考える」ということは必要不可欠なことであると思う。
そのような考えの中で行動をしてきた結果、今の自分がいると実感している。
しかし、自分のことだけを考えていても、チームのためにはならないし、試合に出場することもできないと思わされた1年間であった。
Aサブの時に、FCのチームとゲバをして負けた。次の日に自分はBチームに落とされた。個人的には良いプレーができていると思っていた。
じゃあなぜ落とされたのか。
自分のことしか考えていなかったからである。
普段からチームの中で自分がどのように生きるのかについては考えていた。しかし、チームが勝つために自分がやらなくてはいけないことをやれていたかというとそうは思わない。
今年のチームを見て分かるように、みんながチームのために走って体を張っている。自分のことを後回しにしてでもチームのために闘っている。その姿は、人の心を動かせるし、自然と応援したくなる姿であると素直に思った。
そのようなプレーが自分にはできていたか。
できていなかったと思う。
3年生という上級生になっても、自分のことしか考えることができていなかった。
そのことに気付くことができただけでも良かったと思っている。気付かせてくれた今年のチームにも感謝の気持ちしかない。早稲田大学でサッカーができたからこそ気付けたことだと思っている。
改めて思う。
早稲田大学でサッカーができて良かったと。
今までのサッカー人生の中で、こんなにも上手くいかなかったことがなかった。だから、自分の中で落ち込むこともあり、苦しいときもあった。
しかし、それも早稲田大学に入学し、ア式蹴球部に入部することができたからこそ得られた経験だと思っている。本当に早稲田大学に入学し、ア式蹴球部に入部することができて良かった。
そんな早稲田大学ア式蹴球部での活動もあと1年で終わってしまう。
受験をするにあたり、サポートしてくださった監督、先生、家族に、早稲田大学で活躍している姿で恩返しをしたいし、K大学にも、K大学の存在があったから早稲田大学にきて成長することができたということも活動を通して表現したい。悔しい思いを経験したからこそ強くなった自分の姿を、多くの人に見てもらいたい。
2021シーズンも、考えて、考え抜いて自分らしく突っ走っていきたい。
今よりも早稲田で良かったと思えるように。
◇吉田峻(よしだしゅん)◇
学年:3年
学部:社会科学部
前所属チーム:清水エスパルスユース