【#Real Voice 2023】 「経験は価値ある財産」 1年・岡井陶歩
本日部員ブログを担当させていただく、1年岡井陶歩です。少し長い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私は3歳上の兄がサッカーをしていた影響もあり、4歳から幼稚園のクラブでサッカーを始めた。小学生になると、本格的にサッカーを始めた。上手くなることが楽しく、とにかく負けず嫌いだった私はどんどん成長していった。小5から始まったトレセンでは東京選抜の活動に全て選ばれ、最終的にはナショナルトレセンにも選ばれた。軽く天狗になっていた。
ジュニアユースはセレクションに合格し、マリノスの下部組織に入った。
ここで私は、サッカー人生で初めて挫折を味わった。
試合に出られなくなったのだ。
プロを夢見る13歳にとって、理想と現実がかけ離れていたのでとにかく辛かった。
関東リーグに出られず帰る度に、家で泣いていたのを今でも覚えている。そして中学生のまだ未熟な自分は、この挫折をただただ困難なものとしてしか捉えられなくなってしまっていた。次第に文句や言い訳が増えるようになった。
ここで初めて弱い自分が出てきてしまった。
3年になる頃には、身長も伸び、少しずつ自分が思うようなプレーができるようになったが、安定して試合に出ることは出来なかった。
結果的にユースに昇格することは出来ず、自分自身に負けた3年間となった。
高校は、自分のプレースタイルに合う、テクニックを重視する國學院久我山高校に入った。学年に数人しかいないスポーツ推薦で入った私は、1年目からAチームで活躍しようと強く決意をしていた。ちょうどこの時期にコロナウイルスが蔓延していた為、チームの活動は制限がある中で8月頃に始まった。
始まってすぐの紅白戦の後に、自分達1年は監督にある言葉を言われた。
「このままだと、3年生になった時に西が丘のピッチに誰1人たてないぞ。」と。
この言葉通り、最初からAチームに絡む事は出来ず、Cチームスタートだった。しょうがない、すぐに上がってやろうと思った。練習試合では基本的に点を取ってアピールをしたつもりだったが、なかなか上のカテゴリーに上がる事はできなかった。そんな中、何人も同期が上がっていくのを目の当たりにして、こんな事を思うようになった。
「あれ、俺ってこんな下手だったっけ」
サッカー人生で初めてこんな感情になった。
自信のない選手がピッチで活躍できる訳もなく、結局Aチームに上がることは出来ず1年目を終え、新シーズンに向けアピールする時期となった。
この時期が本当に勝負だと感じた私は気持ちを切り替え、コーチ陣に求められることを全てやろうと決意した。邪魔していた変なプライドを捨て、自分を弱いと認め、本気で変わろうとした。
そしてこの時期に、昔からずっとやっていたトップ下やサイドなどの前線からサイドバックに転向した。
昔の自分なら納得がいかず、文句を言っていたと思うが、試合に出る為に感情を押し殺し、与えられたポジションでプレーをした。上手くいかない時もあったが、試行錯誤しながら少しずつ成長した。
結果的に2年のスタートからスタメンで試合に出られるまで上り詰めた。
しかし、また悔しい思いをする事になった。夏のインターハイの東京予選で負けた以降、ベンチスタートの試合が増えた。そして、夏以降はAチームでベンチにいるのではなく、Bチームで試合経験を積む事になった。
悔しさはあったが、サイドバックとして自分の実力不足を認識していた為、素直に受け入れ、自分の成長する期間に当てた。この期間で私は右サイドバックから左サイドバックに転向した。当然、Aチームから下に落ちた訳だから、心の内は悔しさで溢れていたが、1ヶ月後、3ヶ月後、そして1年後の自分の為に落ち込んでいる暇はないと考え、とにかく右利き左サイドバックの選手のプレー集をよく見た。
中学の時に目標を見失い、長い時間を無駄にしてしまった事を思い出し、同じ過ちを繰り返すのはもうやめようと決意した。
シーズン終盤になると、プレーの調子も上がってきたが、結局選手権予選に出場することはできず、悔しさを抱えラストシーズンに入った。
2年の上手くいかない時期に諦めず、先を見据えて努力した結果も実り、3年は全ての試合にスタメン出場し、交代も数回でほぼフル出場を果たすことが出来た。
最後は選手権の全国の舞台で、被シュート2本、PK負け、ベスト16、自分達が負けたチームが優勝、という人生で1番悔しい経験をして高校生活は幕を閉じた。(今でも悔しいのであまり振り返りたくない)
そして現在私はア式蹴球部に所属している。
ランテストを乗り越え、仮入部期間で人間として成長して。
仮入部の期間ではピッチ内外チームの為に、とにかく考えて行動することが求められる。考える事が増えると必然的に自分を知ろうとする。自分は何が出来て、何が足りないのか。
それはサッカーも同様。
中学と高1の私は、自分を見失い、上手くいかない時に矢印を外的要因に向けてばかりの弱い人間だった。1番の問題は、自分が弱いことを自覚出来ていなかった事だ。だから、成長スピードはとにかく遅かった。
高校のコーチがよくこんな言葉を言っていた。
「外的要因に左右されるな」
これは自分が最近サッカーをするうえで意識していることである。
人はうまく行かない時にどうしても、環境などの外的要因に矢印を向けてしまう。分かっていても、矢印を自分に向けることはなかなか難しい。
実際ア式に来てからも、何度か矢印が外に向いてしまった事もある。その度に、この言葉を思い出し、すぐに矢印を自分に向けるように心がけている。
大学生になってから、1人の時もみんなといる時もサッカーについて考える事が多くなった。ついこの間はさく(1年・高橋作和)と西井(1年・西井大翔)と夜、五右衛門でサッカーの話をしたらつい盛り上がって、閉店時間まで話したりもした。
自分のプレーを振り返り、今後Aチームに上がる為には、そしてその後プロになる為には、どうしたらいいのか。
昔はしてこなかったが、今では他人からアドバイスをもらおうとする自分がいる。ア式に来てからも少しずつではあるが、日々成長を感じる。
しかし現状私はア式で1番下からのスタートである。自分を表現する事の難しさを感じるとともに、上手くいかない事が連続している。
一方、高校時代2人組を組んでいた奴はいまや世代別日本代表だし、サイドを組んでいた奴は、関西1部ですでに試合に出ているし、横のセンバも関東1部で出ているし、めちゃめちゃ焦らせてくる。
絶対に負けたくない気持ちは持ちながらも、矢印は常に内側に向けなければならない。
簡単な事じゃないけど、今の自分は過去の挫折から自身を理解し、弱さに向き合う事が出来ている。
そう考えると良い経験だけじゃなくて、悪い経験も人生の財産になっていると胸を張って言える。
「経験は価値ある財産」
これは私が1番気に入っている言葉である。
どんなに有名な人の言葉や本を読んでも、その人の経験を肌で感じる事は出来ない。
1番価値があるのは、自分自身が肌で感じた経験である。
私はサッカー人生で色んな経験をした。
その全ては価値ある財産だということ。
そして、これから必ず訪れるどんな困難も、自身が経験するものは全て価値がある財産になるということ。
それが分かっていれば、何も心配はない。
何も恐れずチャレンジができる。
最後に、この1年は私にとって勝負の1年になる。1年後、ブログを書く時に後悔1つ残さないよう、矢印は常に内側で、全力で走り抜けたい。
サッカーを楽しみながら。
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