【#Real Voice 2023】 「初心」 3年・成定真生也
与えられた環境は良い意味でも悪い意味でも自分にとっての当たり前になる。
今いる環境が全て当たり前ではないという視点を持つことは重要だ。
今シーズンは、序盤は社会人リーグでの出場がメインで
夏前から関東リーグで出させてもらうことが多くなった。
そこからアミノ(アミノバイタルカップ)、総理大臣杯と
正直、想像もしていなかったくらい、出させてもらった。
「ピッチ内における勝利の立役者がもう1つの存在意義」
こんな意気込みを口にした昨年の部員ブログから1年。
勝利の立役者とは程遠い存在だと、そう思わざるを得ない。そんなシーズンだった。
ゴールでチームを救うことは一度もない。
植村(4年・植村洋斗 / ジュビロ磐田内定)や駒沢(3年・駒沢直哉 / ツエーゲン金沢U-18)や安斎(3年・安斎颯馬 / FC東京内定)や山市(2年・山市秀翔 / 桐光学園高校)たちに比べ、自分は1ゴールのみ。
社会人リーグで勝てていなかった自分が、夏に関東に上がったのちに3連敗して、
「真生也がいると負けるんじゃね。」なんて冗談混じりにチームメイトから言われたりした。
勝利の立役者どころか、むしろ自分が出ると負けるみたいな。
正直出るのが怖かったときもあったし、負けるくらいなら出ない方がいいなんて思うこともあった。
それでも、夏のアミノは、
自分が出ていたとしても、
たとえゴールを取れていなかったとしても、
1部相手でも、先制されても、
正直負ける気がしなかった。
むしろ自分が必要とされている。そんな感覚すらあった。
そしてまさに勝つチームを感じていた。
総理大臣杯では、関西学院大学相手にだって、いつもと変わらない自分でいられた気がした。
こんな感じで振り返れば
トップでの試合を通して選手としての成長を実感しながら、
自分の可能性と自分の無力さに気づかされた。
そんなシーズンでもあった。
そして当時はトップのメンバーとなって、重圧や緊張を感じることが確実に多くなっていた。
緊張で寝れない感覚とか、
ご飯が喉を通らないこととか、
攣るまで走るとか、
チームメイトに応援されることとか、
自分の応援歌があることとか、
そしてそれが試合中は聞こえない感覚とか。
何年ぶりだろうかってくらい久々の感覚で、そしてそれだけ目の前の試合に、サッカーに、全力で臨めていた自分を思い出して、懐かしさと嬉しさを同時に感じていた。
でも、このブログを書く今は少し違う。
緊張して寝れないとかもない。
応援歌がそのまま耳に入ってくることもある。
良い意味でも悪い意味でも試合数を重ねてきた。
いつも決まった試合前の補給をして、いつも決まった順番でストレッチをして準備をする。
当時と同じような緊張をすることは、今後少なくなっていく気がする。
振り返ってみて、ただ1つ強く感じたことは「出ることに慣れた自分」がいること。
何よりもこれが怖いと感じた。
もちろん慣れることも大切だ。
心の余裕があることで、ボールの感覚とか相手の動きが手に取るようにわかるくらい
リラックスできることがある。
慣れるということは、選手として重要だろう。
でも慣れが惰性となった瞬間に、自分の最大限が引き出されることは無くなる。
いつも通りの準備しているけど、どこか「なんとなく」な感じ。
勝ちたいって思ってるし、やる気がないわけじゃないけど、
100%で「滾ってない」みたいな。
その瞬間、目の前の試合が「何気無い公式戦の1試合」になる。
これがインカレ決勝のとき。
総理杯決勝のとき。
2部優勝決定戦のとき。
1部昇格戦のとき。
「本当に同じ気持ちだろうか。」
胸に手を当ててもう1度考えようと思う。
初心に立ち返る。
仮入部生となった時
初めてエンジのユニフォームに袖を通した時
初めて公式戦のメンバーになった時
初めてトップの練習に入れた時
初めて関東のメンバーに入った時
自分が持つ最大限のパワーを出して、
頭を120%でフル回転させ、
周りの音も聞こえないくらい、
そのプレーに、サッカーに、夢中だったはず。
この上ない緊張感と集中力で。
もちろん当時の感覚のままでいることは難しい。
人は慣れ、当たり前の恩恵を知らず知らずのうちに忘れていく。
でも初心に立ち返ることで、
今おかれている立場が当たり前じゃないと思うことはできるはず。
目の前の練習を、試合を、もっと大切にできるはず。
1年前、学年で「4年生としてどう在りたいか」を話し合った。
その中の1つで、「応援される存在」と挙げられた。
ア式の中で応援したいと思える選手はたくさんいるけど、
「1人だけ挙げろ」と言われたら迷わず答えられる。
プレーに取り組む姿勢だけじゃない。
きっと彼は周りに対して感謝の気持ちを持っていて、
自分が支えられてここにいることを強く理解している。
自分に与えられているものを理解して、自分から何かを与えられる選手。
きっと彼はア式の環境に慣れているけど、決して惰性じゃない。
だからそういう行動ができる。
応援される存在とは、きっと環境の恩恵を理解し「惰性」にならない人だと思う。
自分が応援されるためには、誰かを応援できる人でなければならない。
応援される存在ならば、応援されることが当たり前になってはいけない。
むしろ誰かを応援することが当たり前、そんな存在であるべきだ。
円滑に進む練習、空の無いボトル、公式戦準備、応援。
これだけじゃなく他にもたくさんの、当たり前のようにあるア式の環境。
この環境の恩恵に気づけば、
いきすぎた文句も、ボトルを投げ捨てることも、「何気無い公式戦」にすることも、
きっと無くなるはず。
環境に慣れることは当然のことだ。
でも惰性になることは違う。
「当たり前じゃない」ということを忘れないようにして、少しずつ行動を変えることはできる。
今の立ち位置や環境の恩恵を忘れないようにしようと、私は思う。
代表して出ることは決して当たり前じゃない。
だから、訪れる目の前の1戦を大切にしていきたい。
1年後。
「ア式でのこの日々に、何1つ後悔は無い。」
自信を持って、こう言えるだろうか。
1部昇格が最大のミッションとして取り組んだ今シーズン。
各々が組織に向き合い、全力の1年間を過ごしたつもりでも、どこか上手くいかず勝ちきれないいくつもの試合。
振り返れば1部昇格は目の前あったのに、「自分たちから逃した」みたいな、やるせない思い。
今シーズン、本当に自分は、心の底から「やりきれた」と言えるだろうか。
ラストワンプレーでの失点。
アディショナルタイムでの失点。
勝ち点3が勝ち点1に。
あの、たったワンプレーに泣いた今シーズン。
そのワンプレーのために自分ができたことは何か無かったか。
後期、山梨学院大戦。
今でも鮮明に覚えている。
失点と共に吹かれる試合終了の笛。
ボトルを投げ悔しさをあわらにするチームメイト。
崩れ落ちるピッチ上の選手たち。
喜びを爆発する相手チーム。
何一つ言葉が出ず、ただぼうっとベンチで立ち尽くす自分。
チームとして痛すぎるこの引き分けに対し、
自分にできたことは絶対にあったはず。
試合前日、いやその週から。最善の準備ができていただろうか。
前半のあの決定機を、自分はもっとこだわれなかったか。
交代後、チームメイトに対しもっと質の良い声がけをすることはできなかったか。
もし今あの日に戻れたとして、本当に同じ行動をしているだろうか。
この問いに全て納得のいく答えがあるなら、後悔などあるはずがない。
実際は、後悔だらけの試合。
当時はわからなかったかもしれない。
この引き分けがどれだけ痛かったものなのか。
でもわかっていたら、あの数分のために私は全てを懸けられていたと思う。
もうこんな思いは二度としたくない。
だから全ての試合に最善の準備をしたい。
それは出る出ないに関わらず。
必ず私は、チームとして最善の1週間を過ごすための一役を担う。
チームとして個人として
どの試合も、大事なあの1戦のように。
初めてメンバーに入ったあの時の滾らせ方で。
来シーズンはどの試合も落とさない。
必ず目標を達成し、シーズンを終える。
このブログを考えながら、挑んだ先日の日体大戦。
個人としてその試合で何も残すことはできなかったかもしれない。
でもこのブログを書き始めていたこともあって
自信を持って、その試合に集中しその試合に向けて100%の準備をすることができた。
3失点目直後の交代後は
その準備に見合うような納得のいくプレーができなかった自分に正直苛立った。
いつもより強くユニフォームを脱いで、投げ捨てかけた。
目の前にあるボトルすら、地面に投げつけたくもなった。
でもブログ内で意気込んだわずかな想いが、自分にブレーキを掛ける。
普段勝っていても静かな自分が、
このままで終わりたくなくて、
自分への苛立ちを殺して、味方に声を掛ける。
珍しくその日の夜は、少し声が枯れていた。
後半アディショナルタイムの同点ゴール。
PK戦の末チームは無事勝利することができた。
突き詰めれば、この前日も当日も、もっとこだわれたことはあるかもしれない。
でも幸いにもチームメイトの活躍のおかげで、
自分のちょっとしたこの意識付けが肯定された気がする。
そう、これを、この感覚を、続けていきたい。
むしろ1年間を通して、もっと質の高いこだわりを持って、
目の前の1試合に1プレーに最善の準備をしていきたい。
そして1年後もう一度自分に問いたい。
「ア式でのこの日々に、何1つ後悔は無い。」
自信を持って、こう言えるだろうか。
【過去の対談記事(早稲田スポーツ新聞会 企画・編集)はコチラ↓】