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日本の氷に辿り着くまで(2年・笠井美好奈)

はじめまして!文化構想学部2年の笠井美好奈(かさい みいな)です!昨年の秋に入学し、今年スケート部に入部しました。
私たちフィギュア部門は2025年3月1日(土)に「WASEDA ON ICE」というアイスショーを控えています。

今回は日本の氷に辿り着くまでの私のスケート人生についてお話しさせていただきたいと思います!

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ちなみに「WASEDA ON ICE 2025」の先行入場券などがリターンに含まれるクラウドファンディングも2025年1月15日(水)23:00まで実施中です!

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アメリカのリンクってどんな感じ?


雪が積もれば、翌朝には街がかちんこちんの氷にしかれるシカゴで生まれ育った私にとっては、スケートリンクはとても身近な場所でした。

リンクに降りたら一番に見えるのは、星の散らばったアメリカの国旗。リンクの壁を完全に覆っていて、ここはアメリカだなって感ぜざるを得ない。

スケーティングしだすと、大抵ホッケー選手の行列がリンクの向かい側のロッカールームあたりにでき、どうも気が散ってしまう。ごそごそ歩く大柄ボーイズたちはスティックを振り回したり、水筒を水鉄砲代わりにしてふざける。

「こんなに騒がしいところで練習なんてできない!」と思う時もあるけれど、友達の 「Hi! 」とか 「Hey!」といった元気な挨拶に囲まれて、心が温かみでいっぱいになる。

ちびの妹と冬のエキシビションのために練習していたときの様子。
曲はFrosty the Snowman だったので妹は帽子を被りました!

お互い練習の動画をとりあったり、曲をかけあったりして、厳しい練習も楽しく感じることが多い。製氷時間までみんなで頑張ろうというような空気が、アメリカのリンクにはある。

日本の大学に進学することが決まる前の私は、こういうリンクで練習してきました。

スケートの日々が突然さらわれて

スケートを始めたのは5歳のときだったけれど、競技などのために真剣に練習し始めたのは11歳ごろのとき。


今振り返ると少し恥ずかしいけれど、その頃はちょうどアイデンティティーのひらめきのようなものがある年頃で、「自分はフィギュアスケート選手だ!オリンピックに行くぞー!」という風に思っていました。

体育の授業も免除してもらい、毎日早退して、いつも他の子たちの一足先にリンクに着いていました。大きな笑顔でリンクに行き、一生懸命練習しました。

ところが、そういうスケートの日々が突然さらわれてしまって、心が暗闇に覆われました。

2020年9月16日、水曜日。16時ごろの陸上トレーニングの時。

段差のあるところで他のスケーターたちとジャンプの練習をしていた。「もっと速く!もっと速く!」とコーチの怒鳴り声が響き、私たちは全力で跳んでどしんどしん音を立てていた。

競技で難しいジャンプを着氷している自分を想像して、ひたすら跳んだ。

左の足首がグキッとなって、金槌に打たれるような痛みが、足中に広がった。


ギプスは氷を思わせる青色のキラキラつき(Sparkling Blue)というのを選びました。

病院。消毒の匂い。医者。

レントゲン。MRI。CT SCAN。

骨折。靭帯損傷。腱炎。

ギプス。松葉杖。それと処方箋。

今度は違う病院。

1年半、以上の繰り返しを行う。

スケートするどころか、歩くことすらできなかった。オリンピックに出る夢は粉々に砕けた。

でも、それをどうしても認められなかった。粉々になった夢を、元の輝く姿に戻そうと思い、ギプスのままストレッチやバレエを続けて復帰後の自分の目標を書きまくった。

復帰したら、いざ、日本へ!

怪我をしたのは15歳の時。ちょうどSAT(全国共通テスト)の勉強に取り組まなければいけない時期だった。いわば、日本の受験勉強。

勉強机はリンクに代わって、私の目標を立てるためのとっておきの場所となった。その机で、ひらめきの時期が再び訪れた。「日本の大学に行きたい!」という新たな夢を持ったのです。

幼い頃から母と妹とは日本語で喋っていて、テレビも日本の番組を観て、本棚に並んでいたのも日本から買って帰った本だったので、シカゴの家は日本の家庭というような感じで、「日本の大学に入学することは決して無理じゃない!」と思った。

スケートの練習を熱心にしていた11歳〜15歳の期間にはすっかり忘れていた国語の勉強を再開しなければ日本で生活できないと思い、毎日小・中学レベルの漢字ドリルを1週間に一冊という調子でやり出した。

「高校を卒業するまでに、日本にいる高校生たちに追いつきたい! 」という気持ちで心には火がつき、2年間で高校レベルの国語力を身につけることを決心した。

日本で高校の先生を勤めている叔母に教科書を取り寄せてもらい、それを国際郵便でアメリカに送ってもらったり、NHKの高校講座を観たりして、少しずつ日本の高校生たちに追いつこうとした。さすがに古文や漢文とかには手が届かなかったけれど。(笑)


16歳半の時、やっとギプスを取ってもらう日が来た。

「歩いてみてごらん」と医者が言ったので、一歩踏み出そうとしたら、

不気味な薄紫色に変色してしわしわにふやけた細い足首は、90度に固まったままで、前に進んでくれなかった。あまりにも長い間固定されていたから、歩き方を思い出せなかった。

でも、こんな足でも歩けるようになり、走れるようになり、やがてスケートにも戻ることができた。自分にはアメリカでなく日本の大学に入学するという怪我する前にはなかった大きな目標があったので、生まれ変わったような気持ちで再び競技に出場することができた。

そして、17歳の春、早稲田大学に進学することが決まったときは、
「これで日本に住める!!」と歓喜の叫びを家中に響かせたのをはっきりと覚えている。

早稲田に進学することが決まってから見た上空からの日本の景色はとりわけ美しかったなぁ。山脈の上にはもこもこの雲が晴天を漂っていた。

夏にはアメリカの高校を卒業し、やっと日本での新しい生活を切り拓けることになった。

早稲田大学スケート部の部員として

秋に入学したので、スケート部に入部した時にはもう2学期目だった。

日本での一人暮らしにやっと慣れた頃で、初めて日本のスケートリンクに足を踏み入れてインカレに向けて練習するのが楽しみで仕方がなかった。

ところが、私はアメリカの級しか持っていなかったので、日本の競技に出場するには初級から級を取り直さなければならないとのことで。。。

♪ たたたった たったーん た たたたった たったーん ♪ 

ちびっ子たちとクロスとワルツのオンパレードです。

こればかりか、日本ではなんと、リンクのクラブ会員でなければ一般滑走でしか練習できないとのことで、唖然としてしまった。

アメリカでは全く異なった制度で、1級以上のスケーターであれば、誰でもフリースタイル・タイムで自由に曲かけ練習もできるんだけど。。。

というわけで、「なんで練習したいのにさせてもらえないの!?」と思う時はよくあるけれど、優しい監督の八木沼純子先生や、スケート部のみんながいてくれるから、どうにか3級まで取ることができました!

これでやっと来年のインカレの予選に出られるのでやる気がパワーアップされたような気持ちです!初めての早稲田オンアイスも近づいてきているので、力いっぱい頑張ります!


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⛸️クラウドファンディング実施中!
試合出場費・練習貸切費用など競技成績向上のため、及び私たちが1からプロデュースするアイスショー「WASEDA ON ICE」の継続開催に向けて、クラウドファンディングを実施しています(2025年1月15日(金)23時まで)
https://readyfor.jp/proje



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⛸️WASEDA ON ICE 2025
2025年3月1日(土)
16時開場、17時開演、19時30分終演(予定)
会場:東伏見・ダイドードリンコアイスアリーナ
※上記のクラウドファンディングによる入場券をお持ちの方は、開場時間15分前(15時45分)より入場し、直前リハーサルをご観覧いただけます!
詳細は公式SNSにて順次公開してまいります!
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