32歳。なんの節目でもない歳に、どんな意味をつけられるのか
2024年5月1日、32歳になる日はあいにくの雨だった。
32歳になった。中途半端。厄年ではあるけれど、特になんの節目でもない。単身世帯の自分にはライフステージの変化は少なく、多分この先もある程度そうで、もう誕生日からはエネルギーを得られないんじゃないか、と切なさを感じる。
29歳〜31歳の間は「20代のうちにやっておきたいこと」とか「30代のはじまり」とか、イベントめいていた。30歳から31歳になったとき、切りのいいイベントみたいな数字が大体終わってしまった今、32歳の自分として何を願えばいいのか、よくわからない。
30代に入って、気力も体力も落ちていってると感じる。ジリジリと耐えることができるようになった一方で、エスケープするためのエネルギーを持たなくなった。淡々と物事を進められるようになった部分もあるけれど、自制心は緩んでいるような気もする。
責任感が増して、社会的にやるべきことに対しては真摯に向き合う。一方で、自分の人生に対しては、楽な方へ楽な方へと転がっていって、鬱々とした自己嫌悪に陥っている。
なんとなく将来やりたいことと現在が断絶してしまった気がして「いてもたってもいられなくなって行動する!!」なんて事はなくなった。しっかり考えられるようになったという見方もできるけど、実現する意志がなくなってきてるのではと言われたら、それはそう。
気圧の差に敏感になったり、体がしなやかさを失っていくのを感じたり、病院に行くまでもないような体の不調が出てきたりもする。20代にはなかった、老化の小さな足音が聞こえ始めてきて、気分を重くさせる。
こうやって少しずつ気力も体力も落ちて、意志も体も老化していくのに、平均寿命まで生きるとしたら、今までの人生のさらに2.5倍くらいを生きることになる。死ぬ事は怖いけど、残りの人生の途方もない長さの間で、自分に絶望しないかどうかは自信がない。たった1人で何十年も生きるなんて、非現実的なんじゃないかと最近よく思う。持て余してしまう気がする。(生きられる前提で贅沢な悩みを持ってしまうあたり、成長の余地はあるなとは思う。)
その中で、31から32に歳を重ねることが一体どんな意味を持つというのだろう。人生を振り返ったときに、32歳を良かったときっぱり思うなんてこと、できるものなのだろうか。
振り返ってみると記憶と合わせて覚えているのは西暦何年かという情報で、当時の自分の年齢は逆算しないとわからないくらい意識していない。子供の頃まで戻ると◯歳や◯年生のとき、みたいに自分を軸とした年月の記憶があるのに、21歳くらいからは西暦に結びついて出来事を覚えている。
なんかそれはさみしいな。
客観的な時間の流れじゃなくて、自分の年齢で物事を思い出してみたいなと思う。だから、今後、目標や夢は誕生日に更新することにしてみる。新年や新年度の抱負はいろんなコミュニティで作るかもしれないし、それなら私は私のタイミングで人生の節目を決めていけばいいと思う。とか書いていても、すぐ忘れたり気が変わったりするのだけれど。なので書いて残しておく。32歳になった日は、そう思っていたよということで。
漂って生きる、を人生のモットーにしている。でも最近は潮の流れに引き込まれて、暗い深海を漂っていた気がする。もう少し海面に近いところで、緩やかな海流に乗って、居場所を自覚しながら漂っていければいいかなあ。