ポケモンの話をしよう、幼い私がかわいがっていた、ポケモンの話
ポケモンと出会ったのは、無印アニメポケットモンスター第1話の放送だった。当時田舎に住んでいたので、他の地域より初回の放送は遅かったんじゃないかと思う。私の小さい頃はずっと金曜の15時とか16時、そこらへんで放送されていた。その時私にポケモンについて予備知識があったのかなかったのか、私が観たがったのか、母が気を利かせてチャンネルを合わせてくれていたのか、全然覚えていない。今思うとポケモンっていうのやるらしいよ? と母が私に言っていた気がする。当時から動物が大好きだったので、第1話のメインキャラとして登場したピカチュウの可愛らしいビジュアルに私はとにかくクギづけだった。それから毎週欠かさずアニメを視聴、時々見逃していた。今でこそサトシのピカチュウはサトシのいちばんのパートナーだが、あの頃のピカチュウはなんだか不機嫌で、気に食わないことがあればサトシに電撃を喰らわす、でもピンチの時にはサトシを守ったり、息ぴったりで協力したりする、ツンデレキャラだった。かわいいでしょう。思い出しただけでもかわいくて涙が出る。
増える仲間、カスミ、タケシ、毎度登場してはピカチュウの電撃を幾度となく喰らい、電撃対策を怠らなくなっていったロケット団…。印象に残っているのは、自分の歌を聴いてほしいのに歌うとみんな寝てしまうから怒るプリン(うたうは相手モンスターをねむり状態にする技)や、ヒトカゲの時はしおらしかったのに進化したら横暴になって言うことを聞かず、サトシに火を噴いて焦がしていたリザードン(ヒトカゲは弱いからと雨の日に捨てられて弱っているところをサトシ一行に拾われたため、ゲームで言う通信交換によって手に入れたポケモンのようになっていて、通信交換で手に入れたポケモンは経験値を多めにもらえるためレベルアップが他のポケモンより早く、サトシの持っているジムバッジの手に入れた一定のレベルまでポケモンを従わせる効果の及ぶ範囲よりレベルが高くなっていたのではないかと思う)。登場するポケモンたちはみんなかわいらしくて強くて、小さい私をどんどん魅了していった。
そして私が初めてプレイしたポケモンのゲームは、銀だった。当時小さすぎてレポートを書かずに電源を落として、あれ…最初からになってる…ヒノちゃん(ヒノアラシ)のレベル上げたのに…と何度もショックを受けていた。説明書を読んだ母に教わって、レポートを書かないと前回の続きからプレイできないことを知った。でもよく分かっていなかったことは他にもあって、ポケモンセンターで何度もポケモンを回復させていればなんらかのストックができてひんしにならないのではないかと考えて何度もチャンチャンチャカチャン♪ したこともあった。無意味だった。
ひでんの技マシンを集めて、ジムリーダーを倒して、旅を進めて…。なんだかすごく強くて苦戦した記憶があるのは、コガネシティジムリーダーのアカネのミルタンク。当時プレイしたみんなもそう感じたんじゃないかと思う(ミルタンクが倒せない)。ころがるはいわタイプの技で、私のバクフーンもピジョットもこうかばつぐんで喰らってしまうのだった。倒した時すごく嬉しかったな。
チャンピオン戦は本当にドキドキしてなぜか母にやって! とお願いして、隣の部屋で手を組んでみんなの勝利を祈っていた。戦いの中でかえんほうしゃを覚えたバクフーンが活躍したらしく、私のパーティはバクフーンと母のおかげででんどういりを果たした。
ぎんいろのはねを持ってうずまきじまの最深部でルギアを捕まえる。私は当時からなみのりで海を行くのが苦手だった。広い海がなんだかこわかった。ルギアは暗い洞窟の奥にいるので、尚更こわかった。
エンテイ・スイクン・ライコウはそらをとぶで近づくと遠くに行ってしまうから、そろそろと近づく。あいつらHPが赤になっても全然捕まらないですよね、しぶとすぎる。くろいまなざしを覚えたスー(ゴースト)が何度やられたことか…。偶然出会ったエンテイを間違えて倒してしまって、結構レベル上げしたデータを泣く泣く消した記憶もある。
クリスマスプレゼントか誕生日プレゼントかでクリスタルも買ってもらって、最初の3匹からはチコリータを選んだ。なぜ選んだのかは覚えてないけど、アニメのチコリータがとてもかわいかったからだと思う。パーティでいちばん強くなったのはピジョットだった。大きくてふわふわの、頼もしい鳥。彼(オスだった)がパーティにいることを大変心強く思っていた。
クリスタル版ではスイクンを追いかけずに捕まえられる。少し大きくなったことでストーリーに思いを馳せることもできるようになっていた。やけたとうの火事が雨で鎮火して、その火事で死んで、ホウオウによって蘇った3匹のポケモンを、神秘的だなと思ったりした。雨に濡れたぼろぼろの黒い塔と、倒れている名前もない小さな生き物3匹と、虹色の大きな鳥…
当時恐れられていたシオンタウンのBGMは私にとってはこわくはなくて、ポケモンが眠っている場所の曲なのだなと思ってしみじみと気持ちで聴いていた。しおんという友達がいたので、シオンタウン~とか言ってウザい茶化し方をしていた。
小さい頃の思い出は眩しくて、とても遠くにある気がする。セレビィはウバメのもりのほこらをお参りする(お参り、と話している時彼は実際に手を合わせていた)と出ると、当時私のことを好きだと言っていた子が教えてくれた。しかしこれはセレビィ出現に必要な行動がかなりそぎ落とされて伝わったもので、以降私はほこらを何度もお参りして(といってもAボタン連打)、来ないセレビィを待っていたのだった。私が友達とあまり遊んだことがないからつうしんこうかんをしたことないと話すと彼は、今度一緒に遊ぼう、レベル100のオーダイルもセレビィもxxxもxxxも(覚えてない)あげると言ってくれた。一緒に遊ぶことは叶わなかったし、そんな大切なものもらえないよと思いながら、彼の言葉に感動していた。たった1匹しかいないとっても強くした旅のパートナーと、かわいくて珍しいポケモンを誰かにあげられる彼ってすごくやさしいのかなと思った。私にはできない。
小学生になって、ルビー・サファイア・エメラルドが発売された。私は親にプレゼントとしてまずルビーを買ってもらって、その後お小遣いでサファイアとエメラルドを手に入れた。そだてやの前の道をマッハじてんしゃで何度も駆け抜けてたまごを孵していた。例の彼が、ジラーチはトクサネシティのロケットがちょうど100発打ち上がったら白い岩に話しかけると出る、と教えてくれた。これは有名なガセネタらしいが、当時の私は打ち上げ100回目を見逃して、慌てて白い岩に話しかけて、以降毎日話しかけた。やっぱりジラーチは現れなかった。
同じように親と自分の力でリーフグリーン・ファイアレッドを手に入れて、やりたくてたまらなかった赤・緑ってこんな風だったのかとすごく感動した。
初めてプレイした銀も、クリスタルも、久しぶりにプレイしてみたらデータが消えてしまっていた。ルビー・サファイアはデータは残っているけれど、時計が止まってしまった。とてもかなしかったけど、楽しく旅をしたこと、大切にしていたことをずっと覚えてられたらいいなと思っている。
ポケモンが現実にいないことが悲しくなって泣いたこともあった。だいぶ大きくなってからも泣いていた記憶がある。図鑑でロコンの身体の中ではほのおが燃えていると読んで、抱きしめたらさぞあったかいんだろうと想像した。本当にタケシがうらやましかった。ピカチュウを抱きしめて、そのせいでんきをぱちぱちと感じてみたいと想像したことも本当にたくさんあった。図鑑に書かれた説明を何度も読んで、ポケモンたちの鳴き声を覚えてしまったほどだった。サトシもタケシもカスミもムサシもコジロウも、本当にうらやましいよ。
サトシたちの冒険はどんどん進んで、パーティも変遷して、でもいつもピカチュウとは一緒で、幼稚園児だった私は中学生、高校生になった。学校が忙しくて放送時間にポケモンを観られなくなった。アニメにも正直中だるみを感じて、しばらく離れていたが、時間に余裕ができた大学生でまた観始めた。アローラ地方。私はムーンを当時の彼氏にもらって、最初の3匹から選んだニャビーが女の子だったことから全員女の子のパーティを組んで冒険した。
この辺りから私は私自身がポケモンが大好きだと周りに認知されていることに気づき始めた。幼稚園から大切にしているぬいぐるみたちがいて、中でもお洋服を着たピチューは幼稚園のお迎えにも来てくれたしお出かけはどこへでも連れて行く小さい私のトレードマークみたいな子だし、大学に通うバックはピカチュウがたくさんプリントされたトートバックやOUTDOORのボストンバックだった。
ちょうどこの大学生の時、劇場版ポケットモンスター キミにきめた! が公開されて、観に行った。
「いつも、いっしょに、いたいから」
ピカチュウのツンデレ時代、モンスターボールの中は窮屈で嫌だから入らないのかな? と思っていた私は、20数年後この言葉で大泣きした。そういうことだったの? ピカチュウ…
ポケモン映画はどれも好きだけど、最高傑作はやはりミュウツーの逆襲だと思う。
あの頃幼稚園児だった私は今、社会人だ。マサラタウンのサトシは、チャンピオンになった。ここ数年は元気を出したい時にポケモンを観て泣いていた。あんなにわくわくしながら観ていたポケモンで、泣いてしまう。歴代のOPもEDも聴くだけで泣いてしまう(いちばん好きなのはReady Go!)。たくさんの時間が経ったのだとすごく感じる。今までずっとずっと、サトシはサトシの世界で、私は私の世界で、それぞれがんばっていた。サトシは主人公だから、その力強さを眩しく思うこともあったけど、大好きな旧友みたいな存在だ。アニメを通してその冒険を垣間見れることが、どんなに心の支えだっただろう。
これからもサトシとピカチュウの冒険は続いていく、今までも、これからも、それはきっと変わらないのに、こんなにさみしいなんて、まさに「卒業」とはこういうものだなと思う。お恥ずかしいことだが正直、サトシとピカチュウの卒業を想定したことがなかった。するべきだった。ずっとずっと私たちと一緒に冒険してくれるとなぜか思っていた。いつかさよならはくるのに。私たちは大人になったし、サトシが冒険の中で見つけたものを、私たちこそが見てきたはずだったのに。
思えばアニメポケモンはサトシとピカチュウ、そしてその仲間たちとのお別れの準備を、時間をかけて、丁寧にしてくれていた。去年の中頃あたり、暢気に、今期のポケモンは思い出深いエピソードがよく織り交ぜられてるなあなにか節目の年なのかなあ? と思っていた。
振り返って私たちにずっと手を振ってくれている彼らはもうすぐ、前を向いて歩き始めるだろう。小さくなっていく後ろ姿を眺め続けることができるように、めざせポケモンマスターを少しずつ観ている。
書いても書いても書き切れないよ、たくさん思い出す
初めて出会った時から、ずっとずっとみんな大好きだよ
サトシ、ピカチュウ、チャンピオンおめでとう
"さよならは悲しいイベントじゃないから
笑顔で手を振って歩き出そう"
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