【早稲田カップ2025 epilogue】 「感謝」 新2年・三宅万尋
早稲田大学ア式蹴球部女子部新2年の三宅万尋です。
今回早稲田カップ in気仙沼に参加させていただきました。開催するにあたり、たくさんのお力添えをいただいたスポンサー企業様、気仙沼市の皆様、運営メンバーの方、本当にありがとうございました。今この歳でこのような素晴らしい経験ができたこと、とても嬉しく思います。
「3/11の地震の時何してた?」
今回早稲田カップに参加させていただけることになり、同期の中で話題になった。
「全く揺れなかった」
「そもそも東日本大震災は自分が生きていない時のことだと幼い頃は思っていた」
と言っていた同期もいた。
私はその頃5歳だった。家族とテレビを見ていた時に家が強く揺れ、床に物が落ちてきた。とても怖くて泣いていたのを今でも覚えている。
私の地元である千葉県は震度5弱の揺れを観測していた。
私たちの地域は揺れだけですんだが、東日本大震災での震源近くの震度は7。
どれだけ怖かっただろうか。私が想像しているより何倍も怖かっただろう。
当たり前にあった日常がたった3分の揺れで変わり果て、たくさんの方の命を奪った。
死者は、1万5900人。行方不明者2525人。
日常が当たり前ではないことを改めて感じ、震災から14年という月日がたったが、決してこの震災を忘れてはいけない。
今回、気仙沼に行く機会をもらい、震災に触れそう強く感じた。
私たちの年代が震災について覚えている最後の代かもしれない。
私たちがなにかできることといえば、
''震災を忘れずに未来に伝承していくこと''
だと思う。
気仙沼市伝承館で震災の話を聞き、実際に当時の震災のままである学校を見学した。
私のグループの語り部さんは、高校生の方で、私より歳下の子が過去を語り未来へ伝承している姿には感銘を受けた。
旧気仙沼向洋高校の3階に津波で車が流されついた光景をみた。
普段ではありえない光景が広がっていて、衝撃をうけたと同時に自然の恐ろしさを感じた。
語り部さんから、旧気仙沼向洋高校では12m25cmまで津波がきたという話を聞いた。
自分より何倍も大きい波が襲ってくる光景を想像しただけで恐怖で押し潰されそうになった。
地震と津波に襲われ、日が暮れてからは雪が降ってくる。
夜になれば、津波の浸水に石油タンクから重油が溢れ気仙沼港一帯が火事になったという。
被災者の事を思うと胸がいっぱいになった。
震災についてニュースで見ていたので知った気になっていた。しかし、自分が想像していた何倍も被害は大きかった。
これから南海トラフや首都直下地震が想定されている現在、最大限の準備をし、大切な人と当たり前の日々を過ごすことが出来ている今がどれだけ大事にしなければいけないことか。
教えを胸に刻み、これからの日々を生きていきます。
また、今回早稲田カップで子供たちとサッカーをしました。
純粋にサッカーが楽しいという気持ちだけでボールを追いかける姿には私自身サッカーの虜になった小学生の頃の気持ちを思い出すことができました。
寒いのに半袖で走り回ったり、試合終わってすぐ休憩せずにパス回ししてる姿に元気をもらいました。
とてつもなくでかい鳥かごで小学生相手に鬼でヘトヘトになるまで走らされたり私が提案したしりとりパスにハマってくれて試合と試合の合間に「しりとりパスしよう」って誘ってくれたり、沢山小学生とおしゃべりしてとても癒されました。
今回子供たちとサッカーできて、サッカーというスポーツの素晴らしさを改めて感じることが出来ました。
ひとつのボールをひたむきに追いかけ、みんなでゴールを目指す。
点が決まった時にはベンチの人も見ている保護者も全員で喜びあう。
大袈裟かもしれないけど、サッカーに出会えて良かったと感じました。
そして、自分のプレーで誰かを元気を、勇気を与える。そんな選手になりたいと思いました。
ア式の部員の1人として今回このような活動に参加させて頂き、たくさんの学びを得られました。このような活動をできているのも色々な方の支えがあってからだと思います。
支えてくださっている方々に少しでも嬉しい報告ができるように、結果で恩返しができるようにこれからも頑張ります。
改めて、本当にありがとうございました。