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【#Real Voice 2023】 「思いの儘に」 4年・山田怜於


「なんでサッカーをやっているのか」
「なんで大学でサッカーを続けているのか」
「なんでプロを目指していないのに頑張るのか/頑張れるのか」
「なんでプロ志望じゃないのにサッカーを続けているのか」

他には、
「なぜ主務をやろうと思ったのですか」とか
「主務/選手として試合に出ていますがどのような心境ですか」とか

今年はよくこれらの言葉を聞いた、というよりは聞けるようになった気がする。
TOPで試合に出場する機会ができたからか、4年生になって将来について話すことが増えてきたからか。

聞かれると答えに詰まる。
特に上の4つ。

「楽しいから」とか、「主務だから」とか、「4年生だから」とか、そういった理由も間違いなくあるのだが、どうもしっくりこない。
というか、そんな単純なものじゃない。そうじゃない感。
自分すらも答えがしっくりこないものや、おそらく自身の奥深くに強く結びついているであろうものほど相手に伝え難いものはない。
でも確かに、形もハッキリせず言語化できないけれど、そうだと言える何かがあった。

本当は適当にいつも通りふざけ半分で流しておけば良いのだろうけど、流せないこともあるのだなと思い、いつも言い淀む。


兵藤さんを迎えて新体制となり、2月頭から始動。
公式戦としては関西学院大学との定期戦から始まった。
有難いことに、その時はスタートから出場させてもらうことができた。
私は主務として、選手として、今できることを全力でやり切ろうと意気込んでいたが、3月末の天皇杯予選初戦で脳震盪になり、1ヶ月離脱することとなった。
意気込んでいた矢先でまた離脱することになるとは思っておらず、頭のぼやけも相まって漠然とした不安感を抱えながらシーズンの初めを過ごしていた。

この時を振り返ると、これまでの自分だったら下を向いていただろうなと思う。
ただ、2年生の時の逃げた自分、全員苦しんで、もがいたけれど2部に降格した昨年度の経験。
1人で嘆いても、どれだけ多くの人が頑張っても、うまくはいかないことがあることを知っていたからこそ、4年目は主務としても、選手としても目を背けることだけはしないと心に決めることができた。

今自分自身にできることを、やり続ける。 
苦しくても前を向いて、逃げる時は前向きに、あとは勢いで
と。

4年目、大学を卒業する前に2年目の自分を自戒として少し許すことができたんじゃないか。成長してる。


関東前日に試合の提出資料を作る。陸人(令和5年卒・平田陸人 )が言っていたように、交代用紙に名前を書くときは一つ一つ気持ちを込める。クリアファイルに種類ごとに丁寧に入れて、それを公平(3年・北村公平 / 副務・桐光学園高校)に渡す。ウェア類は丁寧に畳んで毎回同じ袋に同じ向きで入れて、スパイクとキーパーグローブは髙見(2年・髙見真史)にお願いする。ありがとう。
髪が目に入らないようにガッチガチに固める。
自分ができることなんて少ないけれど、試合には出なくても、
毎回同じように丁寧に、丁寧に、験を担ぐ。

復帰してからは、ベンチで試合を見ることがほとんどだった。
キーパーが途中交代で出る確率なんてどれだけ低いかわからないけど、あり得ない話ではないから、毎週できるだけ自分を同じ状態に保ち続ける。

内田さん(GKコーチ)にも波がなくなったねと言われるようになったから、多分できていたのだろう。
ベンチから試合を見るのと、試合に出て90分間戦うのではまるで違うかもしれないが、それでもやることは変わらなかった。
やはり昔の自分からは到底考えられない。

6月に入り、総理大臣杯への出場権がかかるアミノバイタルカップの初戦で出場機会をもらった。
公式戦は3月末の天皇杯予選から出ていない。負ければ終わりの一発勝負のトーナメント戦。日本一を目指すその機会を得るためには勝ち進むことが絶対条件。
初戦は関東で1度負けている山梨学院。
背負いきれない。無理だ。とはならなかった。
不思議と緊張はなかった。楽しみであった。

昔、副務になる前に大橋(4年・大橋優貴 / 早稲田実業学校高等部)に言われた、「自分で背負いすぎないで」という言葉。
責任を持つことと、背負い込むことは全くの別物だったと今になって気づけました。

愛しか書かない平松

感情を心の底から出せた気がした。
持てる限りの嬉しさと、圧倒的な高揚感。いつぶりだっただろうか。

初戦を突破し、続く試合も関東1部のチームではあったものの、勢いのままに勝利することができ、総理大臣杯の切符を手にすることができた。
無我夢中で中1日の連戦を戦い続けた。連戦なんて久しぶりの感覚、疲労感が心地よかった。

そして迎えた、順天堂との3位決定戦で
冒頭の問いに対しての答えが出た。
答えが出たというよりは、大切なものを思い出せた。

身体が勝手に動く感覚、セーブをした瞬間の感情の発露。
体に熱が籠る。鼓動が走る。
ピッチ内で感情を受け取る。
同じキーパーとして戦う公平とカイレン(3年・ヒル袈依廉 / 鹿児島城西高校)の笑顔と声を聞く。
ゴールの後ろでは、チャントを歌い続けてくれる仲間がいた。

ああ、これだ。
この感覚だ。

プロになることを早々に諦めた癖に、それでもサッカーに固執していた理由は。
プロを目指していないのに大学サッカーを続ける理由は。
サッカーを頑張る理由は。

これまでサッカーを続けてきた1人の人間として十分すぎる。
これを思い出せただけで私は。


かつて、小学生の頃にトーナメント戦でPKストップをした。
相手は市内でも強豪だったそうで、見にきていた親やコーチたちも口々に褒めてくれたのを覚えている。
フィールドプレイヤーとしてゴールを決めた時よりも、その1本を止めた時に仲間が感情を露わにして駆け寄ってきてくれたのが嬉しくて、その後の背番号決めの時は1番がなかったから1番に最も近いという理由で2番をつけた。
気づけばキーパーでプロ選手を夢見ていた。
けど、どうも聞くところによると身長が低いキーパーはなかなかプロになることが難しいらしい。

「でもさ、身長が低い選手でもその分ジャンプ力とかで補えばプロになれるんでしょう?頑張りなよ。」
「もしそれでプロになったら、今後身長の低い選手がキーパーでプロになるっていう夢を諦めずに目指すことができるかもよ?そうなったら嬉しくない?そういう人になりなさいよ。」


かつて夢見た自分は、純粋に自身の感情の赴くままに、相手に勝つために心に火を灯して、私のプレーで誰かが喜び、感情を露わにする。
他の人にはできない、私がやることで他の誰かの夢を広げること。
可能性を感じてもらえること。

歳を重ねれば重ねるほど、変化する周囲の環境、属する社会集団によってしがらみが増えていき、いつからか誰かが求める「誰かの理想像」に近づこうとしてしまう、してしまった。別に良し悪しではないと思う。

それでも、かつてがむしゃらだったあの頃のように、
後先も何も考えず、ただ自分自身の可能性を信じて成功かどうかとは違う、自己満足の喜びを追い求める、他人の願いではない貴方自身の願いのために感情を動かすのも間違っていないはず。
だってそれは、振り返れば誰かの活力になったり、路になっていたりするから。

1度グランドから逃げたとしても、別に3年生の夏まで1番下のカテゴリーにいても、外聞はちょっと気にするくらいにして、やり続けていれば意外と関東リーグにだって、早慶戦にだって出れること、主務もやれること、誰かの活力になれること。

「私」は少しでも誰かの夢を広げることができただろうか。

早慶戦の意気込み

お世話になっております。
早稲田大学ア式蹴球部主務の山田怜於です。
とメールの文章につけるのももうすぐで終わりとなります。
時が経つのは早いもので気づけば引退まで後少しとなりました。
4年生にもなって締め切りギリギリで提出する上に文章も上手く書けないとなると本当に恥ずかしいとは思うんだけど、なかなか直りませんでした。朋恵申し訳ない。
社会人になるまでに勝又らを見習ってもう少し本を読もうと思います。

主務として、選手として2023シーズンを戦わせていただいております。
現在、チームが厳しい状況に置かれていることは間違いありません。
それでも、少しでも可能性があるならば、最後まで諦めないことで起こる何かもあると信じています。
100周年を迎える来年に、何か残せるものがあるのか、それは先になってみなければわかりませんが、ア式にとは烏滸がましくも、せめて誰か一人の心にだけでも残るものがあればと思います。

この4年間様々なことがありました。
試合に出れることはないだろうから主務(副務)として少しでもチームに貢献しようと思っていたあの時を経て、最終学年で主務としても、選手としても関東リーグ・アミノ・総理杯・早慶戦等に出場できたことを非常に嬉しく思います。
早慶戦では、早稲田・慶應の運営陣に、OBの皆様に、応援してくれる誰かに支えられて、運営だけではなく選手として、高校生の時に見たあの憧れの早慶戦の舞台に多くの人の想いを背負って立てたことはこの上なく幸せでした。

このようにできたのは、ずっと山田を関東・早慶戦に送り出すとブログでは言ってくれるのに直接は言ってくれない英吉(4年・藤間英吉 / 鎌倉高校)(直接は言いませんけど、七年かけて十分送り出してもらいましたよ、ありがとう)や、復帰してからいつ公式戦に出るんだと言ってくれていた一人っ子で飯プロの慧一(4年・佐藤慧一 / 早稲田実業学校高等部)(時々なんでこのタイミングで厳しいこと言うんって思うことあるけどそれが誰かをちゃんと思ってのことであるのはみんなわかってます)、他の人には暴言を吐かないくせに何故か俺にだけ当たりの強い平山(4年・平山怜央 / 愛知県立刈谷高校)(なんだかんだ、部の精神的に重要なものについては相談に乗ってもらっていた気がします助かりました)、関西弁でふざけ倒してるけど作品にはこだわってくれる平川(4年・平川功 / 岡山県立作陽高校)(自分のホームページとか、自分の売り込みとか愚直にやる姿を尊敬してます)、何を言われてもトレーナーとしてのやるべきことを全うする浅木(4年・浅木柊人 / 広島県立広島高校)(ずっと悩んでた気がする、それでも選手にありがとうを必ず言い続ける浅木が俺は好きでした、どういたしましても言っていいんじゃないか)、そして日々の仕事だけでも大変なのに主務がこぼす仕事を拾ってやってくれる公平(いい加減ぶったり蹴ったりするの卒業してください。暴言もやめてください。自分よりよっぽどできる主務です。慕って舞台に送り出してくれる人が自分と同じようにいると思います。そのままの熱量で一定以上に、バランスも保ちながら。応援してます。)含む後輩スタッフたちのおかげでした。
選手としても頑張れた理由がそこにあります。
ありがとう。

同期は他の学年と比較すると人数が少ないながら、多様性に溢れていたんじゃないかなと振り返れば思います。
バタバタしたこともあったとは思うけど、結局根が真面目だったのがここまで来れた理由かなと思います。
残り少ないけど、やり抜きましょう。
その後、学年飲みであーだこうだ言い合いましょう。
あと、引退してもア式からの連絡がきたら積極的に参加してください、公平に頭を殴られるのは俺なんです、また脳震盪なります。

後輩のみんなは、昨年度2部に降格してから監督も変わったりして当初不安を抱えさせてしまったと思います。それでも直向きにピッチ内外に取り組んでくれてありがとう。サッカーを楽しそうにやっている姿を見るのが実は嬉しかったです。
なかなか自分自身とチームが合わず、不貞腐れる日も、どうでも良くなる日も来ると思います。そう言う時に決まって聞くのは「逃げるな」と言う言葉だと思います。その言葉に耳を傾けた上で、それでも本当に耐えられなくて何か溢れそうな時は逃げてもいい。ただ、自分のように後ろ向きに逃げないでください。グランドから目を背けないでください。あの時を俺はずっと後悔しています。
自身・チームの目的達成のためには様々な方向からアプローチできます。個人で違っていいんです、1つの方法が無理だったら違う方法で達成できます。
逃げるなら前向きに逃げてください。たまには自分を許してもいいと思ってます。

来年からはまた舞台が変わりますが、サッカーを続けます。
本当に縁に恵まれていることを実感しています。

あの日思い出したように、かつての自分のように、
思うままに、その行動が、誰かの夢を広げられるとはいかずとも、
その一端を担うことができるような存在になれたら
それ以上に嬉しいことはない。


引き続きア式蹴球部への応援よろしくお願いします。
ありがとうございました。



◇山田怜於(やまだれお)◇
学年:4年
学部:社会科学部
前所属チーム:鎌倉高校

【過去の対談記事(早稲田スポーツ新聞会 企画・編集)はコチラ☟】


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