『「仮面浪人説話集」(生方聖己とされる)』 第13章
【注釈】
今日の内容は、文章を書く途中で力尽きてしまったために中途半端なところで終わってしまった昨日の投稿の続きです。今日の文章を冒頭から読み始めてもおそらく意味が分からないと思うので、昨日の投稿と併せてご覧ください。
答え合わせの方法は、牛乳を入れる専用のボックスがあるのだが、牛乳係が片付ける前に自分で誰がどこに置いたかを覚えておき、確認するのだ。 くりもと牛乳に限る理由は、まだこの能力を有してた時に、母親に頼んで家にある1ℓ牛乳で試したのだが、全くもってあの200mℓ牛乳を見た時に伝わる感覚、まるで自分が持っ ているかのようにはっきりと伝わる感覚を得る事は出来なかった。そしてこの能力はある日気づけば失われていることに気づいた。
デジャブの話に戻すと、自分は「デジャブ=既視感」と認識して以来、偶然かはわからないが、 デジャブという単語を他の人の口から聞くことが多くなった。特に中学に上がってから高校までの間だろうか。あぁ本当に存在している単語なのか、と再認識する一方、ほとんどの人がデジャブを、”既視感、体験していないことを体験したかのように錯覚する“というメーカーの意図通りの意味ではなく、”以前に起こった事、またはそれとほぼ似た現象が再び、 実際に起こった際に使われる言葉“として”デジャブという言葉を用いていることが分かった。
皆様の周りはどうだろうか?
自分は先ほどそれを踏まえた上でわざと本来の、いや本来のというと語弊があるので”メーカーの意図通り“の意味とは違う意味で使ってみた。だから、それに違和感を覚えなかった人は後者の意味で”デジャブ“を使っていた可能性が高い。
例えばだが、自分の高校の友達があるときシンプルに転んで皆で笑った。そしてしばらくの後ほぼ 同じ場所で同じ友達が転ぶ。そして皆でまた大笑いするのだが、だれか1人が「デジャブじゃん」と言った。そして自分は「デジャブってそう意味だっけ?」と思う。
これはいい加減な例であったが、こんなことがこの期間頻繁に起こった。そうしてそれが繰り返されるうちに、自分の中でだんだんと「デジャブ=同じ事が実際に起こった際に使う言葉」として認識されていった。だから先ほど”わざと違う意味で使ってみた“と自信満々風に書いたのだが、急に「そう言えばデジャブってホントはどういう意味なのだろうか?」と思って生まれて初めてネットで調べてみた挙句、”既視感”の意味であったためにこれについて書くことを決めた。
デジャブの例を挙げたことを今後悔している。何も思いつかない。パンクしそうだ。死にそうだ。追われるのは生きていくうえで不便だ、 、 、 。
でも自分は自分に不都合なことがあるとこう思う。そして一番怖いのはこれが実は真理なのではないかと本気で思うことである。そしてもっと怖いのは真理が存在しないと本気で思っていることである。そして一番悲しいのはこの一連の動作に意味がないことを理解してしまっていることである。そして1番悪いことはこれを公言してしまうところである。
「自分の思ったことがそうである」
「自分がそう定義するならばそうである」
「すべてのことに理由がない」
「ないと思えばない」
「あると思えばある」
「デジャブの意味が既視感である理由が存在しない」
「万物全てのものに意味は存在しない」
「意味に意味は存在しない」
本当は。
それなのに皆はなぜ羨望する。
そのような性格をもって生まれたことを
虚に気づかないで生きていける。
存在していない虚に気づくはずもないからか。
Give up.
そしてもう1つの心配ごとはそう、もうきてもおかしくない“あの瞬間”の最終形態(詳しくは第3章をチェック)がまだ来ていない事であった。自分は早く早くと待ちわびていた。こっちに帰ってきて以来。もういつ来てもおかしくない状態であった。だからこそそれがいち早く来てほしかった。
そいつの到来が遅ければ遅いほど自分の目標達成可能率は一気に下がる。
ただし、なぜだか来なかった。2週間前にして。
最悪なことにこのせいで、「もしかして今年はもう来ないんじゃないか?」と思ってしまっていた。もう耐性ができたのでは?とか思っていた。
第14章へと続く…
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