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『スケートで想いを伝えるということ』 国際教養学部2年 斉藤彩花
はじめまして!
早稲田大学スケート部フィギュア部門、国際教養学部2年の斉藤彩花(さいとうさやか)と申します。このNOTEでは、私のスケート人生、スケートに対する想いを書かせていただきます。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでくださると幸いです。
スケートとの出会い
私のスケートとの出会いは幼稚園年長の時で、スケート教室に通っていた同級生のお友達に誘われて地元岡山のスケートリンクに滑りに行ったことがきっかけです。初めて氷の上に立ち、風を切りながら前にスーッと進むあの感覚は、今まで感じたことのなかった感覚でとても衝撃を受けたのを覚えています。
その頃、親は私に何か習い事をさせようと、ピアノ、新体操から柔道まで様々な体験教室に通わしていました。しかしどの習い事もパッとするものがなく、始めてもすぐ辞めてしまう事が多々ありました。
そこで出会ったのがフィギュアスケートでした。
初めて氷の上に立ったその日の夜に、母親の前で私は寝言で「スケート、忘れられない」と言ったそうです。あまり口数の多い子では無かったのですが、その数日後、「スケート習ってみたい!」と6歳ながら自分の口からこうしたい!という意思を親に伝えたそうです。
これを契機に、私のスケート人生が始まりました。
ホームリンクが学校であり、お家でした
私が6歳から高校3年生まで所属していたクラブは岡山県倉敷市に拠点を置いていたので、毎日両親はじめ祖父母もが片道1時間かけて送り迎えをしてくれていました。
練習は早朝からもあれば、シンデレラ貸切と呼ばれる24時に終わる深夜練習まで、朝から深夜までの生活を約11年間、家族総出での全力サポートでした。
小さい頃は当たり前に感じていたこの日常が、今振り返ると家族をはじめ、多くの人や環境に恵まれていたことに感謝の気持ちで胸いっぱいになります。
学校が終われば校門の前に家族が車で迎えに来てくれていて、そのままリンクに直行。夕方から夜遅くまで練習し、帰りはいつも22時ごろ。土日は朝から夜までリンクに籠りっぱなしの生活で、実家より遥かに長い時間を過ごしたのがそのスケートリンクでした。
所属していたクラブでは、プロのコーチはおらず、講師はボランティアで教えてくださる方々でした。スケートの技術はもちろんのこと、氷上を降りた時のアスリートとしての在り方、それ以上に、人としての礼儀や在り方について、それらの先生方から沢山学びました。
このクラブでの練習、氷上関係なく様々な経験が、人との関わり方であったり、常に目標に向かって努力することの大切さなど、確実に今の私に生ている部分があります。
何かに挫けそうになった時でも、ホームリンクでの過酷な練習やその先生方言われたことを思い出すと、まだ頑張れる!と心の底から力が湧いてくるような気がします。
毎度このホームリンクに帰ってくると、先生方をはじめ、幼い時からお世話になったリンクのスタッフの方々、いつも可愛がってもらった後輩思いの先輩方、慕ってくれた後輩たちとの思い出がいつも蘇ってきます。
私にとってまるで1つの大きなファミリーのような存在です。
そして彼らは言います。
「どんな彩花ちゃんでも、どんな道を進もうともいつも応援してるよ」と。
こんなに温かい人々と環境に恵まれた私は本当に幸せ者だなと感じます。
恩返し
約11年間お世話になった方々にどうやったら最大限に感謝の気持ちを伝える事ができるだろうと最近はずっと考えています。
私の今の答えは、自分のスケートで想いを伝えることです。
フィギュアスケートは、数分間という短い時間の中で、曲、衣装、自分が表現したいもの、観ている人に伝えたい想いや感情を自由に表現できるところが他のスポーツにはない、
唯一無二の魅力だと思っています。
自分のスケートにしか表現できない私なりの感情があるのです。
それは私のスケートへの愛でもあり、支えてくださった多くの方々への感謝の気持ちです。
自分が選んで決めたプログラムの中に伝えたい想いを精一杯にのせて、
胸いっぱいの感謝の気持ちが届くような演技をしたいです。
今現在留学中で今回WOI で演技が披露できないのは残念ですが、来年には披露できるよう、帰国後日々練習に励んでいきたいです。
❄️🐻WASEDA ON ICE 2025🐻❄️
2025年3月1日(土)16時会場、17時開演
会場:東伏見 ダイドードリンコアイスアリーナ
部員が一から創り上げるアイスショーです!是非ご来場ください!!✨✨✨