【#Real Voice 2024】 「道標」 4年・北村公平
今まで選んできた全ての選択に自信と誇りを持って、
過去の自分を讃えたい。
未来の自分に期待したい。
今年は、今年こそは、短くしよう。
そう思ったのですが、それは北村公平にはできませんでした。
長いな、、くどいな、、くさいな、、そんな北村公平の文章でも読んでくれる優しい方に届けばいいなと思っています。
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まきや(4年・成定真生也)、紹介ありがとう。
今年のブログはシステム上2日前の正午までに提出しなければならず、自分の前の人がどんな紹介文を書いたかは提出前にはわかりません。
きっと基本的にふざけることのない私を紹介することは難しく、真面目な紹介文になっていることと思います。とにかくありがとう。
心外なのですが、大学生になってからサッカー関係以外で会う方々を中心に、「見た目がチャラい」などと言われることが増えました。
日々日光にあたるという自己研鑽を積み重ね、22年間守り抜いてきたこの色をもってして。
ア式では誰が見ても大真面目なまきやと舩越(4年・舩越嶺)といる時間が長いはずなのに、普段私の周りにいせ(4年・伊勢航)やしょうえい(4年・梅林頌英)がいるからでしょうか。
実は陰キャであるのに、陽キャなふりをしているもりけん(4年・森山絢太)よりは幾分マシです。
やはり改めて振り返ると上記の5人以外にも個性の強い同期に囲まれ、濃い4年間を過ごしたなと感じています。
寮外生は2年の終わりにかけて一回りも二回りも逞しくなりました。
そうです。みんなでケンスタ(派遣会社)に行き、青春を謳歌し始めたあの頃から。
基本的にケンスタでもア式で見る光景と全く同じです。
ア式の血が騒いでしまう舩越とせいりゅう(4年・原聖瑠)はサボらず真面目に働きます。
ケンスタ部主将のけいき(4年・矢萩啓暉)を中心に隙のないサボタージュを展開しますが、りゅうご(4年・髙橋竜吾)はサボりがバレ、アイクソエ(4年・アイクソエ怜生オーエンス)に至っては立ちながら寝始めます。
とんでもなく肩が硬いこうき(4年・石谷光基)はみんなの肩こりの具合をチェックし、筋トレに目覚め猛々しくなったそうた(4年・木原爽汰)が筋トレの成果を惜しみなく発揮します。
きっとみんながサボっている頃、まさはる(4年・原壮温)あたりは共有でボールを蹴っていることでしょう。
FWとしての清井(4年・清井大輔)は年間を通じて2回ほどしか抜かれない泉(4年・泉颯)がなんとか止めることができますが、学年ミーティングでの清井は誰も止めることはできません。中国語への信念を問い正し始めたら、その先には舩越が頭を抱える未来しか待っていません。
つよし(4年・竹中豪)が大学にきて学んだことは他でもありません。怪我をしないこと。
ではなく某先輩によるコーチング理論です。内容はコーチングさえできれば全ての攻撃を防げるというもの。自主練の時間に叩き込まれていましたね。後輩GKたちにあまり引き継がれていないようなので竹中祭で伝授しましょう。
膝を痛めながらも光田(4年・光田脩人)とまあまあなペースでランニングするともえ(4年・渡邊朋恵)の、FC昇格戦に負けた後の涙には心にくるものがありました。近寄ってみると「伊勢が名前呼んでくれなかったあああ」しか言っておらず、シンプル試合に負けて泣いていた舩越、みんなが来てくれて感動し泣いていたしょうえい、ともえを見て一生笑っていたけいきと4人とも全く違う理由であったことがわかります。伊勢は猛省させます。
夏妃(4年・中山夏妃)はア式にも勉強にもプライベートにも常に愚直です。単位が追い込まれているわけでもないのにアラビア語の難しそうな授業をぶち込み、目一杯自分を追い込みます。きっとわせコマをビンゴカードと勘違いしているのでしょう。
そんな夏妃も、同期であるにも関わらず最上級の謙譲語を使ってLINEしてくる橋爪(4年・橋爪瞭)には敵いません。教育学部であるづめがなぜか文キャンの奥の方にある学生会館にいた理由も本当にわかりません。
寮には、ア式内でブロスタのTier表を作るとしたら、Sに入るであろうれん(4年・東廉)と、北村と同じくAに入るみっちゃんがいて、あの見た目をしておきながら酒が弱い直哉(4年・駒沢直哉)と神橋(4年・神橋良汰)がいます。
そんな彼らに学年飲みで真っ先に狙われるのは、薄情者しんま(4年・石川真丸)であり「社会はそんな甘くないぞう?」という口車に乗せられて開始15分で確実にノックダウンします。
そういえば櫓横にあった石段、通称「寮生の巣窟」が3年の夏ごろに全摘出されました。
悪の温床であると気づかれてしまったのでしょうか。
そこにはほぼ寮生の松尾(4年・松尾倫太郎)もよくいます。きっと寮生の巣窟が松尾を本物の寮の中へと導いてしまったのでしょう。寮長が「誰だおめえええ!」と怒鳴り散らかす声は容易に想像できます。
逆にほぼ寮にいないカイレン(4年・ヒル袈依廉)と入れ替われば問題は解決していたことに今更ながら気がつきました。
個性豊かな同期のことを振り返っていたらここまでで1800字に到達してしまいました。
お察しの通り、今年も長くなってしまいそうです。ここからは真面目に。
ぜひ興味のある方だけ読んでください。
(右のスクロールバーを見て絶望しそうな方向けに。
全体で9000文字を突破してしまったブログですが、内訳をみると
・つい書いてしまった同期について(上記):1800字
・本編:3700字
・感謝パート:3000字
・ラストブロガーの紹介:600字
となっております。適宜読みたい箇所へスキップしていただけますと幸いです。)
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「サッカー選手じゃなくなる日」
長くてもあと1週間。
私は小学校3年生から続けてきた、サッカー選手を引退する。
特に大学に入ってからの4年間はこの日のことを意識して過ごしていたように思う。
北村公平からサッカーがなくなったら何が残るだろうかと。
主務として、4年として、ピッチ内外で活躍できる人間を目指し続けてきた。
3年間悔しい思い、苦しい思いを嫌ほど味わってきた。
今までの悔しさを、積み上げを証明する。
北村公平の、早稲田大学ア式蹴球部の運命を変える。
ーーー
私がピッチに立つ意味は、
”ただ173センチのGKが早稲田のゴールを守ること”にとどまらない。
とどめてはいけない。
ーーー
昨年のブログに記したこの言葉を体現するべく私は、関東リーグ第3節のピッチに立った。
これ以上ないチャンスだった。
チームはリーグ戦序盤ながら天皇杯を含めて1分2敗、苦しいチーム状況。
立て続いたGKのミスによる失点。
関東リーグ初出場にして相手は宿敵、慶應義塾大学。
1-4。
何も変えられなかった。
それどころか、チームに迷惑をかけてしまった。
情けなかった。
本当に悔しかった。
試合後話しかけてくれた永戸(3年・永戸彩花)の顔が忘れられない。
今シーズンサッカーが出来ない怪我を負った選手に話しかける顔をしていた。
取り繕うように国立早慶戦の運営業務について会話したことを覚えている。
今までだったらここで折れていたなと思う。
苦しい時にこそ人間の本性が現れる。
ここで踏ん張りがきくようになったことも成長なのだろうと感じた。
この経験に限らず、成長を感じた瞬間が多くあった。
その瞬間はどれも、自分の中の当たり前が壊された瞬間だった。
自分の中の想定内が想定外に変わった瞬間だった。
小学校、腎臓病で入院した。
中学校、全く試合に出れなかった。ユースにももちろん昇格できなかった。
高校1年の大晦日、超満員の三ツ沢で、キャッチしたクロスボールをそのままゴールに入れてしまった。
高校3年、権力に屈しオール5でありながら第一希望の指定校推薦を取れなかった。
大学3年まで永遠の3番手を過ごしてきた。
そんな過去の経験が教えてくれた。
過去の自分が伝えてくれた。
いまに向き合えと。
他の誰にも変えることのできない北村公平のいまに、自分が向き合えと。
そして、自分の力で未来を切り拓けと。
「サッカー選手じゃなくなる日」
この日に私が何を思うのかは、長くてもあと1週間に迫った今でも想像することが難しい。
過去の自分を肯定するためではなく、未来の自分がどんな苦しいことも超えていくために。
サッカー選手じゃなくなるこの日の感情をこれからもずっと大切にしたい。
いまを本気で生きること。
当たり前を疑うこと。本質を考え続けること。行動し続けること。
自分が信じるその道を最後まで追い続けます。
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夢
去年のブログに記した夢。
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今、私には夢があります。
それはこの組織でしか叶えることができなくて、
あと1年の間でしか叶えることができなくて、
きっと一瞬で終わってしまうものであって、
私にしか描くことができない夢であると胸を張って言える。
そして同時に、絶対に私1人では描くことができない夢です。
〜略〜
国立競技場で早慶戦を開催し、
20000人の観客を集め、
そのピッチに立ち、
北村公平に関わる全ての人と喜びを分かち合います。
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ついにこの日を迎えるというワクワクよりも、もうこの日がきてしまったというドキドキが少しばかり上回って迎えた8月25日の朝。
前十字靭帯断裂という深傷を負った不屈の戦士と5:30に寮を出る。
「このハイエース、50キロしか出ないんよねえ」とギアをドライブではなくローに入れて目一杯アクセルを踏むやらかしドライバー's。
国立に着くと朝3:00くらいに起きてそうな現地集合組が出迎えてくれた。
第1便で必要不可欠な本部ボックスを積み忘れたことを気にかけている暇がない忙しなさ。
次第にシーバーが指示の声で溢れる。
案の定迷路のような国立で迷子になる部員たち。
約束通り、続々と始まる各種リハーサル中に舩越と救護室で寝ました。
起きると新宿区事業でバタバタであったにも関わらず、もう選手に集中してくれと永戸に背中を押してもらった。
アップを終え、ロッカールームを出て円陣を組む。
伊勢の言葉に若干泣きそうになりながらもスタメンより先にピッチに入る。
まきやを先頭に両チームの選手が入場してくる姿を大型ビジョン越しに見て泣いた。
アンセムも相まってすごくカッコよかった。
本当は自分が。
そんな複雑な想いがあったのだと思う。
ベンチ組の円陣で話すのはきっと自分だと分かっていたから、
誰にもバレないようにそっと拭った。
開始3分の松尾の先制点。
揺れるスタンド。
直哉のゴールも、本保(3年・本保奏希)のゴールも、林(1年・林奏太朗)のゴールも、みんなが戦う姿も。
もちろん、10140人と表示された時も。
全て鮮明に覚えている。
ネットを揺らす瞬間、みんなが喜ぶ顔、スタンドの雰囲気。
どれをとっても素晴らしい瞬間だった。
勝った瞬間、ベンチを飛び出していた私の後ろから0.5秒ほど遅れて飛び出してきたみんなと喜び合う。
ちゃんと目に焼き付けたかったのに、その後見えた光景はぼやけて映るみんなの喜ぶ顔だけだった。
それぞれにそれぞれの立場があって、想いがあったと思う。
自分がやりたいことをできた人は本当に一握りだったはず。
それでも悔しさを堪えて、各々が役割を果たしてくれたからこそ成り立たせることができた。
やっぱり、絶対に私1人では描くことができない夢だった。
両校部員のみんな、夢をかたちにしてくれて本当にありがとう。
振り返れば1年目のブログに記していた。
「想像もできないような景色をこの同期と共に創り上げたい。」
見たこともない景色だった。
辿り着きたい景色だった。
ピッチに立つことはできなかったけど、
観客数は10140人だったけど、
二度と忘れることのない、人生最良の1日だった。
しるし
最後に、私のサッカー人生について。
サッカー人生の中で何度も大きな決断をしてきた。
その中でも特に印象に残っている決断が2つある。
主将になる決断と
主務になる決断である。
どちらもチームの重要な役職を任されるという、名誉あり責任のある立場。
でもこの2つの決断は私にとって全く意味の異なる決断だった。
サッカー選手を目指して下した決断と
サッカー選手を諦めて下した決断であったから。
でも今振り返れば本質は何一つ変わらなかったのだと思う。
客觀的にみれば、私が下した決断など見えないしわからないこと。
舩越も言っていたけど全ての評価は他人がするもの。
だとしたら、そんな大役を任せていただいた自分にできることは
北村公平という人間が組織のために何ができるか。
これだけ。
北村公平を囲う肩書きという鎧を取っ払った時に、何ができる人間でありたいのか。
それは毎日のようにみんなが教えてくれていた。
誰かの「道標」になること。
Iリーグ最終節後のせいりゅうとまさはるの涙を見て、
FC昇格戦に負けた後のふなこ、しょうえい、ともえの涙を見て、
心動かされた。
確かに結果は残せなかったかもしれない。反省するべき点もあるとは思う。
でもそんな結果以上にみんながこの組織に対して本気で向き合う姿を見てきたし、どんな思いでこの組織に向き合ってきたかを知っていたから、溢れ出る涙に納得できた。
共感できた自分がいたことがすごく嬉しかった。
そんなみんなに支えてもらった。
4年目なんて想像するのが怖いと思っていた同期が学年を重ねるにつれて逞しくなっていく姿も、仲のいい3年が最上級生になる自覚を示してくれている姿も、春先は学年として不安視されていた2年が各カテゴリーで活躍しいい影響を与えてくれる姿も、ア式の未来を担う1年がそれぞれの立場に苦しみながらも奮闘する姿も。
その全てが私の道標だった。
”物事の是非は決断した時に決まるものではない。評価が定まるのは常に後になってからだ。
もしかしたら間違っているかもしれない。
だからこそ、今自分が正しいと信じる選択をしなければならないと思う。”
とはドラマ半沢直樹に出てくる中野渡頭取の言葉。
主務になる決断をもしかしたら間違ったかもしれないと思っていた自分に、
大学サッカーを選んだ自分に、早稲田を選んだ自分に、
今までサッカーで生きることを選んできた自分に、伝えたい。
お前の選択は何一つ間違っていなかったと。
もうすぐ引退を迎える将来の北村公平本人がそう言っていると。
決して今まで全てがうまくいっていた訳ではない。
短期的な結果を見れば失敗だったと思うような決断、言動もあった。
でもその決断を下したこと、結果として失敗だったような結果も全てが為るべくして為っているし、どこかにその結果が出た意味がある。
そんな思考ができるようになった北村公平が将来待っています。
だから安心して、自信を持って決断してください。
これもまだ、北村公平という一つの道の通過点。
日本一の主務なんて程遠いところで終わってしまったから、
今度は私が。今度こそ私が。
誰かの道標になれるように頑張ります。
エピローグ
ここから先、この場をお借りして感謝を伝えたい方々へ。
いろんな方向から俺はいないのかと言われそうですが、感謝パートが本編を超えてしまいそうなためどうかご容赦ください。
同期へ
前述の紹介で1800文字をかけて表現したつもりなので改まっていうことは特にはありません。
みんなが主務を託してくれたから今の自分がいます。
本当にありがとう。
コロナも、反省走も、降格も乗り越えてきた100代目。
最後に一部昇格を成し遂げよう。
強い早稲田を取り戻そう。
ア式スタッフの皆様
兵藤監督(兵藤慎剛監督)
幼少期をマリノスファンとして過ごした私からすれば、大学であの兵藤慎剛のもとでサッカーができるなんて夢にも思っていませんでした。たくさんご迷惑をおかけしましたが、監督がおっしゃる客觀的な人としてどうあるかという指摘に何度も自分自身を振り返るきっかけをいただきました。個人的には早関戦になんでスタメンで使っていただいたのかを聞きたいところですが、少なくともあと1週間は選手と監督、主務と監督という関係で戦わせてください。
内田さん(内田謙一郎コーチ)
4年間お世話になりました。どれだけ朝早くても、どれだけ主務の仕事が忙しくても、どれだけ勉強との両立が難しくても、理工学部でありながら選手×主務として総理杯を優勝している内田さんの前で、平日は仕事をしながら出張で海外を飛び回り土日は朝から晩まで5部練している内田さんの前ではきついなんてとてもじゃないけど言えませんでした。でもそんな内田さんからパワーをもらい4年間走り続けることができたと思います。本当にありがとうございました。
おざさん(小澤雄希コーチ)
チームの勝利のために時に嫌われ役となり、どうすれば学生がよくなるか向き合って下さったのはおざさんでした。それから車の運転1番うまいのもおざさんでした。オザワセダの勝率100%を守ることができてよかったです。
玉井さん(玉井智久コーチ)
選手1人1人と向き合う玉井さんの大変さは主務である私が1番知っていると思います。自己推でもなかった私の面倒を見ていただいた高3の時から玉井さんの桐光愛の強さをうっすら感じていました。たくさんご迷惑をお掛けしましたが、最後までよろしくお願いします。
たくまさん(伊藤拓真コーチ)
今年は3回くらいしかお会いしていない気がしています。忘れもしません。たくまさんにしてもらった最初で最後のアップを。国立の雰囲気に呑まれてか、日々練習に来ないからか、コバとともにまともなクロスボールがこなかったことを。今年もまたGK会でのお話楽しみにしております!
石井部長、矢後さん、矢野さん
国立早慶戦を実現できたのは、御三方の(もちろん御三方だけではないですが)おかげです。矢後さん、矢野さんと国立の方に交渉をしに行った日を忘れません。学生の想いを形にしようとして下さる皆様がいたからこそ成り立たせることが出来ました。
たくさんご迷惑をお掛けしました。本当にありがとうございました。
後輩たちへ。
本当に大切なものは目に見えません。
厄介なことに積み上げるまでには本当に多くの時間がかかるのに、それを失うのは一瞬。だから目の前の一瞬にこだわり続けてほしい。どんなことも興味を持ち続けて考え抜いてほしい。
きっとこだわり抜いた先になりたい姿が待っていると思います。
ヤマイチ(3年・山市秀翔)、1番応援してると言いたいけどご両親と勝さんの次くらいかもしれません。頑張れなんて言わなくても頑張っちゃうと思うので、あえてそんなことは言いません。日本の頂まで、ヤマイチらしく引っ張り続けてください。世界で1番応援してます。
コバ(3年・木庭正太郎)、教えることなんて何もなかったです。どんなに苦しくてもどんなに上手くいかなくても全力で組織と人に向き合え。ピッチ内外のコバの活躍を応援してます。
後輩マネたち
永戸、後述。みう(3年・伊藤未羽)、もう小娘なんてガキなんて言ってもらえないぞ。みうの場合、4年としての自覚を持ちすぎない方が上手くいきそうだけど、力を抜くのはそれもそれで違うのでうまいことバランスをとってね。いろんなことに挑戦して、みうらしく4年目を楽しんでください。たかみ(3年・髙見真史)、寮での仕事は本当に全部たかみに投げてしまっていました。総理杯も含めて本当に助かりました。最上級生として気合が入ると思うけど、1人でできてしまうからこそいろんな人を使ってより高いレベルで髙見真史を表現してほしい。たかみが影で頑張ってること、絶対に報われます。だから頑張れ。
2年生以下、タイミングは違えどそれぞれがア式を感じて、きつく感じることがたくさんあったかと思います。その経験、絶対に他ではできない大切なものであるはず。早慶戦や社会貢献活動などピッチ外を大切にしているア式が成り立つために、みんなはなくてはならない存在です。ア式がア式であるために。みんなの頑張りを楽しみにしています。
GK’sへ
カイレン、つよし
2人とも、GK長お疲れ様でした。あれ、1人のはずなんですけど、正式にはどっちですかね。まあ今度の竹中祭で決めましょう。ほんとによく4年間走り抜けたと思う。つよしのゴールキックが飛ばない時も、公文くんとたくまさんが似すぎてZoom越しに笑っていた時も、カイレンがたくまさんの頭に手を置いてる時もとてもヒヤヒヤしました。なんだかんだ身長以外はいいバランスだったんじゃないですかね。
ムラタ(3年・村田新直)、4年になったらジョグバックしちゃダメだぞ。していいのは4年早慶戦だけ。プレースタイル:プレーメイカー、ゴールパフォーマンス:クリロナも更新されることを願っています。それと宮寺(3年・宮寺政茂)には気をつけて。
2年’s
なんか可愛がってたのか可愛がられてたのかわからなかったけど、みんなの頑張りに刺激をもらってました。勝負の3年目、みんなの頑張りを応援しています!
あまちゃん(1年・雨野颯真)、なお(1年・斎藤直晴)
2人とも全く心配してないです。今頑張っていることは必ず報われる。目の前のことに全力で焦れずに頑張ってね。
早慶戦運営陣へ
永戸
何百時間話し合ってきたかわかりません。早慶戦に限らず今年のア式の85%分を成り立たせていたのは永戸の頑張りでした。少し頑張らせすぎてしまった。きつそうにしている永戸の姿を見てきたからこそ、そんな気持ちがなくはないです。
たとえ国立が工事で使えないと言われても、諦めなかった永戸がいたから開催できたのだと思う。そんな永戸からたくさんのことを学びました。
もうあと1年。永戸彩花が永戸彩花らしく組織に向き合う姿を応援しています。
本当に無理はしないでね。
ごう、ゆうか(共に慶應義塾体育会ソッカー部所属)
おれが主務になることを伝えたら「おれもやろっかな」みたいなことを言ってたのは覚えてる。まあきっと学年でちゃんと選ばれて決まったんだろうけど。
とりあえず早慶戦開催できてよかった。歴史を変えれたんじゃないですかね。
2人とも通常業務で忙しい中、色々と言ったこともあったけど全ては国立早慶戦を成功させるため。苦しかった日々も素晴らしい思い出です。ありがとう!!
慶應3年’s
ついてきてくれて本当にありがとう。
岡崎くんと永戸の3人でZoomで話した日のこと、いまだに覚えています。
熱量あるみんなが一個下にいてくれたから創り上げることができました。
来年の運営陣は何も心配していません。
みんなが創り上げる最後の舞台を楽しみにしています!
p.s. 慶應1,2年生もどこかで会うとみんな挨拶してくれて、とても嬉しかったです!
両親へ。
ここまでサッカーを何不自由なく続けさせてもらいました。就活を通じてそれがどれだけ凄いことであるのかを学んで、改めて偉大さを実感しました。
小学校4年で担任と色々あった時、父がくれた「誰にも文句を言わせるな」という言葉。正確には母経由で聞いた言葉でしたが、それも相まってより印象的でした。その言葉があったから今の自分があります。不平不満どころかため息をついているところすら見たことがない父親。そんな父になれるように社会人でも頑張ります。
小学校の頃からずっとカメラを持って毎週試合にきてくれて、高校になると自分が出ていない試合にも行くようになった母。大学ではなかなか自分がプレーしている姿を見せることができなかったけど、実家に帰ればどんな時でも前向きな声をかけてくれました。母のような愛情と思いやりがあふれる人になります。来年もア式にお世話になるのかな!
2人ともこれからもよろしくお願いします。
不屈の戦士
引退ブログのラストを飾るのはもちろんこの男。
7月に前十字靭帯断裂の大怪我で離脱を余儀なくされた不屈の戦士。
1年の時から学年リーダーとして度重なる学年のミスに頭を悩ませ、それでも常に先頭に立ち100代目を、この組織をひっぱり続けてくれました。
認めたくはないけれども、特に今季は苦しい時にこそ得点・アシストでチームを何度も救ってきたし、朝は必ず7:00に朝ご飯を食べて寮の自習室で勉強する姿も見てきた。
なんか鈍臭いし、ミーティングになると声小さくなるし、立ち姿もっと堂々としてほしいし、酔っ払って後輩にダル絡みするし、早慶戦前日にサイドミラー電柱にぶつけるし、本キャンと所沢キャンパス間違えるし、FCの引退試合でともえのこと忘れるし、シャワー浴びてないのに勝手に人のベッドで寝るけど、
その人間味こそ伊勢が伊勢たる所以であって、やっぱりこの代の主将は伊勢じゃないと成り立たなくて、主将が伊勢だったからこそ苦しい時期を乗り越えてこれたと本気で思う。
本当に苦しかったと思う。それをピッチの上では何一つ見せなかった。
本当によく頑張ったと思う。
ありがとう、主将。
あと1週間、おれららしく最後まで足掻こう。
プレーしたくてもできない伊勢のためにも。
みんな、伊勢航を漢にしよう。
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