16年間のスケート人生を振り返って(4年・廣田聖幸)
こんにちは。早稲田大学スケート部フィギュア部門4年の廣田聖幸です。僕たちは3月1日(土)にWASEDA ON ICE 2025を開催します。
今回はスケート部を卒業し、スケートを引退する年になったということで、今まで16年続けてきたフィギュアスケートを振り返ろうかなと思います。
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ちなみに「WASEDA ON ICE 2025」の先行入場券などがリターンに含まれるクラウドファンディングも2025年1月15日(水)23:00まで実施中です。
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まずは僕とフィギュアスケートとの出会いについて話そうかなと思います。
自分が住んでいる江戸川区は小学四年生で学校でスケート教室に行く行事があることから、母は少しでもできたらいいなと思って、江戸川スポーツランドで行われているスケート教室に申し込みをして、そこに参加してスケートをしたのが初めてになります。
初めは1人でスケート靴を履いた状態で立つこともままならず、ずっと泣いていたと聞いています。その時の記憶はぼんやり覚えているような気もします。当時教えていて、その後のコーチにもなる鈴木朱美先生には、この子は辞めちゃうだろうなと思われていたようです(笑)。でも、次の月にまたいる!って思われていて、気づけば小学生になるまでスケート教室に通っていました。
そして小学生になって、初めてのスケート靴を買ってもらい、始めたというのがきっかけです。
本格的に始めて、先ほど話した鈴木先生に、大学生になるまで、優しく時に厳しく指導していただきました。
当時は男子スケーターも今のように多いわけではなく、ノービス男子の東京ブロックも多くて3人というような状態だったので、幸いにも全日本ノービスに出場できることができました。今年の世界選手権の代表になった佐藤駿選手や壷井達也選手などはこの頃からすでにレベルが高かったことを覚えています。
そこから多くの選手と出会い、階級が上がり、当時のことを覚えているかはわかりませんが、早稲田大学の先輩でもある西山真瑚さんにも出会ったり、いろいろな経験をできました。
中学受験の時は、勉強との両立が苦しいながらも、12月に行われるバッジテストまで頑張って練習した記憶があります。
中学生になってからは、学校が終わってから母のお迎えで江戸川のリンクに練習に行く、夏の間はアクアリンクちばに練習に行くという日々が続きました。練習のために、友達と一緒に帰るということもなかなかできなかったですが、学校の先生や友達は応援してくれていたと思います。
中学の間はジュニアとして出場するために必要な6級がなかなか取得できず、周りがどんどん上手くなっていくのを見て、少し焦りを感じていたと思います。
6級を取得できたのは高2だったかと思います。高2で初めてジュニアとして試合に出ることができて、でも全然いい結果を残せなくて試合後に叱られ、とても泣いたのを覚えています。その頃から、今や日本のトップの選手となった鍵山優真選手、三浦佳生選手はすでに頭角を表していたことを鮮明に覚えています。
高2のときに初めてインターハイという全国レベルの大会に久しぶりに出場し、奇跡的にショートを通過できたという嬉しい記憶と、通過できると思っていなくて、全く練習していなかったフリーがズタボロだったという悔しい思い出が残っています。ただ、当時自分のクラスの担任を4年も務めていた先生はずっと自分のスケートを応援してくれていたので、自分のスケートを見せることができてよかったなと思っています。その後の国体にも出場
高3は大学受験との両立でまた苦労しました。決して学校内で優秀だったわけでもなかったですが、今の学部に入るために全力を尽くしつつ、スケートも両立して続けていました。共通テストが終わった次の週にインターハイに出場したのもまたいい思い出です。自分は推薦で入ろうとしていたわけではなく、一般受験で入ろうとしていたので、当時学校が決まっていなかったのは自分くらいで、多分受験期ギリギリまで試合に出てた人は当時自分くらいだったと思います。結果はショート落ちでした。でも、自分の中でやれることはやりきれたと思っています。
そして晴れて早稲田大学スポーツ科学部に合格し、入学が決まった後に配信でWOIを拝見し、スケート部に入ろうと決めました。
また入学を機に、12年間お世話になった鈴木先生のもとを離れ、中学生の頃から振り付けでお世話になっていた中村和先生にお世話になり、拠点を千葉に移すことを決めました。コーチ、拠点を変えること自体が自分にとって初めてであり、大変ではありましたが、家族とコーチに支えてもらいここまで続けられることができました。
大学一年時は、ジュニアラストシーズンを過ごし、東京ブロックで敗退し、東日本に進めず悔しかったですが、最後まで挑戦する姿勢を覚えた試合だったことを覚えています。一月にインカレで5・6級男子で個人と団体優勝することができ、岡島右京先輩と共に表彰台の1番高いところに立てたこと、多くの方から祝っていただけたことは今でも嬉しく思っています。その後ようやくの思いで7級に合格し、その次の年からシニアに挑戦できることになって、ようやく周りと同じラインに立ててホッとしたと思います。
シニアに上がった一年目、やっぱり結果が思うように出なくて、それでも東日本で少しだけいい結果が出せて、頑張ろうと思えました。でも、東インカレで思うように体が動かず、敗退しインカレに行けず、悔しいながらインカレの応援に行ったことを忘れません。
そして大学3年になって後輩を引っ張る学年になり、同じコーチの元で一緒に練習していた佐藤由基選手も最終学年になり、お互い高め合いながら、目標達成のために学校との両立が大変ながらも練習しました。
そして、東京ブロックでショートは小さなミスが響いてあまり点数が伸びなかったものの、フリーでミスを最小限にまとめて、自己ベストを出すことができました。その後の東インカレは疲労もあり思うような演技ができなかったですが、7級になって初めてのインカレに出ることができました。
しかし、東インカレ後、ちょうど東日本選手権を控えた2週間前くらいにインフルエンザに罹り、処方された薬の副作用かどうかはいまだに原因不明ですが、41度の高熱により意識を失い、救急搬送されるという生死を彷徨ったという事件がありました。
その日のうちに意識は戻り、退院することができましたが、次の日に自力で歩けなくなり、トイレに行くのも母に担いでもらって行くというような地獄を見ました。今思えば、こうして今生きているのも奇跡なんだなぁと思います。
何日かして歩けるようにはなりましたが、スケートするのもやっとで出場するか本当に悩みました。
でも、由基くんと出れる大きな大会も残りわずかだったので、何もできなくていいから試合に出たいという気持ちだけで出場を決意しました。
結果的には、ジャンプもスピンもステップもままならないまま、ショートを滑りました。フリーも公式練習まで出るか悩みましたが、体力が全く追いつかなかったことで、「あんな状態からよく頑張ったよね」とコーチと話して、スケート人生で初めて棄権を判断しました。ただ、試合後にこんなズタボロな演技でも応援してくれた人がいたこと、出てくれてありがとうとファンの方から声をいただいて、ズタボロな状態だったけど、出て良かったなと思いました。滑り終わった後に浴びた拍手や歓声、見た景色は2度と忘れません。
東日本選手権後は1ヶ月くらい休み、インカレに向けてまた練習を開始しましたが、なかなか落ちた体力と筋力を戻すのは大変で、インカレとその後の地方大会でも思うように結果は残せませんでした。この時のトレーニングと練習は、今思うともう少しできたのではないかと後悔しています。
そして、今年最終学年になり、最後は振り付けを石塚玲雄先輩にお願いし、素晴らしいものを作っていただきました。またラストになる試合が多く、出たい試合を考えてスケジュールを組みました。1番出たかったサマーカップは、2回目の出場でしたが、トップレベルのスケートをその場で感じることができる唯一の地方大会だったので、出場しました。まだこの時ジャンプは本調子ではなかったですが、その時ついてもらった大西先生に応援していただき、その時できることはやり切れたのかなと思います。
最後のブロック大会では、練習まで調子が上がってきていたものの、本番で足を攣り、力を全然出し切れず、ショート落ちをしてどん底に落とされた気分でした。この時、思うように演技ができなかったことを今でもすごく後悔しています。
東インカレはモチベーションがほぼない中、出場しなんとか本戦へと進むことができました。
そして今、最後のインカレと国スポに向かって全力で頑張っているところです。
先日現地観戦をした全日本選手権で後輩の山田琉伸くんの演技、小さい頃から一緒の大会に出てきた大島光翔選手の演技後の父のハグ、最近仲を深めた中田璃士選手の会心の演技に涙を流すほど感動し、学ぶものも多く、ものすごいモチベーションになりました。
残された大会、全力を出し切って終わりたいと思います。
ただ個人的には、結果を残せず悔しいシーズンだったので、次の東日本選手権まで頑張りたいなという気持ちも芽生えてきていて、すごく悩んでいる最中です。ただそれは大きな大会を終えた上で、またどうするかを考えようかと思います。まずは全てを出し切れるよう頑張ります!
長くなりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。他の部員のnoteも上がっておりますので、ぜひご覧になってください。
では、またWOIでお会いしましょう!インカレと国スポの応援もどうぞよろしくお願いいたします!
⛸️クラウドファンディング実施中!
試合出場費・練習貸切費用など競技成績向上のため、及び私たちが1からプロデュースするアイスショー「WASEDA ON ICE」の継続開催に向けて、クラウドファンディングを実施しています(2025年1月15日(金)23時まで)
⛸️WASEDA ON ICE 2025
2025年3月1日(土)
16時開場、17時開演、19時30分終演(予定)
会場:東伏見・ダイドードリンコアイスアリーナ
※上記のクラウドファンディングによる入場券をお持ちの方は、開場時間15分前(15時45分)より入場し、直前リハーサルをご観覧いただけます!
詳細は公式SNSにて順次公開してまいります!
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