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【#Real Voice 2024】 「アナリスト」 1年・福田新太

はじめまして。


この度、部員ブログを書かせていただきます。
アナリストの福田新太です。




皆さんはサッカー界における「アナリスト」という役職をご存知でしょうか?
分析官、あるいはテクニカルスタッフとも言います。


人それぞれ認識の程度に差はあるかと思いますが、コーチやトレーナー、マネージャーといった役職よりも認知度は低いと思います。実際、高校生の頃からアナリストをやっている私は、「アナリストってそもそも何?」「何する人なの?」といった質問をこれまで幾度となく受けてきました。


簡潔にアナリストの仕事内容を伝えると、「映像やスタッツなどの統計的なデータを集めて、それを用いながら自チームや対戦相手の分析する」といった感じです。
近年、サッカー界でその存在が注目され始め、ヨーロッパをはじめサッカー先進国ではもちろん、Jリーグでも各クラブに1~3人ほど在籍するようになりました。


ただ、依然としてアナリストという役職の認知度は低く、仕事内容を説明しても「つまりコーチってこと?」とか「なんかよく分かんないけど頑張ってるんだね」とか言われがちなマイナーな役職です。




今回は、私がアナリストを志すようになった経緯をお伝えしようと思います。
ありのままを記そうとしたら、かなり長くなってしまいましたが、ぜひ最後までお付き合いください。








きっかけ

兄の影響で小学校1年生の時に始めたサッカー。


当時の私にとってサッカーというものは、「人と繋がるためのツール」の一つでしかなかった気がする。誰かと一緒にボールを蹴っている、ただそれだけで充分だった。


だから、1人で自主練なんて絶対にしなかったし、サッカーの試合を見ることにも興味がなくて、Jリーグはもちろん、代表戦すら見ていなかった。




そんな私がサッカーを「見る・知る」ことに興味を持ったのが小学校5年生の時。親が買ってくれたサッカーゲームがきっかけだった。
サッカーゲームをやっていくうちにチームを知って、選手の名前を覚えて、気づいたらサッカーを見る・知るということが好きになっていた。


親の影響もあって外国に憧れていた私は、そのレベルの高さもあってかヨーロッパサッカーに強く惹かれた。
ワールドサッカーダイジェストというヨーロッパサッカーを中心に取り扱う雑誌を毎月買ってもらい、隅から隅まで欠かさず読んだ。
学校から帰ってきて最初にすることはその日にあった海外サッカーのニュースを読むことだったし、暇さえあればYouTubeで試合のハイライトを見ていた。
気づけば私の部屋の壁は、海外のスター選手のポスターで埋め尽くされていた。


当時の私はいわゆる海外サッカーオタクで、とにかく海外サッカーが好きだった。いろんなことを調べて、知識が増えていって、見る面白さが増して、そのことがたまらなく楽しかった。ただ、私はあくまでもオタクでしかなかったし、サッカーは趣味の1つでしかなかった。





そんな私を大きく変えた試合がある。
私が、将来サッカー界で生きていくことを志すきっかけとなった試合。





2017年6月3日

16-17シーズン UEFA Champions League 決勝

レアル・マドリード vs ユヴェントス




この試合のことは今でも鮮明に思い出せる。
守護神ブッフォンをはじめ、名だたるイタリア人ディフェンダーたちによる堅守を誇り、盤石と言える陣容のイタリア王者ユヴェントスと、のちにCL三連覇という偉業を成し遂げることとなる銀河系軍団レアル・マドリードの試合。
両チームから放たれるスーパーゴール、クリスティアーノ・ロナウドの大活躍、それらに熱狂する観客。


サブスクなどには入っておらず、普段から海外サッカーを見ることのできなかった私にとってその試合の全てが刺激的だった。テレビの画面に映る全てが魅力的だった。


その中でも私が一際心を惹かれた存在が、両チームの監督であるマッシミリアーノ・アッレグリとジネディーヌ・ジダンだった。
なぜピッチ上で躍動する選手たちではなく、ピッチ際に立って指揮をとる2人の監督に惹かれたかは分からない。
ただ、なぜだかその2人の姿に強く惹かれた。私の目には、その2人がどの選手よりも輝いて見えた。


そしてChampions League決勝という世界最高峰の試合。純粋にこの舞台に立ちたいと思った。





その日から私の夢は、この最高の舞台に監督として立ち、トロフィーを掲げることになった。





当時小学校6年生だった私は、どうしたらヨーロッパの強豪クラブの監督になれるのかたくさん調べた。そこに明確な答えなどなかったけれど、サッカーが上手くなくてもプロチームの監督になれることを知ったし、ヨーロッパで指導者経験を積んで着実にステップアップしていけば夢を叶えられるかもしれないということを知った。


ただ、まだ小・中学生だった私にとってその夢はあまりにも大きく、過程は漠然としすぎていた。絶対に夢を叶えるという強い意志はあったが、明確な大きいアクションなどは起こせず、サッカーをより深く知るために本を読む、動画を見る程度の行動にとどまっていた。



そんな中、中学校3年生になった私は高校を選ぶことになる。


私自身は、地元の進学校に進学して高校でもサッカーを続けながら、大学以降に指導者としての道を歩み始めようと考えていた。
そんな私に、当時の担任でサッカー部の顧問を務めていた先生が清水東高校を勧めてくれた。将来指導者になりたいなら今よりも高いレベルのサッカーに触れなければいけないこと、サッカー界は人と人との繋がりが大切だから強豪校出身であることは将来強みになること、などが理由だった。


先生の言うことには納得できたが、私にとってサッカーを「する」ことへの価値観は小学生の頃から変わっていなかった。誰かと一緒にボールを蹴っているだけで満足していた私は、清水東のサッカー部のレベルには及んでいなかったし、上を目指しながら厳しいサッカー部生活を送るのは嫌だった。


そこで私は、高校入学のタイミングで選手としての道を捨て、プロの指導者を志す学生コーチとして清水東で3年間を過ごすことを決めた。




高校時代

サッカーが下手でもちろん指導者経験はない、そもそも高校サッカー界に学生コーチなんて文化はない。不安だらけであったが、サッカー部の監督は私を受け入れてくださり、私は「分析係」として清水東高校サッカー部に入部することとなった。


※分析係と言う役職ではあるが、この時点ではまだ指導者になることが夢だった。



入部したその日、監督が私に「こいつから色々教えてもらえ」と言って紹介してくださったのが伊藤仰津紀(いとうあつき)コーチである。
仰津紀さんは筑波大学・大学院卒の方で、大学院時代は院生コーチとして活動していたため、コーチ業やアナリスト業に関しての知識が豊富だった。


指導者経験も何もない私は、仰津紀さんの手伝いとして振り返り動画の作成などのアナリスト業務も行なった。そのような業務を行なっていく中で、指導者よりもアナリストの方が自分のやりたいことに近いかもな、アナリスト業の方が楽しいな、と感じるようになった。


この感情がアナリストを志す上での、最初の些細なきっかけであった。




これを読んでいるかは分かりませんが、仰津紀さんがいなかったら今の僕はここにいないと思いますし、仰津紀さんに教わったことが今の僕の全てです。
本当に心から感謝していますし、とても尊敬しています。今までもこれからもずっと僕の目標です。
プロのアナリストになって恩返しができるように頑張ります!




そんなことを感じながら清水東での1年が過ぎ、高校2年生になった。
その年の夏休みに、部活で筑波遠征に行く機会があった。


その時に筑波大学のアナリストの方と話をさせてもらった。
人生で初めて「アナリスト」の方と話をして、たくさんのことを教えてもらった。
私が思っていたよりも分析というものは奥が深く、おもしろいものだと知った。
私はその道を極めてみたいと思ったし、その道を歩んでいる筑波のアナリストの方は、とてもかっこよく見えた。


短い時間ではあったが、この出会いを機に、私は小学生の頃からの夢である指導者ではなく、「アナリスト」になることを決めた。



そうして私の夢は、Champions League決勝の舞台に「アナリスト」として立ち、トロフィーを掲げること、に変わった。



筑波遠征から戻ってきてからの私は、今までとは比べ物にならないくらい分析業務に打ち込んだ。仰津紀さんや部活の同期からも、「筑波遠征あたりから福田は変わったよね」と言われた。


データ分析もこの頃から始めたし、編集スキルや試合の見方なども積極的にインプットするようになった。プロのアナリストになるためには何が必要か、ということを考えて日々勉強し続けていた。



そうしてまた1年が過ぎ、勝負の3年目を迎えた。


高校3年のインターハイ。私たちは全国出場を目標に県大会に臨んだ。結果としては準決勝で敗退し、静岡県ベスト4で終わってしまった。


チームとしては目標を達成できず悔しかったが、個人としてはアナリストとしての成長を実感できた大会でもあった。特にベスト16・ベスト8の2試合、自分の分析がチームの勝利に繋がったと心から思えたし、監督もチームメイトも「福田の分析があったから勝てた」と言ってくれた。


この経験は間違いなく今の自分の自信に繋がっている。だから、清水東のチームメイトには心から感謝している。あのゴールが、あのPKが、あの応援がなかったらきっと今とは少し違った自分になっていたと思う。


みんなと戦ったあの大会、そして3年間は自分にとってかけがえのない財産だし、改めて感謝を伝えたい。本当にありがとう。




ここまでに述べたことが、私がアナリストを志すようになった経緯の全てです。


インターハイが終わった後、私には遅めの志望校選びの機会が訪れるのですが、その期間で様々なことを知り、考え、私にアナリストとしての全てを与えてくれた筑波大学ではなく、早稲田大学に進学することを決めました。


将来目指す舞台も、今まではヨーロッパ一択でしたが、高校時代にプロのアナリストの方々などと実際に話す中で多様な価値観に触れ、視野が広がり、JリーグやJFAなどの選択肢も生まれてきました。






そんなこんなで今に至ります。


ア式にきてからの半年間は今まで以上に濃い日々で、たくさんの刺激に溢れています。


総理大臣杯や他大学への活動参加など、1年生ながら特別な経験もたくさんさせてもらいました。


そんな日々の中で自分が強く感じているのは、人として、アナリストとしての力不足です。
アナリストとしてはもっと質も量も高めていかないといけないし、一学生スタッフとしての能力も足りていないなと感じます。人間力もまだまだだなと。


できないことが多すぎるし、足りてない部分ばかりで、自分の理想と現実は大きくかけ離れています。



そんな状況の中で自分が思い出すのは、「明るく、真面目に、前向きに」という、清水東サッカー部の渡邊監督(清水東高等学校サッカー部 渡邊勝己監督)がいつもおっしゃっていた言葉です。
常日頃から口酸っぱく言われていた言葉ですが、大学生になった今、ようやく本当の意味を理解できた気がします。



「いかに苦しく困難な状況であっても、明るく、真面目に、前向きにやっている奴はいつか必ず報われる。世の中はそういう風になっているんだ。」



今は自分にとって苦しい時期かもしれませんが、この言葉を信じて





4年後にプロのアナリストになれるように
4年間で関東一部優勝、インカレ・総理大臣杯優勝を達成できるように今シーズンを一部昇格で終えられるように




明るく、真面目に、前向きに、日々の活動に全力で取り組んでいきます!







最後まで読んでいただき、ありがとうございました!








次のブログ担当者は、尾崎凱琉(1年・大阪桐蔭高等学校)です。
ピッチ上では、速くて強いスーパーCBで、1年生ながらすでに関東リーグデビューも果たし、今年6月にはU-19日本代表にも選出された超期待のルーキーです。
そんなスーパーすぎる彼がブログで何を綴るのか、ぜひお楽しみに!


◇福田新太(ふくだあらた)◇
学年:1年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:県立清水東高等学校

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