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「スケートに片想いして」(4年・中村 華)

こんにちは!通う方の人間科学部4年、中村華です!

3/1のWASEDA ON ICE開催まで、残り1ヶ月ほどになり、
あっという間だなと感じています。これが最後という実感はまだ湧きません。

今回は、私のスケート人生を振り返って書いてみました。

普段から「それで結局何なの?」と結論を急かされてしまう
私の悪い癖が出てしまったような、長くて拙い文章ですが、
最後まで読んでいただけたら幸いです。


行きたくても行けない

スケートを始めたきっかけ

私がスケートのクラブに入ったのは小学校4年の終わり、2月とかでした。
(もっと早く始めてたらもう少し上手になれたかもなと思うことも正直あります、、、)

母の祖父母の家がリンクから15分くらいだったので、
小学校1年生の時からド短期(全4回)のお教室に通っていました。

毎年、「私もスケート習いたい!!」と、言い続けること4年目にしてやっと
「1人で電車に乗れる」ことを約束に、スケートを始める許可を得ました。

両親が渋っていたのも無理はありません。
祖父母(母方)の家はリンクに近くても、私の家からだと車で約1時間かかりました。

幸いにも、当時父親がリンクの近くに勤務していたため、自宅の最寄り駅まで祖父母に送ってもらい、1時間に1本しかない電車に1時間乗って、父親の待つリンクの最寄駅まで行ったこともあります。平日の一般滑走など間に合う訳もなく、多くて平日1回と土日が練習日でした。土日は前橋のリンクに置いて行かれて、そこでスケートをしたり、宿題をやったり、外で遊んだりという1日を過ごしていました。

欲張りな中学生

中学生になるともっと大変になりました。

私の中学は部活に入ることが必須だったので、
「何か部活に入らなければならない」、「文化部は性に合わない」、
「体力をつけるためにも運動部が良い」など色々考えてバレー部に入部しました。当時、部活の週休2日制など浸透していない田舎の中学で、唯一日曜がオフの部活でスケートに行けると考えたためです(安直ですね笑)

オフシーズンは県内のリンクが空いておらず、平日はスケートが出来ないので、
「今週は日曜スケート行けるかなー」くらいで割り切れるのですが、
問題は冬です。月〜土曜の部活に加えて、火曜日は部活の後にピアノ、木曜は延長部活の後にスケート、金曜は部活の後に習字、土曜は部活の後に行ければスケート、みたいな、我ながら結構鬼畜な生活を送っていました。

これで十分スケジュール崩壊しそうなのに、加えて、夏にはお祭りのお囃子の練習に行ったり、冬は「上毛カルタ」(郷土カルタ)の練習に行っていました。

この頃、放課後はやりたいことに追われていたので、ドリル系の宿題は学校で終わらせ、自主勉という名の宿題はノートを5冊(各教科)作って週末や月曜にやり溜めて、あたかも毎日やっているかのように提出していました。真面目なのか不真面目なのか、、、(笑)夏は車の中で宿題ができるのですが、冬はすぐ日が落ちてしまうので、これが当時の最善策でした。


小学生の時のクラブは少し厳しくて中々テストを受けさせてもらえず、
小6時点で初級。中学入学と当時にクラブを変えて、中1で1級と2級を取得しました。ここからが長い長い2級時代の始まりです。中2で3級のステップとエレメンツは合格しました。

テスト当日、「ダブルは大丈夫だけど、キャメルスピンが無理そう」

という先生と先輩の予想を裏切り、テスト本番で自分でも過去最高レベルのキャメルスピンを披露した一方で、ダブルジャンプは転びまくりました(笑)

私が狙っていたのが県内でトップクラスの学校だったので、中3の冬はさすがに出来ないし、夏は部活の最後の大会があるので、中学2年の3月をもって一旦クラブを休会し、スケートから離れました。

リンクから20分の高校へ!

そして晴れて第一志望に合格し、高校生!
学校から家までは1時間以上かかりますが、
学校からリンクまで自転車で約20分の距離でした!

最初は「スケートにいける!」と喜んでいましたが、
進学校で週3回7限の日があり、全然間に合いません。

そもそもリンクが12〜3月しか空いていないので、
全く思うように練習に行ける訳ではありませんでした。

高1の冬はどうにか取り残した3級フリーを取得するためだけに頑張りましたが、「今日は大丈夫だよ」と違うクラブのコーチや県連の人に言われても、転んでしまい、小中学生には抜かされていくという状況に心が疲弊していきました。

妹弟が他のスポーツで全国大会に行くレベルだったこと、
親2人で、弟妹3人別々の場所への送り迎えが物理的に出来ないこと、
レイノー病、顎関節症など私の身体が悲鳴をあげていたことから、
高1のシーズンだけ半年やってまた、スケートから離れることにしました。

思い切った私はここで高2の4月にハンドボール部に入部しました!!

え?って思いますよね(笑)飛んだ路線変更です。家族にさえ驚かれました。

失恋を断ち切るために
熱中できる趣味を見つけろ、新しいことにチャレンジしろ、
と言いますが、そんな感じでハンドを始めました。

(結果的には全然スケートは断ち切れなかったのですが、ハンド部で最高の仲間に出会うことができ、今のところ私の人生史上、一番の英断です。)

大好きなハンド部の仲間(2025年1月OG戦)

やっぱり3級がほしい

もう一度スケートを

そうはいっても心のどこかに諦めてしまった悔しさはあったのだと思います。

私も母もやっぱりスケートは好きだったので、
冬に数回リンクには遊びに行っていました。

そこで、群馬時代に仲良かったお姉さんに
「3級取ったらインカレ行けるから頑張れ」と言われていたので、
「またスケートやりたいなー」くらいの気持ちでいました。

私が大学に入学したのは2020春なのですが、
当時はコロナへの警戒がMAXだったので、
WISH(Waseda International Student House)への入寮も9月まで延期され、
ただただ地元でオンライン授業を受けていました。

スケート部も気になって連絡してみましたが、
「各自でコーチに就き、練習環境を準備する必要がある」と言われ、
そもそも群馬のリンクは冬しかやってないし、コロナでリンクが閉鎖されていたり、クラブ員しか滑れないような状況で、滑れるリンクを見つけるのは至難の技でした。

色々悩んで、サークルにも入ったりもしましたが、それでもスケートを競技者として再挑戦したいと思い、2021年に入部しました。一番の決め手は、初回のWADESA ON ICEで3級の選手たちが楽しそうに滑っていたことや、早稲田に3級で優勝している強い選手がいると聞いたことで、3級が欲しいという気持ちが強くなったのだと思います。


「やっぱりもう1回スケートをやりたい」と母に伝えた時、

「好きにすればいいけど、ママたちは協力しないからね。仕送りで足りない分は自分で稼いだお金でやってね、送り迎えもしないよ、免許取ったんだから自分で行ってね。」

と言われたことを今でも覚えています。(と言いいつつ、雪の日に送ってくれたり、小さくなった衣装を直してくれたり、曲を編集してくれたりと、かなり協力してもらっています笑)

そんなこんなで私のスケート人生第2章が始まりました!

そして、復帰戦の2021年11月秋季交流戦では
大学生の中に1人だけ紛れ込んだ小学生みたいなプログラムで、2級で優勝し、2021年3月には念願の3級を取得することが出来ました。

東京に一応住んでいるのに、練習のために群馬や上尾に行くのが大変すぎて、
先輩に紹介してもらい、冬には東大和の先生につきました。

とはいえ、当時東大和は改修工事をしており、そこから約1年は
「東大和の所属なのに、東大和で1度も滑ったことがない」
不思議な状況で、東伏見のリンクに通っていました。
自転車で30分かけて、朝なのか夜なのか分からない朝4時からの朝練にも参加していました。

3級になったからといって

2級の時にはアクセル跳べば、ダブルを跳べば、フライングシットやれば、
質はともかく、大学生の試合は優勝できました。

そして、2級の時からダブルが2種類が跳べた私は、自分は3級に行っても、
「決して技術レベルが低くない」という自信がありました。

でも、びっくりするくらい揃わないんです。

ダブルジャンプはすぐ転ぶ、フライングシットはすぐ潰れる、キャメルで崩壊する。そんな試合ばかりでした。

「ひかりちゃんはどうして曲だとそうなっちゃのかなぁ…」

先生にも言われ続けたし、自分でもそう思ってしまいます。
できるはずなのに…結果は全然ついてきませんでした。

最後の東インカレ

もちろん今年の目標はインカレに行くこと。
9月から何度も帰省して群馬のリンクで滑っていました。

でも、試合前日から急にアクセルが跳べなくなってしまいました。

東インカレを通過するために、ダブルの数を減らし、スピンの構成を下げ、
挑戦はしない、転ばない完璧な演技を目指してきたつもりでした。

試合でアクセルで転んだことは大学生になってから一度もありません。

だからアクセル4本構成にしたのに、アクセルが跳べない、
ダブルを減らしてアクセルにしたのにアクセルが跳べない、
アクセル以下のレベルのジャンプにすることは自分のプライドが許さず、
もうどうしたらいいか分かりませんでした。

そして試合当日になっても私のアクセルは戻ってきませんでした。
非公式練習と5分間練習で降りたのはたった1本とかだったと思います。

それでも本番、1本目のアクセルを奇跡的に降り、
自分を信じて2本目を跳び、転びました。
結果、アクセルとダブルでトータル4コケ認定されました(笑うしかないです)

ビリを覚悟しましたが、あの演技で真ん中の順位だったので、
自分が思っている以上に下の点は評価されていて、
「アクセル全部降りていれば、」「1本目でやめておけば、」
と、タラレバになりますが、余計に悔しかったです。

まぁ、そんなこんなで結局インカレに出ることは叶いませんでした。

大量の文字で疲れたと思うので小休憩を(笑)
「Lake Louiseで念願のワイルドスケート」

たくさんの人に支えられて

正直、スケートは好きで続けていますが、
楽しい思い出よりも断然辛い思い出の方が多いです。

友達は平日も練習にいけるのに私は行けなかったり、
時間はあっても運転できないから行けなかったり、
練習があってもお金を稼がなきゃいけなかったり。

しかも、テストや試合になると転んじゃう。
スケートは私の想いになかなか振り向いてくれませんでした。

自分は恵まれていないと、他の人を羨むこともありました。

それでもさまざまな人に助けられてこの4年間スケートをすることができました。

最初のクラブのコーチ、次のクラブのコーチ、そのコーチが辞めてしまった時にクラブ員を引き取ってくださった上尾のコーチ、群馬県の練習に参加させてくださった連盟の方々、今大和でお世話になっている先生方。

大した選手でもないのにたくさんの先生方にお世話になりました。

そして、どう考えても難しい状況の中でも、1時間かけて送迎をし、スケートをやらせてくれた両親、リンクの最寄りまで迎えにきてくれた友達のお母さん、他の習い事も含め弟妹3人の送迎をしてくれた祖父母のお陰で今があります。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

スケートを通して出会ったたくさんの方、お世話になった方々に
感謝を伝えられるような「You Raise Me Up」で最後は終わりたいと思っています。

自分でも想像以上に長くなってしまいましたが、
ここまで読んでくださってありがとうございました。

最後までスケートが振り向いてくれるのかは分かりませんが、
今度こそ「やり切った!」「未練はない!」
と思えるように残り約1ヶ月向き合いたいです。

WASEDA ON ICE でお待ちしています!


⛸️WASEDA ON ICE 2025
2025年3月1日(土)
16時開場、17時開演、19時30分終演(予定)
会場:東伏見・ダイドードリンコアイスアリーナ
※上記のクラウドファンディングによる入場券をお持ちの方は、開場時間15分前(15時45分)より入場し、直前リハーサルをご観覧いただけます!
詳細は公式SNSにて順次公開してまいります!
是非フォローのほどよろしくお願いいたします。↓



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