【#Real Voice 2022】 「願い」 3年・山田怜於
そもそも実現したかったものってなんだっけ?
そもそも自分が望んでいたものってなんだっけ?
在りたかった姿ってなんだっけ?
それらとは自分の中で折り合いをつけ、
副務になる時に、上の問いの答えは一先ず、というか完全に、
なんなら金輪際出てくるなと言い聞かせて入念に蓋をしておいた。
問いの答えは、自分では分かっていたから。
私の本当の願いは置いていくことを選択した。
ア式蹴球部で活動していく中で、その願いが叶いそうもないなと思いながらも頑張ることは、当時の私には考えることができなかった。
なら今の私がやれること、支えてくれた人達がいるア式蹴球部という組織のために貢献したい。
そして副務として活動する中で、これまで以上に忙しくなって、それは忘れることができた。
そう思っていた。
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2年生のブログを書いたあの時から色々落ち着いて考えて、2022シーズンは副務、2023シーズンは主務として闘います、山田怜於です。
気づけばもう始動ミーティングの三日前。もう、すぐそこに迫っている。
始まってしまえばきっとあっという間に過ぎ去っていくのだろうな。
そんなことを毎年同じ時期に、同じように考えている。
ただ、そのように考えられるのも、ア式蹴球部にいるあと1年のみ。
どのような1年になるのか、全く見当もつかないが、全力で駆け抜けます。
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私は、2022年度のア式蹴球部において副務を務めた。
副務になった理由は、先にも少し書いたが、私を支えてくれた人とア式に、自分なりに恩を返し、その支えてくれた人と共に所属する組織であるア式をより良いチームにしたかったから。
そして、それが私のア式における存在意義であると言えるようにしたかったからである。
そんな中で過ぎ去っていった昨シーズンは厳しく、苦しかった。
副務はチーム付き(試合が始まるまではサポートを行い、試合中はベンチには入らず、少し外れた場所で観戦をする。)に入ることが年間を通じて多い。
ただ、関東リーグ後期に一度だけ主務枠としてベンチに入ったことがある。
ただただキツい。
ただ辛い。
足が重い。体が重い。
時計の針が進むごとに自分の精神がすり減っていく感覚をそこで初めて感じた。
頼む、点が入ってくれ、守ってくれ。
負けたら降格か?まだ大丈夫だよな?
頭の中でグルグルと回るそれらの想いと現実が一斉に迫ってくる。
頭がおかしくなる。
ア式が置かれている状況を芯で捉えると共に、こんな重圧の中で4年生は日々闘っているのか。
どの道を選択しても、先が暗く見えない、なんなら正解がないような状況になっていたことが当たり前で、改善されたと思って全員で喜んでいたのに、すぐどん底に落とされる恐怖。
「前を向こう、上手くいかなくても、やり続けよう。いつかは報われる。」
その言葉が、信じられなくなるくらい。
シーズンを通して課題が多くあるなかで、それに対してひたすらに向き合い、それでも答えが出ず、ぶつかり合って、悩み続けていた人達は、目に見える形でその精神をすり減らしていた。
人が背負える、その限界が見えた気がした。
来年俺は、闘えるのか?
どんな時でも、闘い続けられるのか?
同じ状況になった時、早稲田大学ア式蹴球部の主務として闘えるのか?
そんな不安を抱えている中で、決意のきっかけは、突然やってきた。
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関東リーグでは勝つことができないまま、チームは全試合を消化する前に降格が決定した。
そして最終節の拓殖大学戦を迎えた。
「ア式蹴球部副務の山田怜於」として闘うのではなく、「ア式蹴球部GKの山田怜於」として関東リーグで闘う機会を頂いた。
関東リーグ初メンバー入り、初出場だった。
これまでベンチからスタッフとして見ていた景色、その景色の中に自分がいる。
実際にそこで闘うということ。
自分が出ることで、試合に出られなくなる人がいるという事実。
ベンチから重圧を感じたあの時よりも、もっと圧倒的な実感を持って形のない、重いものが心に沈む。
実際側から見れば消化試合と捉える人もいるかもしれないし、そんな状況だからこそあの関東リーグの舞台に出ることが実現したのかもしれない。
実際、試合にも負けた。最悪なミスも、失点もした。
本当に不甲斐ないプレーしか出来なかった。
ただ、それと同時にサッカーが心から楽しいと感じた。
かつて、心からサッカーが好きだった頃を思い出した。
そして何より、
選手としての自分を応援してくれる人がいる。
出ることが決まった時に、喜んでくれる人がいる。
自分が否定し、蓋をした願い、そう在りたかった姿を肯定してくれる人が近くにいた。
かつて自分の可能性を信じて疑わなかった私を救ってくれる人がいた。
いつか折り合いをつけたはずのもの、存在すれば羨ましいほどの在り方を実現したいと思わせてくれた。
この経験はこれまでの人生で最も重要なもので、私にしかない、私だけの原動力になる。
サッカーを何故やってきて、今主務としてなんのために闘うのか。
私は、ア式で共に闘ってくれる人のために
私は、かつての自分を救ってくれた人のために
私は、在りたかった姿を実現するために
ア式蹴球部99年の主務として、必ずア式を一年で関東1部に戻す。
強い早稲田を取り戻す。
ア式蹴球部の歴史を創り上げるために、最後の瞬間まで闘い続ける。
これが私の願いであり、決意である。