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介護記録 21 作れなかったCVポート
4月から終業時刻前の2時間(月火水金)と木曜日全日(訪問診療が時間不定のため)に介護休暇を取り、時短勤務(8時30分から15時15分まで)での職場復帰をした。
朝5時に起き朝のお世話を済ませて出勤。16時少し前に帰宅、必要に応じてオムツ交換、入浴、炊事。夕方のお世話、夕食(軽く晩酌)、就寝前のお世話をして23時までには就寝。I看護士から「夜中2時(ほぼ夫が起きてくれていた)の検温・体位変換はお二人も大変だし、本人も寝てるところを起こされてしまうのでやらなくてもいいと思いますよ。」との提案があったので、やめることにした。私の勤務中は夫が全ての対応をこなしてくれた。新しく派遣されたヘルパーさんともコミュニケーションを上手く取り、私に代わって介護、1人でもオムツ替えが出来る程になっていった。
この頃から「お楽しみ程度のもの、アイスクリームとか食べさせちゃうご家族もいますよ。」とI看護士から聞いていたので、K医師には秘密で(のちにK医師も同じことを言ったけどね。)大好きなヨーグルトを少しだけ食べさせ始めた。嬉しそうに口を開けて上手に飲み込めていた。胃瘻になれば30度座位を保つ必要があるため、その練習も兼ねて食べた後30分30度座位を保った。しかしながらそれ以外の食事は与えられず、口が渇いてしまうため、こまめに水滴を垂らした。霧吹きを使い、薄いソルティーライチを口に含ませた。これも美味しそうに上手く飲み込めていた。酸素吸入により鼻の中が荒れたら綿棒でアズノールを塗り、唇は荒れないようにプロペト(ワセリン)を塗った。グロスを塗ったみたいで美人さんになっていたな。腕と同様に指も拘縮していたため、タオルを持たせていたが、皮が剥けて皮膚炎になってしまった。アズノールを薄く塗ってから手拭いを指に挟み込むように持たせ、手汗が留まらないように工夫した。肛門は荒れないようにアズノールを塗っていたが、泡石鹸での過度な洗浄でかぶれてしまった。常に清潔を保ってあげたいという気持ちが裏目に出てしまった。ごめんね。泡石鹸を弱酸性に変えた。頻繁には洗浄せず、お尻拭きで優しく汚れを拭き取るようにした。日々学習の連続だったな。
着ている浴衣の袖を持ち上げて見せて「綺麗な色ね、似合うよー。」と言うと嬉しそうに笑ったり、ベット柵に手を伸ばして触れるようになったり、点滴をじっと見つめて涙ぐんだり、目が合うと「ごめんねー」と言ったり、おうむ返しではない簡単な会話ができる日も増えてきた。
私「こんにちはー」、母「こんにー」。私「こんにちはー」、母「こんにちはちはー」。ちはちは? 私「今日は暖かくてね、桜が咲いたんだってよ」、母「桜がぁ?」とにっこり。私「ただいまー」、母「お帰りー」、私「働いて来たんだよー」、母「お疲れ様ー」。夫「来たよー」、母「来たの?いつ来たの?」夫「さっき来たんだよー」、母「そう」とにっこり。夫が洗濯カゴを見せて「洗濯物干し終わったよー」、母「大変ねー」。ヨーグルトの容器を見て「ヨーグルト」の文字を読んだり、外の様子を気にして「雨降ってるんでしょ?」と聞いてきたりした。気管切開しなくて良かったと思った。
右内頸静脈のCVカテーテルがそろそろ限界とのことでCVポート造設の提案があった。診察と同日に入院できる病院を探してもらい、TH病院が受け入れてくれることになった。しかし毎日発熱していたので、身体状況は良くないタイミングだった。4月10日(水)に介護タクシーにて連れて行き、すぐに諸々の検査が始まった。ここでもまた問診票やら入院関係の書類をしこたま書かされ、看護士からたくさん聞き取りを受けた。その際に「あの褥瘡、よく治されましたね。素晴らしいです!」と感動された。凄いことだったようだ。頑張ったもんね。
CVポート造設の説明を受け、無事入院となったため夫に迎えに来てもらったその時、看護士からただ事ではない様子で呼び戻された。「先生からお話しがあります!」病棟のナースステーションにて説明を受ける。検査の結果が非常に悪い。毎日40℃前後の発熱があるため炎症反応が高値。CVポート造設程度の処置ですら止血できない程深刻な貧血。肺に大量の水が溜まっており、腫瘤も4~5個確認できる。詳しい検査をしていないので確定はできないが、恐らく末期の肺癌であることを告げられた。頭が真っ白というか目の前が真っ暗というか呼吸が苦しくなった。CVポート造設はせず、右内頸静脈のカテーテルを抜去し、右鼠径部から挿入するという内容に変更された。4月11日(木)処置、4月12日(金)に退院予定となった。
カテーテル処置は無事に終わり、初めて利用した時と同じ介護タクシー業者(2人体制なのに低額かつ好印象)にてお迎え、自宅に戻る事ができた。