あゝ終わりなき手帳会議。デジタルか、アナログか
さあさあ、年末といえばクリスマスと、来年の手帳会議!昨年この「手帳会議」という言葉に出会い、すっかり虜になっている。1年付き合う手帳を吟味する時間、なんと楽しく尊いことか。
手帳を買うまでに今日からいくつか、手帳について話していきたい。今回は、デジタル記録とアナログ記録の使い分けについて。
手帳売り場で、ライフログ、という言葉をよく目にするようになった。ライフログという言葉が実際に増えたのか、自分がライフログを意識するようになったから目にするようになったのか、わからないけれど。
生活のログを取ることは、ルーティン的で心地よいし、振り返るときの解像度が高くなって、当時の感情や考え事を思い出しやすい。
とはいえ、自分のライフログのあゆみはフラフラの千鳥足である。記録する媒体、内容、頻度はそのときどきでバラついている。
現在は、
予定を立てるのはマンスリーの手帳
数値的なものや習慣化の記録はNotion
行動のログはほぼ日手帳
お金のログは家計簿アプリ
日記はメモ帳アプリ
週次や月次の振り返りは測量野帳
という感じ。
このように言い切るとライフログまわりが美しく整理されているように見える。自分もそういうことにしたいのだが、デジタルと手書きのバランスには悩みが尽きない。
デジタル記録は楽だけど、振り返りが全然楽しくない。
(自分の工夫が足りてないんだろうけれど)
デジタルの記録、とくにNotionには歩数、スクリーンタイム、飲んだサプリ、ラジオ体操をしたかどうか……など、数字やイエスorノーで書ける項目しか記録していない。だからそもそも、情報として淡白なのだ。振り返る気が起きづらいというか……。
デジタルだから記入しやすいし、漏れがないし、数値をまとめた振り返りがしやすいのに、うまく利点を活かせてなくてもどかしい。
デジタルを使いこなしている部分もある。日記がデジタルだと、note用に転記するのがかなり楽なのだ。写真も添付できて、「公開するにはコピーペーストするだけ」で終わるのはデジタルならではだろう。
そうすると寂しくなるのが手帳だ。明らかに書くことや書く日が減り、マーカーで時間ごとのログを取るのみで終わり、手帳タイムの楽しさを失いつつある。
それに「noteに書くという目的のある日記」と「ライフログログのための日記」とでは、取り留めのなさが異なってくる。振り返る時にログとしてではなく、公開した文章としての視点も加わってしまうのは、ちょっとだけ邪念だな〜とも思う。それに、手書きの字よりも読みやすい分、当時の感情を思い起こしにくい。
……う〜ん、悩ましい。
たくさんの記録ツールに恵まれていて、来年の手帳もまだ決められていない。決めたとしても、大切でありながら無意識に過ごしがちな人生をどう記録するか、の試行錯誤には終わりがない。
うまくいかないこともあるけれど、それだからライフログって楽しいんだけどね。人生だって迷ったり悩んだりなんだから、ライフログも同じでいいのである。