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【#Real Voice 2024】 「No Soccer No Life」 1年・岡村珀

いつからだろう、“笛で始まり笛で終わる”その瞬間にピッチに立てなくなったのは。


「はあ、今日は何を作ろうかなぁ」


そう口にしながら家までの帰り道、今日1日を振り返る。


朝起きてワンタップ。歯を磨いて顔を洗って身支度済ませ。家を出てコンビニへ。


ゼリー、バナナ、おにぎり...


部室に着いて練習の準備。今日はゲバ。いわゆる紅白戦。私は共有グラウンド(サッカーコートおよそ6分の1サイズのサブグラウンド)で1対1、2対2、3対3とこなしてく。


「ゲバ(紅白戦)終わったよ。」そんな声が聞こえてグラウンドへ。それから少し練習をして。


集合の合図がかかる、「今日のゲバは...」


話し終わって片付けへ。部室に戻って「お疲れ様です!」先輩に挨拶をする。



あれ、何してんだろ俺。」



幼少期

園内で行われていたサッカースクール。無我夢中に走り回り、点を取る。母が言うには、運動好きだった私は見学をすっ飛ばしてもう混ざっていたらしい。この頃からサッカー選手に憧れを抱いていた。


小学生

2年生の秋から本気でサッカーに打ち込むようになる。
私が所属していたチームにはスクールと選手コースがあり、コーチに誘われたのをきっかけに選手コースに所属するようになった。そこでは、上手い選手が多くいて、もっとうまくなりたいと感じたのを覚えている。


それから仲間と切磋琢磨しながら楽しく、「サッカー選手」という夢を忘れずに。


6年生、初めて選手コースに来てから一緒にサッカーをできているのは3人。多くの仲間は他チームへ。それも強豪チーム。
仲間が1人離れるたびに泣き、その怒りが他の仲間へ向き喧嘩。仲間を傷つけ、孤独になる。
負けた試合、コーチからは「お前のせいだ。」 このチームには私の居場所はない。



私は、「あー、サッカーやめたいな。



今思えばこれが1つ目の私の人生の転機だったのだろう。サッカーを辞めるか。人として変わるか。
この2択、私が選んだのは「人として変わる」でした。
サッカーを辞めたい。そう思ったのにも関わらず、やっぱりサッカーを続けることを選ぶということはサッカーが好きだったのだと思う。それからはこれまでの自分の行動を反省し、失った信頼を取り戻すために、仲間に認めてもらえるように努力した。私はこの時、人として大きく成長できたのだった。


中学生

群馬県ではかなり強豪のクラブチームに入る。上手い選手に囲まれてサッカーすることはとても楽しく、この中でスタメンになれるように頑張ろうと決意した。


2年生、努力が実を結び、スタメンとして出られるようになる。
しかし、出られない選手の思いを背負って試合に出ることはとても緊張するものであった。そうしてだんだんとミスが増え、ボールを失う。ミスするたびにコーチに怒鳴られる。ミスするたびに見える仲間からの嫌な視線。いつしか私は、練習に行くのが「怖い」と感じるようになっていた。
「ミスしてしまうかも」「仲間に迷惑をかけてしまうかも」「また怒られる」



もうやめたい。



この時、2度目の人生の転機。このまま続けるか。部活に入部するか。
私は「このまま続ける」という選択を選ぶ。やめてしまえば楽なのに。
今回はどちらにせよサッカーを続ける選択だが、高校への推薦や、これまで一緒に練習してきた仲間に別れを告げることなど、少なからず今後の人生に大きな影響を与えるのは間違いのない選択だったと思う。だいぶ前のことで忘れてしまったが、何かふとしたきっかけでサッカーを楽しもうと決意したのは覚えている。それから試合に出られないときもあったが、最終的には試合に出られるようになり、高円宮杯では関東大会ベスト16と、このチームの歴代最高成績を収めることが出来たのである。


高校生

中学の時に勉強はそこそこでき、サッカーでもよい成績を収められたこともあり、早稲田大学本庄高等学院に入学することが出来た。




2年生の秋、紅白戦の最中に起きた。相手の膝が左足の大腿部に入り、左大腿部部分断裂。親が迎えに来られない状況で必死に松葉杖を突きながら電車に乗ったのを覚えている。ただでさえ痛いのに貧血でめまい。周りの人に呼吸が荒くて、つらいことは絶対に伝わっているのに譲ってもらえない優先席。地獄のような時間を過ごしたことを今でも鮮明に記憶している。それだけでは終わらない。先輩と一緒にサッカーが出来る最後の大会、選手権への出場ができないことが決まった瞬間でもあった。


高校3年生、左大腿部の怪我は治ったが、新たに怪我をしてしまう。治っては怪我、治っては怪我。高校2年生の秋から始まった悪夢は最後の選手権まで続いた。選手権、最後の試合。それはあまりにもあっけなく終わった。


涙が出ない、果たして私はサッカーをやりきれたのだろうか。


チームメイトはこの日を境にスパイクを脱ぐことを決める中、私は一人悩んだ。
監督からは、「大学のサッカーは素晴らしい環境でできる」と聞いていた。


これまで、何のためにサッカーを続けてきたのか、こんな終わり方でいいのか。


好きで始めたサッカー。何度もやめたくなったサッカー。それでも続けてきたサッカー。多くの出会いをくれたサッカー。人として成長できたサッカー。


サッカーなしでは私は私でなくなってしまう。そんな気がした。


2024年4月、約1ヶ月の仮入部期間を終えて正式に入部できることが決まった。


No Soccer No Life


そう、私はサッカーが好きだ。だから続けている。サッカーが私に与えてくれたものははかり知れない。


私は今日も明日の為にメニューを考える。
“笛で始まり笛で終わる”その瞬間にピッチに立っているために。



次回のブログの担当者は女子マネージャーの片山葵泉さん(1年・明治大学付属明治高等学校)です。
ピッチ内外問わず多くの仕事を完璧にこなします!そしてサッカーが大好きで、清水エスパルスの大ファンです。そんな彼女が何を語るのか。とても楽しみです。


◇岡村珀(おかむらはく)◇
学年:1年
学部:文化構想学部
前所属チーム:早稲田大学本庄高等学院


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