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【早稲田カップ2025 epilogue】 「生きる」 新2年・斎藤直晴
あの日、皆さんは何をしていたでしょうか。
早稲田大学ア式蹴球部新2年斎藤直晴です。
今年の早稲田カップ in陸前高田に参加させてもらいました。
今回、このような素晴らしい大会の開催に携わっていただいた、スポンサー企業の皆様、ご協力いただいた現地の皆様をはじめとした、関係者すべての方々に心から感謝申し上げます。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけたら光栄です。
あの日
2011年3月11日14時46分 東日本大震災発生
それは、幼稚園の体操教室が終わり、着替えて帰ろうとした矢先に起きた。そこから、しばらく幼稚園に待機。待機中は近くの友達と「怖いね」と話していたのを覚えている。幸い、母親が一緒にいたことや、家から幼稚園は自転車で帰れる距離だったことから、スムーズに帰宅することができた。家族や親族も全員無事だった。
帰宅後、テレビをつけると、いつものようなテレビ番組はやっておらず、全番組がニュースになっていた。放送されていたのは、押し寄せる津波の映像、避難を促すアナウンサーの姿、さまざまな速報。今でも鮮明に記憶が残っている。
あの日から2年ぐらいが経った小学校1年生の時。担任の先生が東日本大震災で被災した経験を持つ先生だった。震災の話になったときに、泣きながら当時の経験を話し始めた。当時の自分でも、泣きながら語る先生を見て、あの震災のせいで、多くの人を悲しませ、絶望に追いやったことぐらいは理解できた。
2日間
あれから14年の月日が経とうとしている今年、ご縁もあり、早稲田カップin陸前高田に参加することができた。子供達からパワーをもらい、震災についての、本物を知ることができた。思い出に残ったことを振り返っていこうと思う。
新幹線下車後、バスに乗り込み、大会が行われる、上長部グラウンドまで向かった。
バスに乗っている間、しばらく何もせずに外を眺めていた。畑や田んぼが広がる、のどかな街並みを見ることができた。ただ、その場所をYouTubeで調べ、当時の震災の映像を見ると、衝撃が走った。
自分がいた東京とは、比べ物にならないくらいの揺れ。次々と建物が倒壊し、たくさんの人の悲鳴が響き渡っていた。
こんなに綺麗な場所が。そう思うと、心が痛んだ。
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バスがグラウンドに到着すると、すぐに子どもたちと交流し、試合に臨んだ。個性豊かな子達だったが、みんなが輝いて見えた。子供と触れ合うことは、もともと好きだったが、さらに好きになれた気がした。
最初は心を閉ざしていた子どもたちが、2日間を通じて、徐々に心を開いてくれた。特に、GKの子の成長は、めちゃくちゃ感動した。決勝戦の大事な場面で、ビックセーブ。彼の学ぶ姿勢はすごかったし、2日間でここまで人は変われる。そう気付かされた。
それ以外にも、合間の時間で疲れるくらい鬼ごっこをできたことや、最初は話しかけてくれもしなかった子が絶対来年も来てねって言ってくれたこと、バスが出発しても、ダッシュで追いかけてくれた子がいたこと等、全部が本当に楽しかった思い出だ。単純すぎるかもしれないけど、無邪気な子供達を見て、エネルギーをもらった。
みんな、ありがとう。
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1つ謝らなきゃいけないことがあるとするならば、1日目の最後に、大誤審をしたことである。それに関しては、しっかり謝りたいです。本当にすみません。
夜には懇親会を行い、たくさんの人と、たくさんの話をすることができた。その後、同期と奇跡の一本松まで歩いて向かった。やけに新しく舗装された道、建物が何もない景色、ライトアップされた綺麗な一本松、その後ろにあった当時のままの建物。全てに衝撃を受けた。次の日には、慰霊碑、震災遺構などたくさんの場所に訪れた。すがとよ酒店では、当時の話から、復興への道のりなど、本物の話を聞くこともできた。
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早稲田カップは楽しいだけじゃない。被災地に訪れて、開催する意味というものを強く感じた経験だった。
これから
たくさんの思い出が詰まった、今回の早稲田カップ。私は今回の活動を通じて、大きく2つのことを学んだ。
1つ目は、「今を全力で生きることの大切さ」である。
懇親会で、私が担当していたチームの選手のお父様とお話しした時の言葉で印象に残っていることがある。
「この後、奇跡の一本松って、ここから遠いですか?」
「少し遠いけど、行ってみれば?」
「ありがとうございます。行ってみます!」
「俺のおじいちゃんおばあちゃんがいるから、祈ってきてね」
私は、この言葉が頭から離れなかった。この場所では、約14年前、たくさんの人が犠牲になっている。震度6弱の地震が、約18.3mの津波が、たくさんの人の命を奪った。それは、翌日の震災遺構に行った際にも感じた。高台にあった、慰霊碑には、数えられないくらいのたくさんの人の名前が刻まれていた。子供達の笑顔と元気で忘れかけていたけど、懇親会の何気ない言葉から、あの日の苦しみが伝わってきた。と同時に、
「今、生きることができている」
この事実の、ありがたみを感じさせられた。
また、2日目の最後に訪れた、すがとよ酒店で、その思いがより強いものに変わった。
「今を全力で生きてください」
店主の母親である文子さんがおしゃっていた言葉が、強く印象に残った。
「笑顔あふれる良き日々を」と書かれた、カードも印象的だ。
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あの日のせいで、心に深い傷を負っても、「希望」を捨てずに、強く生きてきた人がいる。
あの日のせいで、今を、生きたくても、生きられなかった人がいる。
だからこそ、「今を生きられること」に感謝をし、精一杯、一生懸命、生きてみようと思う。
2つ目は、「災害に対する意識」である。
東日本大震災では、避難所に逃げ込んだ人や、高台に逃げた人まで、犠牲になった。目の前で家族が流された人もいる。逆に、建物の1番上によじ登り、あと数cmのところで助かった人もいる。そのような話を聞いたときに、自然の脅威を感じた。
「自然は容赦しない」
逃げる時間を与えてあげよう。ここまで逃げたら、流石に可哀想だから襲わないでおこう。そんなものは存在しない。
容赦なく、罪のない人を襲っていく。それが自然災害の脅威だと実感した。
だからこそ、日々の災害に対する意識が重要なのではないか。「災害の国」と呼ばれる国に住んでいるならば、「いつ」「どこで」「どんな」災害が起きても、生き延びられるように準備するべきだ。
改めて、このような素晴らしい経験ができたのは、多くの方の支援があってこそだと思います。
心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
このような機会が、これからもずっと続いていくことを願っております。
みんな、また来年ね!
◇斎藤直晴(さいとうなおはる)◇
学年:新2年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:日本大学藤沢高等学校