
"social distance"って日本語で何て訳すの? その1
こんにちは、わさびです。先日、大学サッカー部の友人とzoomを使って流行のオンライン会議をやってみました。その中で、「来週までに考えてね!」と宿題にされたのが今回のタイトル、social distance の日本語訳です。他の友人の考えを聞いたりして自分なりにまとめてみました。
1.social distanceって何?
新型コロナウイルスによって世界は大きく変化し、私たちの生活にも不便が生じているのはみなさんが体感しているとおりでしょう。social distance、いわゆる『社会的距離』とは飛沫感染を防ぐために多く叫ばれています。
近頃では小池百合子東京都知事が取材する記者に対して「密です」と言ったことで相手との距離感を保持していました。下記リンクで描かれているように、social distanceとは2m間隔を空けることを示します。
https://twitter.com/TakuzouToitoi/status/1248883787846451201?s=20
ですが、これはコロナウイルスが流行している現代だからなのではないか?と私は疑問に思いました。感染症の恐怖があるから距離感を保つけれど、その危険性がなければ世の中は3密(密集・密閉・密接)のオンパレードです。
ですから、コロナ収束後の世界でも通ずるsocial distanceを考えました。直訳や意味合いは多少変化していますが、「こんな考え方もあるのか!」と頭の隅に残してもらえたら幸いです。
2.social distanceの前提条件 『思いやり』
コロナ禍において、他者と2mの距離を保つことは自分が感染しないためであると同時に、持っているかもしれないウイルスを他者に移さないためでもあります。マスクをしたり、外出自粛もこのためですよね。
一つのシーンを想像してみましょう。Aさん目の前には仲の良い友人であるB君がいます。Aさんは互いの感染リスクを考えて2mほど距離を保って会話をしようと意識します。その一方で、B君は仲がいいからと肩を組んで話をしようと近づきました。
これではどちらか一方が保菌者だった場合感染のリスクが高まります。仮にB君が無症状保菌者だとして、Aさんに感染→帰宅後家族も感染→両親の職場・兄弟の学校感染。このようなことが起こりうるかもしれません。
この事態の場合、B君にAさんに移さないという『思いやり』があれば防げたかもしれません。この思いやりとは、自分のことだけではなく相手のことも考えてあげることです。
このことから、social distanceはの両者『思いやり』があって初めて成立すると導けるのです。自分がいくら拒んでも相手が近寄るなら逃げでもしないと距離感は保てません。
3. 社会と常識 他者との認識のズレ
当たり前だけどハッと思わせられるような話を友人としました。彼は4月から中学教員として勤務しています。単純な疑問として、「生徒同士が揉めたらどう解決するの?」と聞いたところ、彼は以下のように答えてくれました。
互いの認識のズレを知らせる。そこから先は当人がどうするかが大切。
自分だったら何が悪くてどうすべきかまで考えさせてしまうだろうと思います。これを踏まえた上で彼に、「social distanceって何だと思う?」と聞いたところ、「適切な・常識的な距離」答えてくれました。さらに『常識』というワードについて以下のように説明してくれました。
社会が変われば常識が変わる。
深いですね。新型コロナウイルスによって社会は変わり、対人間に2mの距離を設けることが常識になりつつあります。
『思いやり』を実践していく上で『常識のズレ』をなくすことは如何に大切かと彼の話を聞いて想いました。
4.まとめ 『思いやりの距離感』
私個人の見解として、social distanceとは『思いやりの距離感』と訳したいと思います。①自分と他者の認識のズレが小さく(常識のズレが小さい)、②自他共に気遣い合える。この二点がsocial distanceの成立には欠かせません。
大切な家族、友人、同僚などあらゆる人を守るために『思いやりの気持ち』を持ってみませんか?その気持ちで何かが変わるかもしれません。
ご精読ありがとうございました。ご意見や考えなどありましたらコメントして頂けたらと思います。
次回はSNSにおけるsocial distanceを書こうと思います。