【#Real Voice 2024】 「葛藤と決断」 1年・谷川孝幸
ア式蹴球部1年 谷川孝幸です。
ほかの選手とは正反対な背景があるからこそ書ける内容だと思うので、下手な文章ではありますが、ぜひ読んでみてください。
高校でサッカーをやめようと思っていた。
「サッカーをやめたい」とこれまでのサッカー人生で何度も思った。
小中では、トレセンに選ばれなかったり試合に出られなかったりしたとき。高校では、カテゴリーが下がったとき。そして、大学に入るときは燃え尽きたことによる精神的な要因が大きかった。スポーツをやっている人ならおそらく誰もが経験するであろう挫折が、自分の夢であったプロサッカー選手になるということを諦めさせ、それによりサッカーをする理由を失った。他人からの評価に頼るサッカーをすること、そのために自分を追い込むこと。何のためにサッカーをするのか分からない自分には到底無理な話だった。
中学時代、自分が所属していたサンターリオFCでは、自分のプレーを理解してくれる人が多かったが、外部では全くいい評価を得られなかった。中学までは「トレセンのコーチの見る目がない」「あいつのどこが上手いんだ」と、反抗心があったことでサッカーを続けることができたが、それはサッカーを好きでやっているという感覚から遠ざかっていくことを意味していた。
静学に入ってからも「あいつの何がいいのかわからない」という感じで、中学の頃と同じようにプレーしていた。入学当初は第五腰椎分離症になっていたため8月から本格的に練習に参加し始め、9月にはルーキーリーグへのメンバー入りも果たせた。
しかし、新チーム始動の2月(2年生になるとき)。思うようにプレーができず、カテゴリーを落とされた。そこから自分のサッカーへの意識が落ちて、練習前にカップラーメンを食べたり、試合後に炭酸ジュースを飲んだり、練習中に関係のない話をしたり、現実逃避を超えて自暴自棄になった。サッカーができることに感謝したことはなかったように思える。
そんな状態で1年間部活動をしていたが、心の奥底で選手権という言葉がよぎった。プロサッカー選手になることはあきらめたが、表舞台でプレーすることには憧れがあったので、12月(3年生になるとき)のカテゴリー分けはできる限り力を出そうとした。しかし、これまでの行いが神に見透かされていたように、右ひざの軟骨を損傷した。3ヶ月経っても痛みが取れず、いつ復帰できるかわからなかったことや受験でいい大学に入りたかったのもあり、引退を決意した。受験期間の代償として三半規管が弱くなり、体が思うように動かせなくなった。復帰後も試合中にボーっとする時間が長く、空間認知能力もかなり下がってしまっていた。
およそ1年間勉強に励んだ結果、指定校推薦という形で早稲田に入学することになった。しかし、サッカー部に入るかどうかを決めたのは入部テスト(ランテスト)の1週間前だった。サッカーをやっていると必ず起こる現象「監督、コーチによってメンバーが絞られること」「カテゴリーの上下で人間関係が決まってしまうこと」などが、自分にとってサッカーを楽しめない要因としてあった。このア式蹴球部に所属する以上嘘をついてでも「上のカテゴリーに行きたい」とか「メンバーに入りたい」と言うべきなのだろうけど、大学サッカーでは他人の評価を求めないようにした。高校の時のように自暴自棄にならないために、何も考えず、自分ができる範囲内で最高のプレーをする。そうすることで自分が楽になり、サッカーを好きでいられる。
そんな自分がなぜア式でサッカーを続けるのか、
自分は中学から大人があまり介入することのない環境に身を置いて過ごしていた。サンターリオFCでは、文武両道の基礎を学び、学業はもちろん自主練習にも積極的に取り組めた。高校では寮生活をしていたため、厳しい部活動に励みながら、その合間の勉強時間の確保をしていた。大学サッカーに求めるものは、自分の持っている価値観を見つめ直すことができ、これまで培ってきた能力を発揮できる環境であること。
仮入部期間、入部した理由は自分が最も希薄だっただろう。部活に入らなければ、することがなくなり家でゴロゴロする自分が見えたから。ア式の先輩が優しく接してくれたから。恥ずかしいことではあるが、入部した理由はこの2つしか無かった。本気でサッカーする気は全くなかったし、ア式への強い思いもこの当時はなかった。
そんな中、大学で最も素晴らしいと感じた瞬間は「あの場面ではこうしてほしかった」「こういう展開になったときどうすればいい?」と、作戦ボードを使って話し合う先輩の姿であった。高校サッカーでは真面目に練習しない選手がかっこいいという風習があったので、練習後に1つ1つのプレーに対して話し合ったことは1度もなかった。毎日行われるただの練習なのに、お互いが主張し合い改善策を見つけようとするその姿を見て、大学でサッカーをする意味を見出した気がした。
練習が終わると、先輩とよく麻雀を打つ。通称miyaderaと呼ばれるAくんは、麻雀を打つ時は猿である。誤発声や先ヅモばっかりでマナーというものが存在しない。しかし、遊んでばかりいる先輩だと思っていたが、練習試合の後チームで話し合っているとき全員の前で発言したり、麻雀を打ちながら自分の試合を見たりしている姿を見た。彼はサッカーに対して人一倍の向上心を持っていた。遊びとして参加していた麻雀も、今では自分のプレーを客観的に見てどうなのかや、それこそ失敗したシーンをどうするべきなのかを聞ける場にもなっている。関東リーグや新人戦で活躍する先輩がサッカーに対してどう向き合っているのか、本音を聞ける貴重な機会であると感じている。
最後に、自分はこの4年間でサッカー人生に一区切り置こうと思っている。今、サッカーを続けることを決断した以上、与えられた環境で自分が出せる最大限の力を出す。理系であるがゆえにやるべきことは多いが、高校での失敗を繰り返さないように、4年間サッカーを続けられるように頑張っていきたい。
中学から目標として持っていた文武両道の実現。その行き着く先こそが早稲田大学ア式蹴球部であると考えている。これから社会に必要とされる人間になるために、明日も明後日もグランドを走り続ける。
次の部員ブログ担当者の川﨑(1年・川﨑雄斗)について
学生コーチとして、入部してきた川﨑は初め、同期の人にも敬語で話すような真面目くんでした。話してみると自分の意見をはっきり言える強心を持っている反面、人と意見が対立するとバチバチにやり合う姿が印象的。そんな彼の(おそらく)癖が強いブログをお楽しみに!
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