「日本の美を子どもたちに(4)」〜Sense of Transience & DESIGN Thinking
ケの美とデザイン
最近はあまり使われなくなりましたが、日本には「ハレの日」や「晴れ着」で代表されるような、非日常の祝祭的な意味を持つ「ハレ」という言葉と、それと対比して日常を表す言葉「ケ」があります。慎ましやかな日常があるからこそ「ハレ」が輝き、美しいのです。しかし、企業は経済的利益を優先し、広告的に「ハレ」を大量生産し生活者の購買意欲を煽った結果、日常がハレ化して本来の「ハレ」の価値が薄れてしまい、逆に「ケ」(日常)の価値が低下し、何もない日常が貧しいことであるかのように感じられ、それが精神的な貧困にも繋がっているように思います。
かつて日本には、日常の中に「美」がありました。それは、建築や内装を超えた、人と人との関わり、人とモノ、人と自然(神)との関わりでもありました。そういう日常生活の中にある「美」が生活を豊かにしていたのです。しかし、現代社会は物質的豊かさ・視覚的な美しさ(=ハレ)を求めすぎた結果、逆に日常生活を貧しくし、結果として日本人の幸福度を下げているのです。だからこそ、子どもたちが経済中心社会に毒される前に、本当の豊かさを知ることが重要です。それは、保育園の生活を通して多様な「美」と出会うことであり、その美は「Sense of Transience(儚さの感性)」であってほしいと思うのです。