【#Real Voice 2023】 「No Pain No Gain」 4年・富永東吾
左膝前十字靭帯断裂
内側側副靱帯断裂
外側半月板断裂
骨挫傷
膝蓋腱損傷
これは、私が1年前の10月21日に負った怪我の診断名です。
8時間の手術と約10ヶ月のリハビリを経て、先日10月14日に、約1年ぶりにIリーグにて15分間試合に出場することができました。
まず冒頭に、これまで支えてくれた家族、親戚、友人、そしてドクターの舟﨑先生、相羽さん、聖也さん、松島さん、学生トレーナー、監督をはじめとするスタッフの方々、同期、あげればキリがないですが、この場を借りて、感謝を述べさせていただきたいです。
「長い間、ご迷惑をおかけしましたが、温かい声をかけていただき、お見舞いやリハビリなど自分に時間を費やしていただいたおかげで、大好きなサッカーを公式戦という舞台で楽しむことができました。本当にありがとうございました。」
あと数週間で、16年間続けてきたサッカーに別れを告げます。
中学3年生の頃、「早稲田」に憧れて、死に物狂いで掴み取った合格。
ランテストに合格し、やっと掴んだア式蹴球部への挑戦。
周りの同期や、先輩たちが上手すぎて、パス練習でさえ、そわそわした緊張感。
初めてトップチームのゲバ(紅白戦)に出場した際、駅のホームにまで聞こえるほど、先輩たちに怒られた苦い経験。
シュートを決めて、仲間が駆け寄ってくれる瞬間の高揚感。
常に刺激を与えてくれる、先輩・同期・後輩たちとの出会い。
怪我を負い、サッカーができなかった時の無力感。
どんなに辛く、苦しい経験をしても、サッカーは本当に楽しいと確信できた喜び。
恵まれすぎた環境で、貴重な経験ができたとても濃密な4年間だった。
特に、最後のシーズンは、怪我で棒に振ったかもしれない。でもこの公式戦の15分のために1年間苦しんだ経験は、今後の自分の人生の大きな糧となると信じている。
怪我をした当初、本当に部活を辞めたいと思っていた。
しかし今日まで、冒頭にも書かせてもらったように、沢山の方々に支えていただいた。
自分一人の力でできることなど微々たるものでしかないと痛感した。
このまま終わっていいわけがないとも思った。
継続をするということ、夢や目標に向かって努力をするということは、応援してくれている人の想いや期待を背負い、沢山の時間や労力を費やしてもらったからこその責任でもあるということ。
自分のことばかり考えていた性格だった自分が、このような感覚を持てたのは、怪我という挫折があったからだ。
昨年のブログでは、
自分のことを労りながらも、苦しんだ先に栄光はあるはずです。途中で諦めるより、納得できるまで続けた方が人生は美しいはずです。
と綴った。
昨年の今頃、私はある意味この言葉を決意として、そして願望として記した。
うまくいかない日々が続いても、誰にどんな評価を下されようとも、誰にどんなことを言われようとも、自分が決めた「復帰をする」と目標を自分のペースで、信念を曲げず、自分が納得して終わりを迎えられるように。
そして今、掴みたい栄光はまだ掴めていないが、逃げずに、継続をしたことで、終わりが近づいてきた自身のサッカー人生に悔いなく終止符を打つことができ、さらに先のステップに自信を持って進めると自負している。
終わりに
振り返れば、小学校1年生から、こんなに楽しいスポーツはあるのかとサッカーにのめり込み始めました。楽しいことばかりではなかったが、何事も全力を出し切る素晴らしさ、仲間と共に喜びを共感する素晴らしさ、絶対に負けたくないという強い気持ち、今の私を形成したのは、間違いなくサッカーに出会ったからです。
サッカーを始めた当時の私は、この「早稲田大学ア式蹴球部」で蹴り納めができるなど、思いもしませんでした。
人生は何があるかわかりません。
周りから絶対に無理と言われ続けたことを成し遂げたり、絶対に大丈夫と思っていたことがうまくいかなかったり。偶発的なことの連続です。
ただ16年間サッカーを続けてきて、確信して言えることは、努力を重ね、夢を見続けた人間にしか見えない景色があるということです。
これから先、自分からサッカーがなくなっても、些細な夢や叶いもしないような大きな夢を持ち、その夢に対して、懸命に向かっていける人間であり続けたいですし、その夢を実現できる男になります。
そして最後に、そんな生き方をした私が尊敬する偉人、吉田松陰の辞世の句で締めたいと思います。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂