【早稲田カップ2025 epilogue】 「気仙沼での学び」 新2年・野田隼太郎
はじめに、早稲田カップという素晴らしい大会を開催するにあたり尽力してくださった方々や、スポンサーとしてこの大会を支えてくださった企業の方々に感謝したいと思います。ありがとうございました。
約14年前の2011年3月11日。
東日本大震災が起き、東北地方沿岸を津波が襲った。
当時の私は福井県の幼稚園に通っていたのだが、その日のことは意外にも記憶に残っている。自分自身揺れは感じてなかったのだが、職員室の先生がザワザワしているのを見て、何か起きたんだろうと思っていた。そして、家に帰りテレビをつけると信じられないような光景が広がっていた。どのチャンネルを押しても津波の映像が放送されており、当時は夕食時テレビ禁止の家庭だったのだが、その日だけはテレビに釘付けで夕食を食べたのを覚えている。幼稚園児の自分ですら、衝撃を受ける出来事だった。
中学ではJFAアカデミー福島に所属していたこともあり、東日本大震災に関して学ぶ機会は度々あった。しかし、実際に津波の被害を受けた被災地に行ったことはなかったため、ア式蹴球部に入部した当初から早稲田カップに参加したいという思いがあった。そのため、早稲田カップには積極的に参加した。
気仙沼に到着し、早稲田カップの開催前。
まずは、伝承館へ行き、震災当時の話を語り手の方々に聞き、実際に被害に遭った高校の校舎を見て回った。校舎は被災した時からそのままの状態で残されていた。
はじめこの写真にある校舎を見た時、壊れているところは再現したのだと思っていた。
しかし、実際に津波があの高さまできて壊されたことを知り、津波がどれほど恐ろしいものなのかを感じた。
今までも映像などを通して津波の恐ろしさは知っていたが、実際に被災地に行って自分の目で被災地を見ることでしか感じられない地震や津波の悲惨さをより多くの人に感じてもらいたいと思った。
語り手の方の話の中で印象に残った話がある。
この話はとても心に響いた。
より多くの人に『大切な人の命を守るため』に探すのではなくすぐ避難することの大切さを知ってもらいたい。
そして迎えた早稲田カップ in気仙沼。
2日間に渡り、大川さくら総合公園で開催された。
私は気仙沼シャークスFCと一緒に大会に臨んだ。
8位という結果に終わってしまったが、結果以上にシャークスの小学生たちと過ごした時間は楽しくて本当にかけがえのない時間だった。
アップは適当だけど試合は本気で、負けると悔しすぎて泣いてしまうキャプテン。
キャプテンに怒られて泣いちゃう子たち。
俊足ウィンガーの語り手。
横綱と大関、それに小結。
試合に出たいと主張が激しい割に交代しようとするとあの子は変えない方がいいと困らせてくる子たち。
はじめからチームが勝つために出なくていいという子たち。
LINEを欲しがるキーパー。
ポケモンGOをやりたがる子たち。
色々な個性を持った子たちと一緒に純粋にサッカーを楽しむことができた。
点を決めた時や外した時はどの小学生より盛り上がっていたような気もする。
チームは小学3年生以上の子たちだったのだが、2年生以下の子たちとも間の時間で一緒にサッカーをする時間があった。
その時間では小学生の元気の良さとパワーに圧倒されたが、とても元気をもらえた。
その全部が自分の一生の思い出だ。
早稲田カップはコーチという役割で参加していたのだが、小学生から学ぶことの方が多かった。
『サッカーを楽しむ』
これは自分が一番意識していること。
早稲田カップで純粋にサッカーを楽しむ小学生の姿を見て『サッカーを楽しむ』ことの大切さを再認識することができた。
そして、
『サッカーは人と人を心から繋ぐ力があること』
を学んだ。
2日間という本当に短い間だったのにも関わらず、シャークスのみんなと早稲田大学の学生、OBのゆうすけさん全員が一つのチームとして繋がっていた。
いやそれだけでなく、早稲田カップに参加していた地元チームや関係者全員と早稲田大学ア式蹴球部の学生、OB全員がサッカーを通して繋がっていた。
これは早稲田カップに参加してる人なら感じたことだろう。少なくとも私にはそう感じた。
それがどれだけ凄いことなのか、身をもって感じることができた。
サッカーを当たり前に出来ることに感謝し、サッカーの素晴らしさを噛み締めながらこれからも楽しんでプレーし、ア式蹴球部の目標を達成したい。
来年も気仙沼シャークスFCのみんなと早稲田カップでサッカーができることを楽しみにしています!お互い成長した姿で会いましょう!
最後に
この2日間でお世話になった方々や早稲田カップ開催にあたり尽力してくださった方々に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。