『「仮面浪人説話集」(生方聖己とされる)』 第10章
⚫ ユートピア
1週間。高崎に来てからの最初の1週間は新生活に自分の身体を慣らしていた。この1週間は、これまでの遅れを取り戻すために1日24時間の内の可能な限りの時間を勉強に当てていた。
この時のスケジュールはだいたいこう。
7〜9時:起床。起床時間〜10時まで単語達
10〜20時:高崎中央図書館にて籠城
20〜22時:高崎中央公民館にて籠城
22〜2時:公民館から自転車で 15 分の所にあるマックで延長戦
3時:寝る
前にも言ったが、勿論これは代表的な例を挙げただけで、違う時もある。特に勉強を行う場所についてはかなり不定期であった。帰ってから気づいたのだが、こんなに連続して1日中勉強に時間をあてることができるのは1年ぶりくらいであった。それまではほとんどの場合、“サッカー”があったから。それなので、流石にこの時期で集中が続かないという事はあまりなかったが、1日中同じ場所に居ればいるほど、何か得体のしれない、感覚器官においての気持ち悪さを感じた。そこで当時の自分は、5つの勉強場所をその日の気分に応じて転々としていた。
「高崎中央図書館」・・・平成23年に設立されたこの施設は、数多くの群馬県民、高崎市民:絵本の好きな純粋ちびっ子達、運良く“書物”というものが我が子に良い影響を与えるのではないかと期待する御両親方、シンプルに“書物”を好む者、眠い者、”仕事 “という名の社会から引退した後に生まれた時を、今までを振り返りながらゆったりと自分へのご褒美といわんばかりに余生を楽しむ者、居場所を失った者、涼みたい者、運良く勉強を好む才を持ち合わせた受験生、外的要因によって勉強を好みだした受験生、学歴神話を信じる受験生、何のためにここに居るのか理解していない受験生、 何かに追われている受験生、好まないモノに対してある程度全力で取り組める才を持つ者、不安と期待でいっぱいな受験生、苦手なことにチャレンジし続けるチャレンジャー、無の境地に至った者、など数多くの人間に、ある者には生きる上での希望を、そしてまたある者には生きる上での絶望を与えていた。大袈裟に言うと。
そしてそんな自分も、この建物に新たなパターンを与えてもらった人間の1人である。この施設は、5階と6階に勉強スペースがあり、5階は誰でも座れる席が結構数ある。隣との距離感もあり、机のスペースも十分あるためかなりのパーソナルスペースを確保できる。したがって、皆そこを目指す。なので、そこを確実に得たいのなら10時開館の5分前には並んでおきたいところだ。もし朝の単語の調子が悪かったりして、開館時間に間に合わずに5階のパーソナルスペースの確保に失敗したならば、6 階の集中学習室に向かうのだが、ここの特徴はとにかく静かであること。受験生と思われる人間が9割。そのため、非常に意識が高い。非常に集中している。そのため、基本的に無駄な音を立てないことは暗黙の了解とされている。だから短時間ならいいのだが、そこに10時間もいるとなると流石にストレスが溜まる。また、隣との距離感も非常に近いため、 パーソナルスペースの確保は不可能。自由がない。
ただ、そこの学習室は受付で「パソコンを使います」と申し出れば、パソコンの置いてある隣の部屋に陣取ることができ る。勿論パソコンは使わない。これは裏技で、この技を知らないのか、自分をより厳しい環境において自分を高めたいのか、受験を通してパーソナルスペースという概念を失ったからなのかは知らないが、あまり受験生がいない。ただし、その代わりにパソコン部屋の番人的存在がおり、そいつはなんといっても貧乏ゆすりが半端ない。常に数学と思われるものをやっている。基本的に居る。だから最初受付に貰う番号札次第でその日のコンディションが決まってしまう。
これらの理由から、基本的に5階の方がいいのだが、5階も5階で別の懸念材料がある。5階は基本的に本を読むスペー ス。そのため色々な世代の人が行きかう。“ちびっ子”は元気いっぱいである。普段は”人間“を困らせることがありながらも、自分にないモノを求める傾向にある人間が いつの日か失った純粋さを所持しているために非常に重宝される存在も、自分ではない自分からすると正直敵でしかなかった。大袈裟に言うと。そんな無罪の無垢な希望にこんな薄汚い人間が手を出すことは許されない。そんなときはかすかに残る善を頼りに遠のく。隣を選ぶ際はできるだけ同じ世代の人で。貸出所近くに座ると、いろいろな会話が聞こえてくる。めちゃめちゃな事を言ってスタッフを困らせる者もいる。気が散ると思いきや不思議なことにここらの”音“は全く気にならない。むしろ、ちょうどよく人間を感じることができる。
アクセスは家から自転車で5分のため素晴らしい。
「高崎中央公民館」・・・何時に行っても150%座れる。自分が使っていた2週間の間で同時に座った受験生の最高数は3人。いつでも自由に歩き回れる。平日は20時、土日は17時に閉まってしまう図書館に比べ、常に22時までやっているのはとてもありがたい。あと近くにデイリーヤマザキがあるのもいい。ただし、なんといってもそこは公民館。夜行くとだいたいどっかしらの団体が使っており、時には合唱している。 メインイベントは終わった後の世間話。そんなときもかすかに残る善を頼りに遠のく。そして、なんといってもあの謎のどんより感は受験生には耐えがたいものがある。 暖房が聞いているので寒いという事はない。ただなんだろうな、あのいわく言い難いどんより感。そこで行う勉強はいつも以上に憂鬱であった。木製の椅子から生じる自然のにおいがまた追い打ちをかけた。最初の2週間は行けたものの、最後の2週間は 行く勇気が生まれなかった。
アクセスは家から自転車で 10 分くらいなのでまあまあ。年末は早く閉館する図書館に台頭した。
「ウイング高崎」・・・つまるところ家。一番自由。声が出せるので単語用のスペース。 それ以外の用途で使うことは基本的にないが、精神に大きな負担がかかった際はここで療養する。また、(今日は家だ。)と思った際はそうする。
「17号沿いのマック」・・・ここは主に延長戦を行う際に使用する。延長戦とは、20 時まで図書館でやった後に22時まで公民館でやった後、その日のノルマが終わってない場合にそこから自転車で 10分ちょいのところにあるマックに行って1〜2 時まで勉強をすることである。家に帰ってしまうと緊張感がなくなってしまうため、その対策として編み出されたものである。最後の1ヵ月は基本的に延長戦を行っていた。群馬のマックで、しかもこの時間という事もあって確実に座れる。これの醍醐味は、延長戦が終わった後の真夜中の車道を思いっきり両手離し運転を楽しめることである。群馬の冷たい空気を全身に感じることができる。受験期唯一といっていいほど楽しいひと時 であった。
「ポポロ」・・・この変な名前は、うちの近くに住む祖母の喫茶店の店名である。どんな意図をもって名付けられたか、昔から非常に気になる所である。去年祖母は店を閉めたのだが、エアコンやストーブ、机冷蔵庫など、中の施設がそのまま残った状態であったため、鍵を借りて使っていた。ここはかなり愛用していた。というのもそこは、何においても“絶妙”であったからだ。家から自転車で3分という立地、保証された自由、“壁”がありながらも絶妙に感じる“人間感”(周りに人間を感じなすぎると逆に集中することができない)、部屋の大きさ、公民館とは打って変わって過信させてくれる空気感、冷蔵庫の絶妙な位置、絶妙な机の大きさ、など。最後のほうは基本ここにいた気がする。
もし機会が有ったら名前の由来を聞いてみたい。
自分が部活を辞めてお茶の水で模試を受けて帰還したのが 12月16日なので、センター試験本番まで約1ヵ月であったのだが、最初の2週間はイラつくことはあってもこれといった大きな災害はなく、朝図書館に向かう際に感じる群馬ならではの冷たい風を心地よいと思うくらいに比較的穏やかに、落ち着いて、しっかりと、生きていた。
⚫ ディストピア
そう、その時はある日突然に来た。
第11節へと続く…
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