墓場珈琲店12。
「マスター、コーヒーを一杯」
「了解」
コーヒーは好きかな?
なんだかありきたりな会社のプレゼンみたいになってるけど黙って答えて。
正直に、好きな人は手を上げてみて。
まぁ僕にその結果は見れないんだけど。
僕は笑みを浮かべながら窓を見た。
雪が積もっていたのがつい昨日のことのようなのに、外にはゆき一つなかった。むしろ淡いピンク色の桜が咲いていて、春の訪れを感じさせる。
土筆……はまだ早いか。
「マスター、何ぼんやりしてるんですか! お客さん待ってますよ!」
「あっ、ごめんごめん」
僕は視線を窓から店内へ戻した。
そこには僕が愛してやまない、お洒落な音楽とコーヒーに匂いただよう空間が存在している。朝の眠気を覚ましにきた客たちの多くは新聞に目をやっていて、記事にはでかでかと「××県○○市にて、殺人の疑いで逮捕」。
僕はそんな風景を横目に、コーヒーの用意をした。
イロイロ専門的な知識が必要と考えられがちだけど、
やってみるとこれが案外楽しかったりする。
店が始まる前から手入れしていた器具を用い、僕はコーヒーを淹れてゆく。
僕が手を加えれば加えるほど濃厚になってゆく香りは、
我が子のように愛おしい。
「……はい、お待たせ。持って行って」
数分後、僕は白マグカップ一杯のコーヒーを店員に渡した。
彼はニコっと笑みを作り、客の方へ向かった。
「おまちどうさまです!」
ひとむかし前の寿司屋じゃあるまいに、彼は元気溌剌としていた。
僕はその様子をカウンター越しに眺める。声を浴びた老年の客は、「元気がいいねぇ」と笑っていた。
平和だった。
僕が胸いっぱいにこの光景の匂いを嗅いだ、次の瞬間。
バタンッ。
乱暴に店の扉が開いた。
カランカランカラン、ベルの音が目覚まし時計のように響き渡る。それはコーヒーの匂い以上に、僕の目を覚まさせた。
扉には、肩幅の広い男が立っていた。
彼は黒いマスクを被っている。
そして手には包丁。
一瞬それが、何の違和感もない光景に見えた。
「……にっ、逃げろっ!」
コーヒーを拭き出した客が発した一言で、僕は現状を理解した。
ごつい体格の男は客などではない。
強盗だ。
「逃げろつったって、どこから⁈」
「出口なんて一つしかないぞ!?」
朝5時の静けさが一気に破られ店内は驚きと戸惑いに満ちた。
僕の鼓動が早まる。
男が僕に歩み寄ってきた。刃物はギラギラと、店の明かりを反射している。
「……金を出せ!」
どうしよう、どうしたらいい?
店を始めてはやくも一年が経過しているがこのような事態に陥ったことはなかったし、対策もしていなかった。
そうだ、まずは警察に連絡……
僕はポケットに手を入れた。スマートフォンの固い感触。
しかし取り出そうとすると焦りのあまり落としてしまった。
響く音は鈍かった。
強盗は僕の行動に感付いた様子で僕の手を乱暴につかんだ。彼は足でスマホの画面を割った。
捕まれた手に、汗が滲む。
客たちはさっきまでの騒がしさが嘘のように、僕達の様子を静かに眺めている。
どうしよう、どうしよう、どうしたらいい?
頭の中は街の中親とはぐれた子供のようだった。
店員が大声で言った。
「お客さんは逃げて下さい!」
茫然としていた客たちだったが彼の声で我に返り、我先にと出口へ殺到した。カランカランと鐘が狂ったように鳴り響く。
「チッ、クソ!」
強盗は僕の手を投げるようにして放し、出口へ向かおうとした。
僕は反射的に彼の肩を掴んだ。
「……あ?」
黒いマスクから眼光が覗き、目が合った。
何も考えていなかった僕はさらに焦った。
ドアの鐘と心臓の鼓動、呼吸のリズムが重なった。
「お、お客様……っ!」
店員が口を半分開いたままカウンター越しにこちらを見ていた。
「珈琲店にきて珈琲を、飲まずに帰るのは、ま、マナー違反ではないでしょうか……?」
何言ってんの!?
冷たい物が背筋に走り、強盗の刃物が鋭く光った。
客のほとんどが逃げ、今や店内には僕と彼しかいなくなっていた。
「うっせぇ!」
彼は案の定、僕の右手を乱雑に振り払った。
手に鋭い痛みが走ったかと思えば、血が出ていた。刃物で傷つけられたのだろう。
「テメェのせいで、人質には逃げられるし、結局金は盗めんかったし、最悪だ! どうせすぐに、サツが来るだろうしよ……!」
マスク越しに、彼の唇の震えを見た。
僕は目を逸らした。
その時である。
「つ……っ!」
こらえきれない程の痛みが胸に走り、僕は地面に倒れていた。頭に鈍い衝撃がし、目を瞑る。
次に目を開けた時には、木製の床に赤い何かがしみ込んでいる。生臭いにおいとそれが自分の胸から流れていると気づくまで、数秒を要した。コーヒーの匂いと生臭さは、まるで合わない。
僕は顔を上げた。その際、さらに数秒を要した。
カウンターの外に行ったのか、強盗の姿は見えない。でも、カウンターの外へ続く床には血が垂れていた。
あ、もしかしたら、ヤバいかも、これ……。
首の力が抜け、再び視界に地面が衝突した。
臭いが消えた。目の前も段々暗くなる。腹から温かみが失せた。
でも、いつまでたっても聴覚だけは機能している。場違いにお洒落な音楽が、耳に残っている。
そして、僕はある一言を聞いた。
「……まっず」
やがて何もかもが冷たくなり、僕は死んだ──
──と、思っていたのに。
珈琲の匂いが、再び鼻をくすぐった。
「らっしゃい、お客さん」
目を覚まして間もないままに声をかけられ、僕は肩を震わせた。
初老の男性が僕を見下ろしていた。
「……注文は?」
僕は警戒して周りを見渡した。
ここは僕の好きなお洒落な音楽と木製の床、そしてなにより珈琲の匂いで満たされていた。
目の前のマスターといい周りの人々といい疑いようがなく、ここは珈琲店だろう。
僕は再びマスターの方を見た。
曇った眼鏡に隠されて彼の眼は見えないが、どことなく温和な雰囲気だ。
「……任せます」
「あいよ。好きな席に座んな」
言われるがまま、僕は空いているカウンター席に座った。目と鼻の先にいるマスターが、カウンターの裏へと向かっていく。
珈琲店にしては珍しく、カウンター席にシュガーやメニューがおいていなかった。窓の外では霧の中、桜が咲いていた。
壁にかけられた時計は、5:00をさしている。おそらく、午後だろう。
にしても、なんでここにいるんだろう?
僕は頭を捻った。
珈琲店のマスターとして働いていたら強盗に入られて、そして包丁で刺されたところまでは覚えているのだけれど、それ以降の記憶が全く思い出せなかった。
正確に言うと、「まっず」という声を聞いたあとか。
その言葉とギラギラした包丁の輝きは、やけに鮮明に思い出された。
僕はあくびをした。
「……はい、お待ちどうさん」
カウンター越しでも届くのに、マスターはわざわざカウンターの外に出てきて僕に白いマグを渡した。
マグカップには、銀色の輝きを放つカトラリーと液体が入っている。
僕はなぜか、眩暈と動悸を覚えた。
「ありがとうございます」
僕は礼を言い、受け取った。
鼻を近づけて、思いっきり息を吸う。
その匂いで、僕の眠気は一気に吹き飛んだ。
……うん、この匂いの濃さは。
「ブルーマウンテンのストレート、エスプレッソ……
こういう店もあるんだ……勉強になるなぁ」
「おや、わかるのかい?」
「……!?」
唐突に声をかけられて、僕は驚いた。
カウンター越しに、マスターが立っていた。僕の独り言を聞かれたのだと理解するまで、数秒かかった。
理解してからさらに数秒後、ようやく言葉が漏れた。
「……び、びっくりした……」
「いや、そんなにびっくりすることか……?」
彼は声に出して笑った。
僕はその様子を横目に、コーヒーをすすった。
「おいしいかい?」
「はい、おいしいです。中々クセがありますけど」
それを聞いたマスターが、顎に手を当てた。
「その口ぶりといい嗅覚といい、お前さんも珈琲好きなタチかい?」
「はい、一応店をやってたので」
僕はコーヒーをおいた。
「でも正直、ここまで上手には淹れられませんでしたけどね」
「……ほう、それりゃまたどうして」
謙遜のつもりだったのだが、予想外にも彼は興味を示した。
僕は窓を見た。桜の花が散っている。
視線をマスターに戻すとともに、再びコーヒーをすすった。
「ついさっき『まずい』って酷評されたので」
マスターは「じゃ、試してみるかい?」と言った。
驚いて彼の顔を見る。
彼は真面目そのものだった。
「大丈夫、器具は十分にある」
***
カウンター裏には、たくさんの豆や器具と一緒に、一人の女がいた。
キリマンジャロの袋を興味深げに見つめていた彼女は、僕達が入るとパッと顔を上げた。
輝かんばかりの笑顔だったが、そこにいるのがマスターだけでないとわかると、少し表情が暗くなった。
「……えーと、オーナー、どなたですか?」
「今日の来客だ。元マスターらしいから、ちょっとお手並み拝見したくてな」
彼女は僕のことをじっと見つめた。
こうしてみると彼女はかなり痩せていて、眼光が鋭かった。
「かわいい」と思った。他意はない。
「ちなみに、私の分も淹れてもらえたりします?」
「好きに使っていいんだから、自分で淹れろよ」
「はい……」
彼女はしょんぼりして、豆に目を戻した。
***
数分後、珈琲を淹れ終えた。
知らない人に見られている中でコーヒーを仕事をしたけど、さほど緊張しなかった。なれっこである。
女の人はずっと豆を眺めている一方マスターは僕の一挙一動に注目していて、対照的な二人だと感じさせた。
店の話し声とはから離れたこの空間は、愛を込めるのに最適な場所だった。
「はい、淹れましたけど……」
「……なんで二杯分淹れたんだ?」
「まぁ、一応そちらの方の分です」
僕がそう言うと、彼女はすぐさま振り返り、嬉しそうに笑った。
多分、この感じだと僕が二杯分淹れていて、彼女にあげるつもりだというのは知っていたのだろう。
僕はマスターと彼女に珈琲を渡した。
無論、白いマグカップに入っている。
「……ん、ちゃんとブラックなのか。うまいな。キリマンジャロか?」
流石というべきか、マスターは熱々なのにグイッと飲んだ。無論、その前に香りを嗅ぐことも忘れてはいない。
女の方もマスターの真似をしたのか、躊躇せずに飲んだ。
そのあと、「あっつ!」と叫ぶ。
「……オーナー、こんなに熱いのによく飲めますね……。でも、美味しいです、これ」
「ああ、その通りだ。どうだ、一緒にこの珈琲店の経営でも?」
そう言うマスターの口調は重めで、本気のようだった。
僕はゆっくりと首を振った。
「うーん、有難い話だけど、遠慮させていただきます。やっぱり、一度『まっず』って言われちゃったら、自信なくなるんですよねぇ」
「えっ、誰がそんな事言ったんですか!?」
何も知らない彼女はむせこんだ。
マスターがコホンと咳をする。
「……まぁ、俺はそんなことないと思うが……」
彼は眼鏡のずれを直した。
「ところで、今日っのてなんの日だか知ってるか?」
「……え?」
「エイプリルフールだ」
……まったく、不器用だなぁ、この人は。
僕は声に出して笑った。
マスターはその様子を横目に、店の話し声がする方へ戻って行った。
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