「似ること、似ないこと」 4年・工藤泰平
ここまできて、サッカーにおいて難しいことがわかりました。
それは、最後まで諦めないことです。それは、似ること、似ないことです。
サッカーから教わったはずなのに、オトナになるにつれて難しくなりました。
まだ小さかったあの頃のボクには、想像もつきませんでした。
−最後まで諦めないこと−
サッカーにおける常套句ですが、綺麗事に聞こえることがあれば、諦めないぶっていることもあり、諦めないこと自体が無謀なことさえあります。
試合に出られない今季は、正直言って退屈でした。
ラストシーズンなのに、個人的には思うようにいかず、チームは思うように突き進む、まるで逆に進んでいるかのようでした。
終わり良ければすべて良し、ともいかず、それは、最期に相応しいリアルな終わり方。
サッカーな人生が、サッカーなボクが死んでいくのを日々痛感しています。
必要とされなかった悔しさ、忘れもしない人生の教訓となりました。
長い長いサッカーな人生でした。
どんな1日を切り取っても、そこにはサッカーがあって、みんながいて、感情的な自分らしい自分がいます。
自らを更なる高みへと向かわせ、なかなか諦めさせてくれない、このスポーツに、毎日魅了されました。
だけど、分かってはいたけど、
区切りをつけることになりそうです。
−似ること、似ないこと−
何処かで過去の自分を肯定しています。
そこそこのサッカー人生だった、と。
現在地は、常にココだから、何があっても前に進むしかない。
そんなこと分かりきっていても、進むチカラが弱く、情けないです。
4年生になるにつれて、出場機会は恵まれるものだと思います。
ボクは右肩下がり。
怪我もなく、元気な状態でベンチウォーマーさせてもらっています。
2年前の自分と今の自分。人としての脆さを突きつけられるラストシーズン。
正直、何度か諦めてしまいました。
そんな時。
自らの脆さに気づかされるたび、目に映るのは、仲間たちの溌剌とした姿でした。
余計に輝いて見えるから、見ないようにしていたのに、それは必ず映り込んできました。
そんな姿を見て、我に戻るのです。
ア式の4年生に似せた自分の中には、悔しくてたまらないのに笑いながら後輩を称え、誤魔化している自分がいました。
悔しさすら表現できなくなっている自分を知った時、終わりに近づいていることを実感しました。
今季のア式は、チームな気がします。
一人ひとりにチカラがあって、彼の活力が隣の彼に乗り移っていくような。
チカラが大っきい小さいとかではなくて、毎日みんなで積み重ねて、いいヤツばっかりで、エネルギーに満ちていて、本当に愛のある集団だと思います。その中で、誰にも似ないボクを発揮しようと今もなお奮闘中です。最後の最後まで、その戦いは続き、それはこれから先の人生でも同じだと思います。
サッカー選手を目指すことが現実的ではなくなってからは、サッカーそのものが夢のように感じられました。
今この瞬間にサッカーができること。それがどんなに幸せで尊いことなのか。
コロナ禍を4年生として生きたからこそ知れた「今」の価値だと思います。
今を大切にできれば、きっとこれから先のことも大切にできて、過去に起きたこともいずれ受け入れられるでしょう。
過去を問うよりも、受け入れて、変化して、今を生きる。
2020年は、人生において大切なことを学びました。
残るリーグ戦、全国大会にすべての想いを込めて戦います。
「絶対に勝ちたい」「出られないヤツのためにも」とかだけではなく、不安な気持ちや諦めたくなる瞬間もそのすべてに含まれます。
含まれるワケは、今日からサッカーが終わるまでの約1ヶ月のすべてがリアルだからです。
綺麗事なんか並べる余裕などなく、無我夢中で、泥臭く、4年生の意地を見せる他ないのです。
そんな日々を見事に貫いてしまいそうな仲間たちと、最後は笑って終わりたいです。
最高のサッカー人生だった、と言いたいです。
もちろん、言えないかもしれません。そして、どっちにしろ言っている自分も想像できます。
最後まで諦めないこと。似ること、似ないこと。
今の自分だけに伝えたいのではありません。
これから先、生きていくうえで、仕事はサッカーより諦めにくいとしても、諦めたくなることは増えるでしょう。
気がつけば似ることが増え、似ないことを避けるようになるかもしれません。
正解を求められ、正解なんて誰が決めたんだ、と思い悩むことがあるはずです。
毎日に追われ、逃げるようにたどり着く家路。
酒を飲む華金。憂鬱な月曜日。膨れる腹。足りない刺激。趣味・ゴルフ。
容易に想像がつく、サッカーを懐かしむ自分。
サッカーな人生が終われば、サッカーを感じやすくなると思います。
自分の息子がサッカーをする姿を見て、、、
自分の娘と外で遊んでいる時にサッカーボールが転がってきて、、、
プロの世界で活躍する同期の姿を見て、、、
今、感じられていないことを思い出すかのように感じられる日が来るかもしれません。
でも、そんな日は、自分らしく諦めずに生きていないと思い出せない気がします。
世の中的に、それっぽい正解で似たような感じもきっと必要です。
しかし、誰にも似ない自分らしさや正解を求めることこそが人生と言えるのではないでしょうか。
サッカーが遠ざかる、これから先の人生では、これまで以上に自分らしさを追求し、正解に囚われすぎないことが大切だと思います。
人生100年時代、漠然と100歳まで生きる自信があるボクは、あと80年も生きなくてはなりません。
そして、その80年は、サッカーが中心ではなく、会社員として、パパとして、新たな家族と共に歩むことになります。
その第一歩として、来春から、知らない世界で、知らない人々と、知らない人々のために働くのです。
似せてしまえば、こなしてしまえば、諦めてしまえば、そう難しいことはないと思います。
しかし、
何か社会を豊かにするような新しい価値を考えていくこと。
別世界で、自分らしさを再定義・模索し、表現していくこと。
ゼロから信頼関係を構築すること。
給与に代わる対価を行動や結果で示し続けること。
誰にも似ないボクを発揮すること。
似ないように、諦めないようにすれば、幾多の困難と茨の道が待っています。
それだけの成長や変化が見込める道だとも思います。
複雑で埋もれやすい、サッカーとは無縁の世界だからこそ、
似ないことを恐れず、似ることも忘れず、最後まで諦めずに生きていきます。
誰かに感化され続ける新人時代は、ア式の門を叩いた頃ときっと同じで、慣れ始めた3年目に調子に乗りそうなのもきっと同じで、常に似ないようにして結局似てしまうことがあるのもきっと同じだと思います。
社会人としてぶつかる困難にも、サッカーが創り上げた、今のボクを大切にして乗り越えていきます。
もうじき壮大な話が始まります。第二章とでも言うのでしょうか。
終わりがあれば、また始まって、浮き沈みもあって、人生とはその繰り返しである、とサッカーが教えてくれました。
絶望的だった練習生時代から、気がつけば、関東リーグのピッチに立っていて、優勝も降格争いも歓喜も屈辱も繰り返し、引退間際の4年目・12月まで来ちゃいました。
サッカーな人生の最後に、ア式に辿り着けて、良かったです。
みんなに出会えて、良かったです。
まだまだ終わりたくないので、後輩のみんな、チカラ貸してください。
サッカーな人生も本当に残りわずか。
一つだけ、言えることがあるとすれば、
それは、人生がまだまだこれからで、その人生はボクの人生であること。
サッカーに頼ることなく自分の脚で何処か遠くへと旅に出ます。
何処に辿り着いてもいい、周りに誰がいてもいいです。
今度こそ、必要とされる存在になる。それができたなら。それができるまで。
新たな人生が始まる前に、サッカーな人生に最高の別れを告げに行きます。
早慶戦
12月5日(土)
@駒沢オリンピック公園陸上競技場
13時キックオフ
コロナ禍において有観客で開催される伝統の早慶戦は、サッカーな人生を物語る歴史的な日になるでしょう。
この場を借りて、関係各社やOBOG、協賛企業様へ感謝を述べるのは、なんだか違う気がします。ピッチ上で、溌剌としたプレーや姿、生き様でお伝えしたいです。
まだ見ぬ自分に4年目の12月に出会えると思うとドキドキします。
素晴らしい相手と早慶戦という時間に最大のリスペクトと感謝を込めて。
チームの勝利のためだけに必死こいて走ります。
応援のほど、よろしくお願いいたします。
哲学:「Waseda the 1st. 〜選手としても人としても一番であれ〜」
ビジョン:「日本をリードする存在になる」
ミッション:「誰かの明日への活力になる」
最後まで諦めないこと。似ること、似ないこと。
お祭り男、再び。
前に、強く。自分らしく。
4年生、最後まで頑張ろう!
下級生、いつもありがとう!
◇工藤泰平(くどうたいへい)◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:日本大学藤沢高校
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?