墓場珈琲店14。
私はパソコンを叩く手を止め、あくびをした。
休日の昼下がり、カーテンも明けずに私はパソコンとにらめっこしていた。
その液晶の上には稚拙な文章がたくさん並んでいた。
私が書いた文章は、我ながら吐き気がする。でも具体的にその吐き気をどうやってなくせばいいのか分からず、結局諦めてそのまま投稿しているのだ。
そう、私はネット小説投稿サイトに作品を投稿している、いわば「作家志望」の人間だ。
いつか自分の投稿した作品がコンテストに引っ掛かり、
書籍化することを望んでいる。
「小説家志望」。
響きはかっこいいが、実際やってることは地味だ。
私は長針が11、短針が30を指した時計を見て、カーテンを開けた。
外から入ってくる光は眩しく、ずれた眼鏡を直した。
椅子に座り姿勢を正した。
小説家志望として私がやっていることは、
休日のうちに一週間分の原稿を用意し、一日一本チマチマとサイトに投稿するだけだ。今はゴールデンウィークなので、休みの時間をフルに使って一週間、いや、一年分の小説を用意してやると意気込んでいるところだ。
「はー」
私はため息をついた。
大学生のころ、「余暇があったから何か作りたい」「でも漫画を描けるだけの画力や作曲できるほどの音感はない」「なら、小説好きだし小説でも書こう」という理由で小説を書き始め、はや6年。
明確にわかったことがあった。
それは、私に小説創作は向いていないということだ。
大学受験を第一志望でボーダーラインぶっちぎりで合格した私は、てっきり自分には勉学の才能があり、小説を書くなんて造作ないと思っていた。
現実は違った。
PV(視聴回数みたいなもの)は一桁、ブックマーク(読者の数)は最大14。いわゆる底辺だ。
それに、小説創作は想定していたよりもずっと地味だ。
ストーリーを考え書くのはほんの3割程度で、残り7割はひたすら推敲。人によってはストーリーに半分以上の時間を割く人もいるそうだが、発想の足りない自分は推敲以外なかった。
そして、今に至る。
推敲してばかりの誰でも書けるような2番前煎じでは、やはり通用しない世界だった。
そのくせはやりの『異世界転生』や『ハーレム』などには手を出さないという謎のプライドも相まって、全く書籍化の兆しが見えない。
私がふと時計を見ると、長針は12を過ぎていた。
もうこんな時間か。何か食べなければ。
んー、何か家にあったっけ?
時間かけずに食べれるものが望ましいけど……
……たしか、カップラーメンとカロリーメイトがあったはずだ。それを食べよう。
一度作業を中断し、ウィンドウを閉じようとしたときだった。
いつも使っている小説投稿サイトに、「感想新着アリ」という赤文字が映っていた。
……感想なんて、いつぶりだろう。最後に貰った感想は確か、「やめちまえ」といった旨だったと思うが……。
私はその赤文字をクリックし、現れた黒い文章群を見つめた。
「『……あんまりおもしろくないと思います。他にもありそうですし、伏線の張り方が下手です。そもそも、中世ヨーロッパの農耕描写としてジャガイモは不適切では? ちゃんと調べて下さい……』」
んなもん、誰より私が一番知ってるんだよ。
私は泣きたい気分だった。
それに、中世ヨーロッパにジャガイモが存在しないのは知ってる。でも、それは現実のヨーロッパが舞台じゃないから、関係ないはずだ。
私は画面を下にスクロールした。
信じがたいことに、その文章は2画面にわたって続いていた。
「『……そしてもう一度言いますが、物語として全く楽しくないです。やめたらいいんじゃないでしょうか。多分、自分でも書いてて嫌になってるんだと思います』」
私は目を大きく開いた。
「書いてて嫌になってる」?
私はその言葉にひっかかりを感じて、額に右手を当てた。
私は「書いてて嫌になっている」のだろうか。確かに、書いていて楽しいと感じた事はない。だが、嫌になっているかと聞かれれば……
外で救急車のサイレンが聞こえた。近くに生えている桜の木は、花を付けていない。
いいや、とりあえずご飯を食べよう。
パソコンの電源を切ろうとしたとき、私はパソコンに透明な液体が付いていることに気付いた。私は指でふき取った。
カップラーメンは棚の高い方に置いてあり、踏み台なしには届かなかった。
一緒に住んでいる人もいないから、置いたのは私だ。
なんでこんなところに置いたんだろう。そんな疑問の反芻を、一日二回は繰り返している。
カップラーメンを待つ三分の間、少し余った袖を口に当て、目を瞑った。
やめたらいいんじゃないでしょうか、か。
誰より私自身が考え続けていた言葉を、あたかも代弁してくれたようだ。
私だって、やめたい。
立ち上がり、カーテンを閉めた。
やめたいのに、なんで私は筆を折らない?
「……つかれたな」
私はカップラーメンの先に、カロリーメイトの袋を開けた。
その時だった。
強烈な眠気が襲ってきた。
私の手からカロリーメイトの袋が落ちた。
私は目を瞑った。
3分間でセットしたタイマーが、狂ったようになり続けている。うるさいはずなのに、眠気は醒めなかった。
「いらっしゃい」
聞き覚えのない声に、私は目を開いた。
コーヒーの匂いがする、と私は何より先に感じた。
「……ここは……?」
ずれていた眼鏡をただすと、私と同じく眼鏡をかけた男の姿が見えた。
彼は黒いエプロンのようなものを着ており、それが彼の職を暗示していた。
「……ご注文は?」
「え、えと……」
私は視線を逸らし、テーブルを見た。
全て四人用で、しかもそのほとんどが空席だ。唯一四人席らしい使い方をされているのは、年齢も性別もバラバラな三人が座っているところくらいか。
全員白いマグカップを手にしているところを見るに、どうやらここは珈琲店らしい。
「……えっと、コーヒーを一杯」
「あいよ。適当な所に座りな」
彼はその言葉だけ残して、カウンターへと去っていった。
私は彼に言われた通り、適当な席を探す。とはいうもののカウンター席は殆ど埋まっており、空いているのは四人席ばかりだった。
四人席を一人で独占するのはなぁ……。
「……あ、新入りさん。座る場所を探しているなら、ここ座っていいよ」
立ち尽くしていた私に、女の人の声がした。
振りかえると、四人席に座っている三人がこっちに向かって微笑みかけていた。
私は小さな声で「ありがとうございます」と言って、進言された通り一つの空きスペースに座った。
椅子に座ってよく見ると、この席には男が1人、女が2人座っていた。
1人は優しそうに見える若干身長の低い男。
1人は控えめそうに見える、頭一つ抜けて身長の低い女。ただでさえ身長の低い私よりも低いが、本人は気にしていない様子だ。
そして最後の1人は私の隣に座っており、黒いワンピースを着た大学生に見えた。
「……えーと……」
私は彼等の顔を横目におさめながら、少し考えた。
ここはどこだ?
喫茶店らしいことは雰囲気でわかったが、自分がなぜここにいるのかまるでわからない。
気絶して、病院で目が覚めた時なんてのがちょうどいい例えだろう。
確かパソコンを閉じ、食事をとろうとしたら猛烈な眠気に襲われて──
眠気というより気絶する直前みたいな感じだった。そう言えば、あの時は全身に倦怠感を覚えていたような気もする。
「私、もしかして……」
「とりあえず落ち着いて」
学生じゃない方の女が、私の言葉を遮った
「私達も、ここがどこなのかは正確にはわかってないから」
彼女は、あたかも私が何を言おうとしていたのか知っているかのような口ぶりだった。
「私は高い所から落ちて、『あっ、死んだ』と思ったらここに来てた。私達三人以外も多分そんな感じだよ。いやー怖かった」
私は眼鏡のズレを直した。
死んだ?
つまりここは、死者の世界ということか。
フィクション小説のようだな、と私は鼻で笑おうとした。しかし、死者の世界でないとこの状況を説明できず、笑うことはできなかった。
男が彼女の言葉を引き取って、「ふざけてるよな」。
「でも、多分それが事実っぽい。これまでこの珈琲店にいて気付いたことなんだけど、ここに来る人は全員何かしらの未練を持ってるみたいなんだ」
思い当たる節は?
彼から聞かれて、私は実感のないまま「もっと生きたかった」と答えようとした。
けれど、窓の外に映る花を付けていない桜の木を見て、私は口をつぐんだ。
二十秒ほどの沈黙が訪れる。三人は黙って待っていてくれた。
「……思い当たる節なら、多分『夢』についてだと思います」
「夢?」
女が反応した。
「小説家になりたくて小説を毎日書いてたんですけど、結局なれないまま死んじゃったなーって」
「あー、なるほど」
彼女は「わかるわかる」とでも言いたげに首を上下に振った。
その姿に思わず、私は怒りを覚えた。
「なんで上下に頷くんですか? 私のことなんて何もしらないくせに!」
空間の温度が3°下がったような気がした。店の中にいる全ての人の動きが凍り付いたような気がした。
逆に、顔は熱くなった。
「毎日毎日書いて書いて書いて、それでも全く上手になれない。挙句好きだったはずの小説を嫌いになりかけました。結局、叶いっこない夢なんて持たなきゃよかったんです」
太陽がカーテンで隠れたように、外の風景が暗くなった。
「そう思ってしまってる時点で、私の小説に対する思いなんて、きっとちっぽけだったんです。私、小説……」
「お待たせしました」
私の声が、知らない女の声に遮られた。
テーブルの隣に店員と思しき女性が立っていた。彼女は白いマグカップを持っていた。
「熱いので、気を付けてお召し上がりください」
「……」
黙って受け取った。彼女は微笑み、カウンターへと戻っていった。
私はさっき言おうとしていた言葉は紡がずに、マグカップを覗き込んだ。絵の具の黒と茶色を混ぜ水に溶かしたような液体だ。
「……さっきの話の続きだったな」
今度はまた、男の人がポツポツと話し始めた。
「ここではとんでもない量の時間がある。どうせ同じ時間を過ごすなら、俺は小説を書き続けたほうがいいと思う。そのうちうまくなれるはずだから」
「説得力ないよ」
「……じゃぁ、そのコーヒー飲んでみな」
ため息をつき、マグカップを握った。
フィクションばっかりの小説だったら、徳川の紋所が如く、これで一発改心させられるんだろう。
現実は全く違う。たかが一杯のコーヒーで人は変えられない。
私は縁に口を当てた。ごく、ごくと液体を流し込む。
いつも飲んでいる缶コーヒーよりずっと本格的で、プロが作る深い味わいだった。
そして、良くも悪くもそれだけだった。
男もマグカップを手にした。
「そのコーヒー、さっきの女の子が淹れたんだ。多分、コーヒーを初めて淹れてから、まだ半年も経ってない」
「えっ?」
私は驚き、マグカップを落としそうになった。
たった半年でこんなに美味しいものが作れるの?
「……さっき『叶いっこない夢』って言ったよな」
「言いました」
首肯すると、彼は笑った。
「でも、そんな夢なんてない。やり続ければ必ず、あの子がコーヒーを上手に淹れられるようになったみたいに、必ず夢に近づける」
「でも、それはあの女の話であって、私ではないですよ。私になんて」
「あ、諦めずにやって、結果を見ることが大切なんじゃないかな!」
これまでずっと居づらそうにしていた大学生の女子が、初めて声を上げた。
「一度書いてみて、誰かにそれを伝えて、結果を見ようとする。そしてから何がいけなかったのか考えて、次につなげようとする。だからあの店員さんは、上手にできるようになったんだよ」
私は声を失った。
女が言った。
「それに、ここにはちゃんと本を読んでくれる人がいる」
彼女が握手を求めてきた。私は救われたような気がした。
生きている間も、友達や家族など、私の夢を応援してくれる人がいた。その手を借りないまま私はここに来てしまった。
だから、今からでもこの未練を晴らしたい。
「ありがとう」
私は彼女の手を握り返した。
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