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美しいを求めて(人間科学部eスクール2年・山田琉伸)
人間科学部二年の山田琉伸です。僕の今までのスケート人生を振り返り、僕のスケートにかける思いについてお話しさせていただきたいと思います。文章力があまりないので、読みづらい文章で申し訳ありませんが、最後まで読んでいただけたら幸いです。
そして私たち、早稲田大学スケート部フィギュア部門は、2025年3月1日に「WASEDA ON ICE」というアイスショーを開催します。このnoteを通して、「WASEDA ON ICE」そして、僕のスケートについて興味をもって頂けたら嬉しいです!
中学生までのスケート
僕は幼稚園生の時にスケートをはじめました。スケート好きの母親に、近くのリンクで行われているスケート教室に連れていってもらったのがきっかけです。もう昔過ぎてはじめてのスケートの記憶などはありませんが、教室のときにリンクの真ん中ですべっていた上手な人たちを見て自分も上手くなりたいと思い、毎週スケート教室に通うようになったのを覚えています。そこから毎週練習を続け、小学三年生の時にスケート教室からスケートクラブへ上がりました。
小学三年生の終わりに、はじめての試合に出場しました。ぼくの出場した1級男子というカテゴリーに出場したのは僕1人で、その試合の1番目のカテゴリーが1級男子ということもあり、その試合の一番初めの滑走者になってしまいものすごく緊張したのを覚えています。はじめての試合は練習で出来ていたことを出せず、とても悔しい結果になりました。試合後、自分の練習不足を痛感しました。また、上手な選手達を観戦し上手くなりたいと強く思ったため、「明日から毎日練習に行く」と母親に宣言しました。そこから、僕の本格的なスケート人生がスタートしました。
はじめての試合の後から毎日スケートリンクに通い練習を積み重ねていきました。毎日練習を積み重ねたおかげで2回目の試合では満足のいく演技ができました。その後も努力を続け小学校5年生の時にはじめて全国大会に出場することができました。全国大会という緊張する舞台でミスなくプログラムを滑りきることができ、7位という好成績を残すことができました。その調子で中学1年生までは順調に上達することができました。
しかし、トリプルジャンプに取り組むようになってからジャンプの上達が遅くなり、そこから2年間ほぼ停滞状態でほとんど上達しませんでした。なにかを変えないとこれ以上、上達できないと感じ、上手い選手がたくさんいる環境に行きたいと思いました。進学とともに長年習ってきた恩師のもとを離れることを決意し、埼玉県の埼玉アイスアリーナへ移籍しました。
2024シーズンまでの自分
埼玉アイスアリーナに移籍してから約半年間は環境を変えたら上達するという楽観的な思考で練習していたので、あまり上達することができませんでした。この時、父親に上達しないから先生を変えると言われ、先生を変えたくなかった僕はトレーニングに取り組み始め高校1年生の最後に控えていたインターハイに向かって努力し始めました。インターハイまで努力したことで自己ベストを出すことができました。高校2年生の時には自身初の全日本ジュニアへの出場もでき、順調に上達してきたと思っていたら、そこから高校三年生までほぼ上達できませんでした。
大学1年生、ジュニアラストシーズンの全日本ジュニア予選の試合を終えて、このままジュニアを終わるわけにはいかないと思いました。ただ、努力するだけでは上達しないと考え、9月の予選から11月の全日本ジュニアまでの期間でジャンプの研究をして、改善のためのトレーニングと練習に全てを捧げました。ジャンプの改善を1からおこなうのは、今までの技術を失う可能性がありかなり賭けでしたが、研究と努力を重ねジャンプの安定感と質の高いジャンプを得ることができました。その後の全日本ジュニアでは予選から20点以上点数を上げ大きく成長できた試合でした。ジャンプなどの要素は上達できたものの、点数が伸びず、そのシーズンの試合を通して自分のスケーティングに課題を感じました。埼玉のリンクでのスケーティングの上達に限界を感じ大学2年生の6月に突如、移籍を決めました。
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紀子先生との出会い
埼玉アイスアリーナから新横浜スケートセンターへ移籍した今シーズン。自分に足りないスケーティングを磨くために紀子先生のもとに移籍しました。紀子先生が作ったエクササイズはとても難しいもので、最初はマネするだけで一苦労でした。今までスケーティングの練習をすることがほとんどなかった僕ですが、紀子チームに移ってからは毎日貸し切りの最初20分以上スケーティングの練習をするようになりました。スケーティングはとても嫌いでしたが毎日積み重ねていくうちに滑りが良くなっていき、スケーティングが好きになりました。それから、美しく滑る方法、綺麗なエッジの使い方を、先生に聞きながら研究するようになりました。滑ることへのこだわりを持ったことで、プログラムのエレメンツ以外の部分に気を遣うようになり、美しいスケートを求めるようになりました。スケーティングの練習をしたことで、エレメンツ以外の部分でも戦えるようになり美しいと思ってもらえるスケートができるようになりました。
美しいをもとめて
小さいころからずっとやってきたスケートだが最近やっと自分のスケートを見つけられた気がします。小中学校のころはひたすら言われたことをやるスケート、高校生ではひたすら努力するスケート、大学一年ではジャンプを研究し効率的に努力するスケートをしてきましたが、どれも自分のスケートだと言い張れるものではありませんでした。
今シーズン、ショートフリー共に綺麗系の曲を選択し、美しいスケートを目指してきました。ショートの振付師、宮本賢二先生と振付の時に美しく魅せるためにどうしたらいいかの指導をしてもらいました。また、紀子先生にフリーを振付していただき毎日の練習で美しい動きを磨いていきました。そして、スケーティングをたくさん練習し、研究し、自分のスケートを見つけることができたかなと思います。
今シーズン初めて出場できた全日本選手権、スケーティングの練習をたくさんしてきたので、スケーティングやステップにおいてジャッジからこれまでよりいい評価を頂けました。また、全日本の後にSNSなどで「琉伸君のスケート素敵だった」「私はこういうスケート好きだなー」などのコメントがあり、こだわってきた部分がジャッジ、お客さん、の両方に評価していただくことができてとてもうれしかったです。やっと自分のスケートに出会えたかなと思います。
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最後に
読みにくい文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。最初のほうはほとんど僕の過去の振り返りで、「美しい」についていつ話すのだ、という感じだったと思いますが、「美しい」にこだわり始めてまだ短いという事に気づきました。「美しいを求めて」という題名にしたのは、今シーズン「美しい」にこだわり初め、このこだわりが自分のスケートであり、これからも大事にしていきたい部分だからです。これからも美しいスケートを求めて努力していきたいと思います。
WASEDA ON ICEですが、「美しい」と思われるスケートをしたいなと思っています。グループナンバーの振付も担当していますが、「美しい」「素敵」にこだわり、クオリティをあげられるように頑張ります。是非、見に来ていただけると嬉しいです。
⛸️WASEDA ON ICE 2025
2025年3月1日(土)
16時開場、17時開演、19時30分終演(予定)
会場:東伏見・ダイドードリンコアイスアリーナ
※上記のクラウドファンディングによる入場券をお持ちの方は、開場時間15分前(15時45分)より入場し、直前リハーサルをご観覧いただけます!
詳細は公式SNSにて順次公開してまいります!
是非フォローのほどよろしくお願いいたします。↓
https://www.instagram.com/waseda_figureskate
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ご来場予定のお客様はこちらのフォームの事前の回答をお願いいたします。
🔗:https://forms.gle/mzwyGiewFwA2wUHH6
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