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【#Real Voice 2024】 「誰の何のために戦うか」 新4年・髙見真史
2024年11月16日。
超満員のホーム・東伏見グラウンド。
試合終了の笛と同時に落胆するエンジのチームと歓喜に沸く白いチーム。
ただただ涙が止まらなかった。
それは昇格できない悔しさというより、大好きな4年生たちともう2度とサッカーができなくなることに対する寂しさ、彼らを「昇格できなかった代」として送り出すことになってしまった情けなさ、スタンドから応援してくれていた部員たちへの申し訳なさ、そして何よりも自分が何もチームに貢献できなかった不甲斐なさからだったと思う。
あと一歩のところで昇格を逃した23シーズンの雪辱を果たすために再起をかけて戦ったが、終わってみれば5位。最後まで自力で昇格を掴むチャンスがあったにも関わらず、するすると手から滑り落ちていった。
一瞬だった。
1年間試行錯誤しながらやってきた結果がこれか。
「またか。」
「情けない。」
本日の部員ブログを担当します、新4年マネージャーの高見真史です。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
【仮説】
冒頭にも書きましたが、早稲田大学ア式蹴球部は今年も関東1部昇格を逃しました。
最後まで自力での昇格の可能性があったという点では前シーズンよりも成長したかもしれませんが、結局のところ昇格できなかったという事実が残るだけ。3位だろうが5位だろうが変わりません。
1部昇格と日本一を掲げたシーズンでしたが何一つ目標を達成することができませんでした。
これが全て。
自分たちの年間の取り組みが5位のチーム、5位のマネージャーのクオリティだったということ。
別に誰1人手を抜いていた部員はいなかったし、みんなが全力で取り組んだシーズンだったとは思います。それでも届かなかった昇格と日本一。シンプルな実力不足だったということです。
「隙」や「甘さ」などという言葉で表現されることが多いですが、これに尽きると思います。
昇格するのに何かが足りなかった。何かが届かなかった。これがチームの弱さだと思います。
この「何か」を認識し、認め、受け入れ、補って、改善していかないと多分来年も昇格できません。
だから、この「何か」を考えました。もちろん原因は色々あって、このチームの各々が感じていることはさまざまあると思うので、正解ではないと思いますが、自分が考える「仮説」ということにしたいと思います。
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【ア式のこと】
「誰の何のために戦うか」
これは去年の年始に自分に課したテーマです。
チームを最前線で支えてくれていた4人のマネージャーが引退し、チームにとっては大きな痛手。
上級生となり、自分の仕事の担当範囲的に色々な決断や判断を下さなくてはいけない立場になり、大きな責任が自分にのしかかることになりました。
実は、これが自分にとっては結構なプレッシャーでした。自分の判断ミスで即チームに迷惑をかけてしまう状況。雑な仕事はできないし、常に気が抜けない。ぶっちゃけ、シーズン通してちょっと苦しかった。
それでも、ア式のマネージャーとして活動するとき、このテーマを問い続けることで本気でその責任に向き合えそうな気がしたし、これを考え続けることで組織に対する責任感やモチベーションが高まると考えて設定しました。
問い自体はシンプルだし、何となく答えは見つかるだろうと思っていましたが、思いの外難しい。
正確には、色々当てはまりすぎて、よくわからなかったというのが正しい表現かもしれません。
日頃から応援してくれているサポーターへ勝利を届けるためか。
色々な手助けをしてくれるOB/OGに恩返しするためか。
家族に喜んでもらうためか。
はたまた、自分の夢の実現のためか。
どれも当てはまるし、間違ってはいないはず。
でも、何かしっくりきませんでした。
そんなことを毎日考え、目の前のことに追われ必死になりながらも、気がつけば高く上る太陽と暑さにやられる季節に。
前期の成績は、優勝・昇格を考えるとかなり厳しい状況。アミノ杯は勝ち上がったものの、リーグ戦はボトムハーフで折り返し。
決してチームの雰囲気は悪くない。全員が週末の勝利の為にコミットしていたし、何とか状況を打破しようと必死にもがいていました。
でも、試合に勝てない。いい試合をしても最後の最後で追いつかれたり。あと一歩のところで結果が出ない。
今振り返ると、チームには幾ばくかの閉塞感が漂っていたように思います。
個人的にも、毎週最善の準備を積み重ねて、自分にできる最大限のことをしていたつもりでした。
それでも結果が出なければ、その1週間の準備が否定される。
勝つチームのマネージャーとしての仕事をすることができなかった原因は何だったのか。
あの日のあの練習セッションのオーガナイズがもっと上手くいっていれば、もう一つ細かいコミュニケーションができていれば、もっとチームを円滑に動かせていれば。
勝てなかった日の夜はひたすら1週間を頭の中で振り返り、チームの力になれていない自分を勝手に全否定して。
けれど、次の試合は必ずやってくる。
次こそは上手くいくように、と反省点を改善して、何とかトンネルを抜け出そうとしました。
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【きっかけ】
そんな中でチームに一筋の光が差し込んだのは、8.25国立早慶戦だったように思います。
「復活の国立」を掲げ、前期リーグ戦で屈辱的な大敗を喫した相手へリベンジするこれ以上ない機会でした。
この舞台は学生の手作りで開催される大学サッカー界最大のイベントです。
早慶戦は多くの選手の憧れの舞台であり、早慶戦に出たくて入部してくる選手も数多くいます。
そんな背景もあり早慶戦にかける部員の思いは自然と大きくなるものですが、競争の世界なので、メンバー入りできるのはたった20名のみ。
中には、直前で急にメンバー落ちする選手もいれば、急にメンバー入りする選手もいます。
当然、早慶戦で活躍するために頑張っていたのに急にメンバーから外れた選手の心は穏やかではないし、当日は仕事に追われ試合すらまともに見られない選手も出てきます。おそらくですが、これはマネージャーの僕には理解できないくらい悔しいことだと思います。
それでも、彼らは悔しい気持ちを何とか押し殺して嫌な顔一つせず、出場する選手たちが最高の雰囲気・環境でプレーできるように運営に協力してくれ、心の底から早稲田の勝利を祈っていました。
だからこそ、反対に、メンバーに入った選手たちは全力で、いや、命を懸けてでもピッチ上で戦う責任があります。出たくても出られない仲間のために必死で走り、ぶつかり、何度倒されても立ち上がって、早稲田の誇りのためだけに戦います。
もちろん、これは選手に限った話ではなく、我々スタッフ陣も一緒に戦います。
この姿勢を全員で体現できたのが国立早慶クラシコでした。
全員が
ア式のために。
仲間のために。
自分に与えられた仕事を100%以上の力を出して成し遂げられたと思います。
僕自身も、体を投げ出してシュートをブロックする選手たちのプレーに、重たいテントを何個も組み立て移動させる部員の姿に魂を揺さぶられました。
結果的に4-0での勝利。
試合が終わっていない後半ATに国立に響く紺碧の空は格別でした。
(余談ですが、1年生のときにギリギリでメンバーに入れず櫓で人目を憚らず悔し涙を流していた奏希(新4年・本保奏希)がスーパーゴールをぶち込んだ瞬間はすごく嬉しかったしマジで痺れました)
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明らかにここで潮目が変わりました。
「チームで戦う」
「早稲田のために戦う」
あの時は上手く言語化できなかったけれど、大事な「何か」に気付かされたチームは総理杯で前年の結果を更新しました。筑波には負けましたが、一つになって最後まで戦い散っていく姿はある種の潔さすらあったように感じています。
もちろん、ここで負けたことで日本一の目標は潰えたわけで。その負けた姿を美化するつもりは全くありませんし、個人としても遠征中の反省点も数多く見つかりました。
同時に、やはり「姿勢」だけで勝てるほどサッカーは甘くないのだと痛感しました。
続く中断明けのリーグ戦は城西大戦での敗戦を挟みながらも、もう一度チームで戦うことを全員が再認識し、その後は4連勝。以降負けなしでリーグを終えました。
【何か】
城西大に負けた後、とうとう後がなくなりました。順位も10位まで落ちました。
シンプルに絶望的な状況。復調の兆しがあった中でのこの敗戦は、チームの心を折るのにもはや十分すぎるくらいの衝撃でした。
それでも、諦める人はいませんでした。
ここでみんなが諦めなかったのは、早稲田のために、仲間のために戦うという絶対に失ってはいけないプライドがあったからだと思います。
合言葉は「One Team」。
このスローガンのもと、少しずつチームが変わっていくのを肌で感じました。
個人が個人のためにバラバラに頑張るのではなく、もう一つ大きな目的と理由を持って行動するようになったと思います。
平たく言うと、「チームになった」のだと思います。
全員がチームのため、仲間のために走っていた。
怪我で出場できない仲間の想いを背負っていた。
退場した仲間の分まで体を投げ出していた。
隣でキツそうな顔をする仲間のためにカバーリングする仲間がいた。
それに応えていつも以上のパワーを発揮する仲間がいた。
選手が試合に集中できる環境を作るサポートスタッフがいた。
寝る間を惜しんで相手の弱点を探すコーチがいた。
足が止まりかけた選手をスタンドから鼓舞する仲間がいた。
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「誰の何のために戦うか」
1年間問い続けたテーマ。
「隣の仲間を勇気づけるために戦う」
たどりついた答え。
自分が頑張ることで、隣にいる誰かが頑張ろうと思える。
隣にいる仲間のために走る、声を出す、スパイクを磨く、テーピングを巻く、試合運営をする。
選手だろうがスタッフだろうが立場は関係ない。
隣にいる仲間のために、与えられた場所で全力で戦う。
そうすることで、自然と結果はついてくる。
ただ単に、「自分の責任を果たすため」に頑張る、のと「隣の仲間のため」に頑張る、のは似ているようで、本質的に全く異なることだと思います。
改めて客観的に比較してみると、まきやくんも言っていたように、勝てなかった前期と勝てるようになった後期とで変わったのはここくらいだと思います。
サッカーの中身の部分は僕にはよくわかりませんが、チームとして180°何かを劇的に変えたり、それまでの取り組みや積み上げたものを真っ向から否定したりすることはなかったはずです。
自分が自分のために頑張ることは何よりもプロフェッショナルなあり方で、あるべき姿だと思いますし、チームがチームであるために欠かせない行動だと思います。
でも、自分が誰かのために頑張ることはチームにとってもっと大きなエネルギーを生み出すに違いありません。
昇格・日本一を目指すにあたって自分たちに足りなかった「何か」。
一言で表すとしたら
「犠牲心」
ときに自分にとって譲れない何かを捨ててまでチームのために自己犠牲を厭わずにいられるか。
これが僕の「仮説」。
犠牲心があれば勝てるというわけではありませんが、全員がどこかで、何かしらの犠牲を払うことができるようになることが勝つチームになるための条件だとシーズンを通じて学びました。
そして、結局のところ、これこそが
「早稲田らしさ」
なんじゃないかと思います。
早稲田大学ア式蹴球部は泥臭く、愚直に、ひたむきに戦うのが強み(だった)というのは周知の事実だと思います。
それが根付いた背景には、犠牲を払ってでも同じ組織に属する仲間のために行動するという哲学があったに違いありません。
だけど、今のア式にその精神がはっきりと存在しているかと言われると、多分、そうではないと思います。
もしかすると、これが今我々が抱えている「隙」の根源なのではないでしょうか。
我々はこれを教訓にしなければなりません。
今、この瞬間からチームで戦う準備をしていかなければなりません。
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【自分のこと】
「早稲田らしさ」が長い歴史の中で根付いた所以。
これに気がつくのが少し遅過ぎたみたいです。
立場が変わり、背負う責任の重さも範囲も大きくなったが故に、目の前の仕事をルーティーン的にこなし、何とか形にすることでどこか満足している自分がいました。
何とか自分の責任範囲を果たすために、とにかく迷惑だけはかけないように、と誰かのためではなく、自分のために頑張っている自分がいました。
これが自分の弱さ。
「情けない。」
冒頭のシーンで頭を駆け巡ったこの感覚の根底にあったのは「本当の意味で隣の仲間のために頑張れなかった」という事実とそれを突きつけられたことによる不甲斐なさだったのです。
仕事柄、見かけ上は誰かのためにしている仕事が多いものの、結局は自分の責任を果たすために自己目的化しているに過ぎなかったのだと思います。
自分の責任を全うすることに加えて、もう一つ些細なことでもこだわりや意味づけをすることができるか、本当の意味で仲間を勇気づけ、奮起させたり、モチベートさせたりするアクションを起こせるか。
もう一つ高い感度と視座を持って自分の役割を果たさなければなりません。
25シーズンはより厳しく、苦しい戦いが待っているでしょう。
隣にいる仲間が悩み、苦しんでいるとき、自分の仕事が、言葉が、気遣いが、立ち振る舞いが助けを差し伸べる光となるように。
何かに本気で取り組んでいるその瞬間が、隣にいる仲間の勇気になることを信じて。
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【理由】
一連の問いと仮説を考えることを通じて、再度考えたことがあります。
「なぜ大学に来てまでサッカーをするのか」
「なぜマネージャーとしてプロの世界に行きたいのか」
もう少し括ると
「なぜ競技レベルでサッカーに関わりたいのか」
この問いをもう一度深く考えることが増えました。
ア式にきて最初に問いかけられること。
一年生の時に戻ったような感覚ですが、この問いをクリアにしないとあらゆる動機づけに矛盾が生まれてくる気がしました。
サッカーが好きだから、プロの世界への憧れがあるから、夢を与える選手たちを支えたいから。
色々なものありますが、今年のア式での活動と、その他の活動を通じて新しい理由を発見しました。
それは、
「サッカーを通じて人々の幸福度を高める一助になりたい」
という理由です。
これは大学に入ってからお世話になっている方の言葉をほぼほぼ引用させていただいたものなのですが、僕はこの言葉に深い共感と頭を撃ち抜かれるような強い衝撃を受けました。
コロナ禍でも明らかになったように、サッカーは生活に必要不可欠かと言われたら、そうでもない。いわゆる不要不急のエンタメに分類されるでしょう。
だからこそ、競技レベルのフットボールは勝ち負けだけにとらわれず、見ている人々の心を動かしたり、何かを届けたりすることでしかその存在意義や価値を発揮し得ないのです。
この事実があるからこそ、サッカーを通じて人々の心に潤いや感動、爆発的な熱狂、ときにはネガティブな感情をも抱かせることに大きな価値があると考えます。
おそらく、これらすべての感情を引き起こさせることを包含して幸福度を高めるという表現になったのだと思いますが、これこそが大学サッカーやプロサッカー興業が秘めているポテンシャルなのです。
実際に、僕も1人のサッカーファンとしてJリーグに、プロの世界に様々な感情や体験を与えてもらいました。これは僕の人生を形作るのの何にも変え難いものでしたし、その原体験は死ぬまで自分の中に生き続けると思います。
今度は自分が誰かの人生を彩るお手伝いをしたい。
サッカーに関わるすべての人の感情を揺さぶる助けになりたい。
この目標を叶えることが、きっと今まで自分に夢や感動を与えてくれた人たちへの感謝と恩返しとなると胸を躍らせて。
早稲田大学ア式蹴球部が再びいるべき場所に戻り、栄光を取り戻し次の100年を積み上げていくために、覚悟を持ってア式に、自分に、向き合っていく決意をここに表明して、今年のブログを閉じたいと思います。
ご精読ありがとうございました。
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次の担当はちゃちゃだいこと笹木大史くん(早稲田大学高等学院)です!
初対面の時、「たかみって珍しい苗字だね」と言っただいしに対して、しゅん君(新4年・谷村峻)に「お前の笹木の方が珍しいだろ」と突っ込まれていた姿がどうしても忘れられません。
ア式に来てから苦労しながらも、弛まぬ努力の積み重ねで関東リーガーにまで上り詰めました。1年生の秋くらいに「マジで関東出たいよなぁ。ガチ頑張ろ。」と部室で宣言してたの忘れてないからね。自分で掴み取ったチャンスをものにして活躍する姿はめっちゃかっこいいです。心から尊敬してます。彼の言葉にはどんな想いが綴られるのでしょうか。
皆様どうぞご期待ください!
◇髙見真史(たかみまさふみ)◇
学年:新4年
学部:人間科学部
前所属チーム:栄東高等学校
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