私のスケート人生(1年・小林遙佳)
こんにちは!政治経済学部1年の小林遙佳です。
3月1日にWASEDA ON ICEを控えた今、私のこれまでのスケート人生を振り返りたいと思います...!
言葉にしていたら、思ったよりもずっと長くなってしまったのですが、最後まで目を通していただければ幸いです...!
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スケートとの出会い
テレビでスケートの大会の映像を見て、綺麗な衣装を着てくるくるしているスケート選手に、幼い頃から憧れていた。
小学1年生ごろの春休みに初心者向けの短期スケート教室に参加したり、休みの日にいとこと一緒にスケートをしに行ったりしていた。リンクで滑っているお姉さんをじーっと見て、見よう見まねでスピンしようとしたり、スリージャンプもどきをしたり。それがもう本当に楽しくて楽しくて…!!
そこで、自己流の滑りをずっとしているよりはちゃんとした滑り方を教わった方がいいと考えた母がスケート教室に入れてくれた。
スケート教室を始めたのは小学2年生の2月。私のスケート人生のスタート。
スケートを本格的に始める
スケート教室をはじめて半年後くらいに、今も師事しているコーチの元でレッスンを開始。レッスン開始から数日でコーチが怖すぎて「これからずっとこの先生に習う訳じゃないんだよね?」と母に弱音をこぼしたことを覚えている。コーチは怖いけど、ジャンプを跳べるようになったり、スピンがちょっとできるようになったりすることは、とっても嬉しくて、スケートが楽しくて仕方がなかった。
小学校4年生の春にクラブチームに加入して、級が一番下のひよっこでありながら、チームの上手なお姉さんや、自分と同年代で、自分よりも上手な子たちを見習い、練習に励んだ。小学生の頃は、頭の9割がスケートで、ただただスケートが好き!という気持ちで練習していた。
小学5年生の時、それまで通っていた川越のスケートリンクが閉業してしまい、当時できたばかりの上尾のスケートリンクにクラブチームを移した。上尾は家から遠かったため、母や祖父母に数え切れないくらい送迎やヘルプをしてもらった。もう大感謝。
中学生の私とスケート
中学生の時、主に2つ私の人生を変えた大きな出来事があった。
1つ目は世界選手権でフラワーガールをさせてもらった経験である。
2019年3月、さいたまスーパーアリーナで世界選手権が行われ、フラワーガールとしてオープニングで滑ったり、出場選手の演技を最前席で見たり、選手の演技後に投げられたお花やぬいぐるみを拾うお仕事をさせていただいた。世界レベルの滑り、スピード、ジャンプ、スピン、表現力。どこを切りとっても圧倒させられる技術ばかりで、それらを誰よりも選手の近くで見ることができたことは感激以上で、感謝してもしきれない。
また、オープニングで宮本賢二さん振り付けのボレロを、上尾の同年代のスケーターと共に滑ったことも私にとって大きな財産である。当時だけではなく現在を含めても、あれほど大きな舞台で、たくさんの観客の前で演技したことはなく、緊張、上手くいくか分からないという不安、そして大きな舞台で滑ってみたいというドキドキとが混ざりあった気持であったことをよく覚えている。本番に向けて、仲間と一緒に何度も何度も音合わせをしたり、一人で家で踊ったり、たくさん練習した。
本番で練習の成果をしっかり出すことができ、スポットライトやプロジェクションマッピングに照らされながら自信を持って演技ができた。滑りながら、心の底からスケートが大好きだと思えた、私の大事な思い出のひとつである。
このありがたすぎる経験から、私が強く思ったことは、滑る選手になりたい、ということ。当時はスケートを本格的に始めてからあまり年月が経っておらず、ジャンプやスピンで手一杯。滑りは二の次といった感じであったが、目の前で見たトップレベルの選手の圧倒的な滑りにとても魅了された。この経験が、滑りや表現を少しずつ心がけ始めたきっかけである。
自分のスケートに対する価値観が大きく変わった贅沢すぎる数日間だった。
2つ目は高校受験である。
一見スケートと何の関係もなさそうなのだが、これがなかったら確実に今ほどスケートに向き合う生活になっていなかったはずなので、スケート人生を大きく変えた経験として語らせていただきたい。
当時、私は中高一貫の私立中学に通っていたため、本来であればエスカレーター式に高校に上がることができたのだが、周りに受験する友達がいない中、受験することを選んだ。
受験することを選択した理由は、「スケートを続けたかったから」。
そのまま高校に上がって、大学受験をするつもりでいたのだが、勉強も頑張りたいと思っていたため、そのまま高校に進学した場合、大学受験の前には長期的にスケートをお休みすることになるだろうと考えていた。長期的にスケートに関わらない可能性があり、大学受験後に競技に戻れるのかも分からないのであれば、大学受験ほどはスケートを休まないですみそうな高校受験で終わらせようと考えるようになった。そして、中学生の時には既に将来早稲田大学に進学し、スケート部に入りたいと考えていたため、高大一貫の附属校である早稲田大学本庄高等学院を志すようになった。
実は、受験しようと思ったきっかけはもう一つある。それは大尊敬する上尾のリンクのお姉さん(スケートとっっても上手、とっても頭いい、優しい、私のロールモデル、かわいい、大大大好き)の存在に憧れたからである。
一般受験の1、2週間前までスケートの練習のペースを落とさず、色んな人の力をお借りしながら私の人生の中でいちばん頑張って勉強した。受験直前は、不安と重圧感とで押しつぶされそうで精神的に本当にボロボロだった。
その後、無事合格することができ、休むことなくスケートを続けられ、現在、早稲田大学スケート部に所属できているのだから、当時頑張った自分、そしてたくさん支えてくれた家族をはじめ、お世話になった多くの人に感謝の気持ちでいっぱいである。
高校生の私とスケート
高校時代は、自分の中で辛いことが多い時期だったように思う。もちろんうれしいことや楽しかったこともたっくさん!
特に学校が遠く、毎日片道2時間以上かけて通っていたこともあり、学校の後にスケートの練習に行くだけでも疲れてしまい、思うように練習ができていない時期もあった。ジャンプがなかなか安定せずに悩んだり、ずっと7級取得を目標に練習していたが、受けては落ちてを繰り返していたり。1年以上左足の痛みがとれなかったり。スケートの練習に行く足が重い日もあった気がする。
そんな高校生の私が力を入れていたのはスケーティングの基礎中の基礎の練習。エッジを傾けた状態で、片足で円を描くコンパルソリーや簡単なターンなどのステップを地道に練習していた。ただ片足で1周円を描くだけなのに、最初は一人でやっていても笑ってしまうくらい、ぐらっぐらでふにゃふにゃ。やっていることは至ってシンプルで地味なことなのに、できなかった時と少しできるようになった時とでは自分のスケーティングが違うような気がして。なかなか上手くいかないこともあったけど、上手くいかなくて自分で笑っちゃって夢中で練習しちゃう時に、ああやっぱりスケートが好きで、上手になりたいんだなーと思えた。
現在の私とスケート
大学に入ってからは、それまでと生活スタイルも変わり、新鮮な空気を吸ったような気持ちでスケートに向き合えている気がする。4月にスケート部に入部し、個性あふれる素敵な同期や先輩方と練習ができてとーっても幸せ。
課題も山積みで、決してうまくいくことや楽しいだけではないけれど、スケートに競技者として関わっていけるのもあと3年ちょっと。自分がスケートを続けてきてよかったと心から思えるスケート人生を送るべく、自分らしいスケートの形を模索していきたい。
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人生における大きな決断の際にもスケート脳な私ですが、感謝の気持ちを忘れず、スケートが大好きな気持ちを原動力に、自分らしく真剣にスケートに向き合っていきます!
これからも早稲田大学スケート部フィギュア部門の応援、よろしくお願いいたします!!
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試合出場費・練習貸切費用など競技成績向上のため、及び私たちが1からプロデュースするアイスショー「WASEDA ON ICE」の継続開催に向けて、クラウドファンディングを実施しています(2025年1月15日(水)23時まで)
WASEDA ON ICE 2025
2025年3月1日(土)
16時開場、17時開演、19時30分終演(予定)
会場:東伏見・ダイドードリンコアイスアリーナ
※上記のクラウドファンディングによる入場券をお持ちの方は、開場時間15分前(15時45分)より入場し、直前リハーサルをご観覧いただけます!
詳細は公式SNSにて順次公開してまいります!
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