【#Real Voice 2023】 「まっすぐ」 1年・今西正之輔
高3の春、私は高校の部活の引退を機にサッカー人生に幕を閉ざそうと決めた。
それは高校でのレベルの高い仲間たちと競争を通じて自分の力に限界を感じたから、そんな理由だったからだろうか。
心の中でどこか辛いことから逃げる弱い自分がいた。
高3、新チーム始動後すぐにケガをした。
その復帰後くらいから自分のプレーに一切の自信を失った。
何をしても思い通りにいかない。周りの声が怖い。パスが来ることさえ怖かった。
間違いなくスタートで試合に出ていた11人で自分が1番足を引っ張っていたと今でも思う。こんな自分が試合に出続けていいのかと何度も自分を責めた。
そんな状態のまま大学の進路を本格的に決めなければいけない高3の夏にぬるっと突入してしまった。このまま終わっていいのか。逃げていいのか。13年間続けてきたサッカー人生をこんな中途半端に終わらせていいのか。高3の8月、私はふと思った。
何をしても飽き性で続かない自分が唯一、幼稚園の年長から続けられたサッカーをやめた後の自分が想像出来なかった。
何度も何度もサッカーを大学でも続けるのか自問自答を頭の中で繰り返した。
でもそんな内に、まだこう思えてるなら続けられる、まだ諦め切れてない自分がいるのは明らかだった。今やめたら後々絶対に後悔する。そう思うようになった。
監督には「大学ではサッカーをやりません。」と春から伝えていたので、サッカーをやるなら自力で行きたい大学に進むしかなかった。そして一般受験するという覚悟を決めた。同時にサッカーを大学でも続けることも決めた。
推薦クラスだった自分だが指定校推薦、内部進学の選択肢を捨てクラスで唯一、一般受験を受けた。
一人になった。
選択肢は色々あったが、サッカー、勉強の両方において最高峰のレベルの環境で自分の力を試したかった自分は「早稲田大学に入学してア式に入る。」ことを目標にした。
勉強はテストの1週間前以外してこなく、11月の模試での偏差値が45程度だった自分にとって早稲田は雲の上の存在だった。
しかし、この選択は間違いなく自分の人生に置いて1番の分岐点であり、1番大きな決断だった。
急すぎて当然親には反対された。あの時期の何とも言えない感情と家族の雰囲気は今でも忘れない。「塾に通わないで自分でやってでもいいから早稲田を目指したい。」
いわゆる宅浪である。
誰に何を言われても決断は変えなかった。何度か親と相談をし、最終的に
「頑張れ、お前がやりたいようにやれ」
父が自分に言った言葉は嬉しかったが、重くもある一言だった。
昔から自分には何に対しても自信が無かった私だが、唯一の自信がある。
どんな小さなことでも、自分で決めた一つの目標に向かってまっすぐ貪欲になれることだ。
小4の時、父への誕生日プレゼントを「リフティング1000回出来るようになること」にした。週の初めまで400回しか出来なかった自分は1000回を目標に学校に行っている時以外全て練習に充て、週末に2000回出来るようになった。
こんな小さな目標であっても。
才能は微塵もない。
しかし目標に対するまっすぐさと貪欲さだけは誰にも負けない自信は小4の小さな自分にもあった。この自信が私を早稲田に、そしてア式に導いてくれたと思う。
迎えた高3、3月、ただでさえ頭が良くない自分が夏から勉強をし始めて現役で受かるはずが無かった。最初から覚悟していた宅浪生活が始まった。宅浪の1年間、信じられるのは自分だけ。何が正解かも分からない、先が見えない孤独な戦いだった。
朝は5時半に起床、12時まで勉強して12時半まで昼休憩、15時半まで勉強して15時半から16時まで砂浜を走る。そして寝るまでまた勉強。勉強の間の休憩中にはア式のnoteを読んだ。
毎日毎日同じ内容を同じ時間にぶつぶつと唱える日々。側からみたらおかしい奴だったと思う。眠い時は家の中を歩きながらでも1日13時間程は毎日勉強した。
そうして迎えた2月、目標である早稲田大学に何とか合格できた。合格発表日は緊張しすぎて家にいてもたってもいられず、1人で家の前の漁港まで行って合格発表をみた。スマホに表示される「合格」のたった2文字を見た時、もちろん嬉しさもあったが、「やっとここまで来れた。」といった感情の方が強かった。ここがゴールじゃない、単なる中継地点だと。
「やっと早稲田に入れた。やっとア式に挑戦出来る。」
勉強はまったく好きではない。しかし、この1年、心から「きつい」と思ったことは1度もなくポジティブにやり遂げる事ができた。
何故、やり続けられたのか。
それは目標があったからである。
「目標」。
誰だって使う言葉だし設定することは誰だって簡単に出来る別にかっこよくも何ともない言葉。
しかし、そこに向かうプロセス、取り組み方、熱量は一人一人違う。
そんな目標は人生においてのゴールじゃなくて中継地点であると私は思う。
1つの目標を達成し、またさらに大きな次の目標へ、そしてまた次へ。目標に向かってまっすぐ進む。そんな過程で私は今までの人生、成長出来てきたと思う。
自分で打ち立てた一つ一つの目標が自分を動かし、日々の生活に活力をくれた。
この浪人生活の1年、同期のみんなにはふざけて「空白の1年」とか言っているが、間違いなく人生で1番の目標、そして自分と向き合えた濃い1年だった。そんな1年間を過ごすことが出来たのも高3の夏に自分が「早稲田大学に入学してア式に入る。」ことを目標に打ち立てたからであると思う。
早稲田大学に晴れて合格したことで次の「ア式蹴球部に入る」という目標に進めた。
1ヶ月の走り込みを経て1年で71キロまで太った体を戻し、何とか3度目のランテストに合格出来た。そして3週間の仮入部期間を経て5月10日、無事にア式蹴球部に入部することが出来た。
そして今に至る。
ア式にはプロに限りなく近い各世代の有名な人達が集まっていてそのレベルの高さには驚かされる日々。サッカーはまだしも、選手一人一人の主体性や、コミュニケーションの取り方などは自分に圧倒的に足りないことだなと仮入部期間に痛いほど思い知らされた。自分が求めていた環境がまさにア式にはあった。ここに来れて良かったと本気で思えた。自分が高3の夏にした決断は間違ってなかったのだと。
5月10日、入部した日、自分は1つの目標を立てた。
「4年後プロになる。」
とてつもなく大きな目標である。また1つ目標が生まれた。自分の小さな頃からの夢であり、人生最大の目標であることは間違いない。
4年間、楽で楽しいことばかりじゃない、挫折することもあるだろう。
しかし、これがまた4年間の活力になると思う。
地頭がかなり悪く、常にぼーっとしたポンコツとよく言われる自分だが、「目標に対するまっすぐさと貪欲さだけは誰にも負けない自信」とここまで来れた自分への少しのプライドを持って4年間、目標に向かって自分らしくまっすぐと進んで行きたいと思う。