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モチベーションとやる気をアテにしない

人間は感情の生き物である。

それは前に書いたこともあるが、
報酬が目の前にぶら下がっていると、猛烈にやる気が出たり
日中ちょっと嫌なことでもあったら、一気に気持ちが萎えるという
結構いい加減な生き物でもあると思っている。

要は気分次第で、態度や行動がコロコロ変わってしまう。
そんな”弱さ”が多分にある。
そう認識しておいた方が、良いと考えている。


脳みそは、すぐに目の前に結果が現れるようなことが起きないと、
とたんに「ナマケモノ」になる。

私も例に漏れず、その一人。

「めんどくさがり」であることを否定しない。


なので、
自分のモチベーションとやる気は、全くアテにならない。

それらの持続性が、確約されていないから。


たまに何処か遠くへ出かける、軽い運動をするのに、

「なんとなく気分が良かったから」「気分転換に外へ」

こういったことは、モチベーションが適用できる。
ただこれらは、毎日行っていることではない。


食事をしない。
トイレにいかない。
歯を磨かない。


そんなことは稀にあるかもしれないが、
極度にやる気がないからといって、おざなりになることはない。

気分が良かろうが悪かろうが、日常の行動として身体が勝手に動く。


これらは「習慣」という単語に置換されると思うが、
また「習慣」という言葉も、なんとなく好きになれないのである。

固定観念かもしれない。
ただその言葉に、
”義務感”や”しがらみ”みたいなものが潜んでいるように見えるから。


日々それとなく、ずっと、やってきた


自分が大切にしていることは、そんな風でありたい。
こうして書いていることも、まさにそれである。



それらを言語化したとしたら、「習慣」という言葉で表現される。
全ては「行動したことの結果」という見方である。


一人暮らしをするようになってから、
毎日やっていることは、結果的に「習慣」になった。


瞑想、読書、玄関の掃除、そして書くこと。


なんか成長できそうだから。
潜在意識を引き出せそうだから。
心が整うから。
そして、セルフイメージがそうであるから。

これらに、
「モチベーションや気分を、絶対に介在させない。」


自分にかたく誓った、信念である。


ご一読ありがとうございました。
今日も書けるという喜びに、感謝。

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