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【#Real Voice 2024】 「幸せを噛み締めて」 4年・森山絢太

自分にとっての幸せとは何なのだろうか。


引退が近づくにつれて、


社会人に近づくにつれて考えることである。


みなさんにとっての幸せってなんですか。



先に答えておきます。私にとっての幸せとはサッカーそのものです。


先日、ある先輩から「なんでサッカーが好きなの?」と聞かれた。


楽しいから。
ゴールを決められるから。
チームの仲間とたった一つのボールでゴールに向かう。
そして、勝利を分かち合えるから。
そんな単純なものしか答えられなかった。


思い返せば、小学2年生の時、習い事としてサッカーか野球、どちらをやるか迷い、サッカーをすることに決めた。


理由は、保育園のサッカー大会で優勝したのが嬉しくて、楽しかったのを覚えていたからだった気がする。


こんな些細なきっかけから始まったサッカー人生が16年間も続き、生活の一部となり、もうすぐ終わろうとしているのは信じられない。



大学生活を振り返ってみる。
ターニングポイントとなった1年目と4年目を主に振り返ろうと思う。



大学に入学して1年目、ア式蹴球部の門を叩いた。


しかし、入部することができなかった。


他のみんなにはあって、だけど、自分には足りないものだらけだったのだと気付かされた。


なんで自分が入部できなかったんだ。なんであいつが入部できたんだと。


そんな幼稚な考えしかできなかった。



今ならわかる。


相手が求めているものに対して、自分が答えられなかった結果だったのだと。



そして、想像していた大学1年目とは大きく違い、
大学サッカー部ではなく社会人のエリース東京というチームでサッカーを続けることになった。



このチームは正直に良い意味で変態しかいなかった。



毎日仕事をして疲れているのに、ジムに行き体を鍛える人。
飲み会で朝まで飲んでたのに、意気揚々と練習に来る人。
家族もいるのに。


自分の思い描いていた社会人サッカーとはかけ離れていた。


みんな真剣な顔でボールを蹴っている。


練習中に監督に向かって抗議をしたり、
熱が入りすぎて選手同士で喧嘩をしたり、
明日から仕事があるのに、
そんなの気にせずクタクタになるまで走って、一つの勝利に貪欲になり、勝てば笑顔で溢れ、負ければ悔しさで溢れる。



この人たちはサッカーが大好きで、この人たちにとってサッカーとは幸せそのもので、いつまでも手放せないものなのだと。


そして、サッカーがあれば年齢、性別、これまでの人生問わずあらゆる人とつながることができた。


数ヶ月という短い期間だったが、多くを学ばせてもらいました。
(エリース東京のみなさん。この時親身に話を聞いてくれた玉井さん(玉井智久コーチ)お世話になりました。)



大学2年目、
ようやくの思いで入部を認めていただき憧れのア式蹴球部でサッカーができることになった。
主にIリーグでプレーし、4年生の結束力に幾度となく助けてもらった。



大学3年目、
トップチームに関わらせてもらった。
周りは選手がうますぎた。全然歯が立たなかった。
全然試合に出れなかった。
不貞腐れてサッカーに集中できなかった時もあった。
全然サッカーが楽しくなかった。
だけど、どうしたらこいつらみたいに上手くなれるのか、どうしたらこいつらと肩を並べサッカーができるのか、練習や試合の動画を見て、振り返って、考えて考えて、考えまくった。
昨日より今日、今日より明日。
できることが増えたこと。以前に比べて上手くなったのを実感したこと。
サッカーがすごく楽しくなった。もっと上手くなれると思った。


大学4年目、
信頼関係が大事だということを身に染みて感じた。


シーズン当初に大怪我。それもしょうもないことで。
決して浮ついた気持ちはなかった。だけど、どこか心の隅に隙があったのかもしれない。
良いスタートを切るために準備もしていたし、今年こそは試合に出続けるという目標さえ持っていた。


こんなことでサッカーから離れるとは、
大学ラストシーズンでサッカーができなくなるとは思いもしなかった。


3年時、体調を崩した時に兵藤さん(兵藤慎剛監督)から頂いた言葉が突き刺さる。
「体調を何回も崩したり、何回も怪我をしたりする選手は信頼し難い。」


まさにその通りである。


自己管理ができないやつを誰が信頼できるのか。



自分がどうしよもなく情けない。
毎日何でこんなことになったのか考えて眠れず朝を迎えることも多かった。


今年は情けない1年だった。







ここまでを振り返るとつくづく自分は恵まれた人間なのだと感じる。


地元から東京に出てきて、素晴らしい環境で、素晴らしい仲間と大好きなサッカーができていることが。


自分だけで到底実現することができないことを周りの方々のおかげで経験することができた。


早くから練習の準備をしてくれる1年生、自分がサッカーをするわけでもないのに裏で支えてくれるマネージャー、早慶戦のために長い間運営してくれた人たち、寝る間も惜しんで分析をしてくれる学生コーチ、チームが苦しい時でも鼓舞し続ける選手、スタッフ、長期怪我を強いられてもグラウンドでは嫌な顔見せずチームを支えてくれる人、会場が遠くても雨の日でも、メンバーに入れず悔しくても、文句を言いながらもそれでも90分間応援し続けてくれるみんな。
こんな素晴らしい人たちのもとでサッカーができている今がすごく幸せに感じる。






4年間の大学生活を終えようとしている今、


本当にア式蹴球部でサッカーをしてきてよかったのか、


チームの仲間に、同期のみんなに何かを残せたのか。


自分を支えてくれた人に何か恩返しができたのか。


考えれば考えるほど、自分という人間の物足りなさに気付かされる。
しかし、ここまで楽しくサッカーができたことは自分にとっての幸せだっただろう。
練習前あいつと筋トレをした。
練習後遅くまであいつとシュート練習をした。
あいつとクロス練習をした。
あいつと1対1をした。
あいつとロングキックをした。
試合後あいつらと悔し涙を流した。
あいつらと勝利の喜びを分かち合った。


思い返せばキリがない、どれも自分にとってかけがえのない時間だった。


もちろん試合に出られず悔しくて、ミスをして冷ややかな目で見られ、怪我をしてチームに貢献できないもどかしさを感じて。嫌なことを楽しかったことと同じくらい。いや、それ以上に経験してきたと思う。





それでもこのア式蹴球部での3年間は長くて、密度の濃くて、尊い時間だった。



やっぱり自分にとっての幸せがサッカーなのだと。



最後に
1年目入部できず、2度目の挑戦でもあたたかく迎え入れてくれた同期(現4年生)のみんな

年齢が2個も離れているのに、嫌な顔一つせずに接してくれた同期のみんな(現3年生)

ありがとう。



先輩や同期、後輩、そして、遠くから応援に来てくれて、支えてくれた両親や兄弟。
数多くの方々の支えによってこれまでのサッカー人生を歩んでこれました



残り1ヶ月を切りましたが、
感謝の気持ちを持って、1日1日を無駄にしないように。
チームのため、仲間のため、少しでも力になれるよう全力を尽くします。








次のブログは、矢萩啓暉(4年・モンテディオ山形ユース)になります。
普段はおちゃらけている彼ですが、グラウンドに来ると鋭い目つきと的確なコーチングで選手をコーチの立場からサポートしています。
そんな彼の思いがここで打ち明かされると思うと楽しみで仕方がありません。


◇森山絢太(もりやまけんた)◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:三田学園高等学校

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