受験なんてくそくらえ!夢を描けなかった子供時代
「なんのために生まれてきたんだろう」
小学校の頃に漠然とした疑問がわいて
中学校、高校生はとりあえず決まったレールしかないと思い
目の前の勉強と部活と学校行事をを頑張ること、にただ必死だった。
大学受験ではた、と人生について考えるけど、
進学校で、大学以外の選択肢はほとんどなく
一部の夢がある人は専門学校という選択肢を選んだりしていたけど
ほとんどは大学受験。進学しない人はいたのかな?というくらい
大学に進学しない人生はないよと、道を限定されていた。
とりあえずで受験をしたもんだから、
何となく興味のあることは「環境」だったけど
どうしても進学したい学校もないのでそこまで成績は伸びず
センター試験の結果、国立はもちろん無理どうだから
私立大学に進んだ。いわゆるすべり止めの学校。
受験に失敗したといっていいのかわからないけど、
どうしても行きたい、学びたいものがないままの進学で、
学校の通学が1時間半以上もあったので、
入学してからの自分の空っぽ感に戸惑い、同時にそんなレールしか示してくれなかった学校のしくみや、社会、親、への怒りをふつふつと抱えていた。
受験なんてくそくらえ!!!!!
学校の勉強も、受験も何の意味があったんだろう?
学ぶ意味を、受験に挑む意味を本気で教えてくれる人がいたらどんなに救われただろう。
あの受験期を終えた後のギャップが私にはよくわからなかった。
だって大学生はほとんど遊んでたし、
授業も受けても何にも記憶に残っていないよ。
親が払ってくれた授業料が本当にもったいなくて申し訳なく思う。
大学の4年間は、人生のボーナスタイムみたいに、
青春を遊んですごしなさい。
この先奴隷のように一生働くのだからその期間遊んでいいよ
という時間なのかなと思うけど、
もっと先が見えている中でのこの4年間だったらどれだけ時間を有効に使えただろう。
日本の大学は入るのは大変で出るのは簡単
当時は日本の大学の仕組みにも苛立ちを抱えてた。
進学校でまじめに勉強してきた私と、勉強何それ?というテンションの学生たちとのギャップに苦しみ、1年目はとにかく大学を辞めたかった
それからゼミという場、目標を一つ見つけて4年で無事卒業まで迎えたけれど。
個性を大切にした教育への強い渇望
子どもの個性、特性に合った教育と、
好きや得意に焦点を当てた進路指導を
家庭や学校でしてくれていたらと思いと怒りがあった。
大学時代、テレビで紹介していた教育について
「ヨコミネ式」というのに出会い、うわぁ、私が求めていたのってこいうゆうのじゃんと思い、ヨコミネ式の本を読んだりした。私も教育の仕事がしたいと思った。なのでフィンランド式の教育などにも興味を持って本を読んで勝手にあこがれを持った。
10年以上今もその本は家にある。何度引っ越しても捨てずに残っているのは不思議だ。
就職活動のときに、1社、教育関係のところに受かったものの、関西だったのとなんか怪しい感じがしてやめてしまった。
今思うともっと貪欲に探してもよかったのかもしれないけど、一教育者になりたかったわけでも、教鞭をとりたかったわけでもない。
大学時代、父から言われた教育免許は途中で断念したし、教育実習なんて絶対に行きたくなかった。
結局今思うと私は、日本の教育環境の何をどう変えたかったのだろう。当時は怒りが大きかったから、就職活動っていう一本の道しか許されていなかったことへも怒りがあった。
レールから外れるのが怖くて、親の目が怖くて、自分で新たな道を切り開く勇気もパッションもなくて目をつぶった。
社会人になってからも
私は何のために生まれてきたんだろう、ミッション、天命・使命って何?というのはずっとずっと抱えていて、たくさんの本を読んで問い続けていた。
だから就職してからも、自分で道を切り開くという教育をなぜしてくれなかったのか。そんな怒りや社会への疑問を感じていた。
あなたの夢は何?
そう聞かれた記憶があまりない。
一番最初の記憶は、小学校の時に書いた将来の夢の絵
私は人と違って、雲に乗りたかったから、その絵を書いた。
周りはきっとお花屋さんとか、ケーキ屋さんとか、花嫁さんとか・・・
明らかに私の絵だけ現実離れしていて、
その時親に何か言われたのか覚えていないけど
空気に敏感だった私は
早くあの絵を外してほしい、恥ずかしい。なんか間違ったのかな?
と思った記憶がある。
記憶を辿ってもそのあと夢を思い描いたことはない・・・
そのままレールに乗って大学、就職までして12年間勤めあげてしまった
くそ真面目な人間だから。
そう、だから子供が、もちろん大人も
夢をもっと声を大にして語り叶えていく人生を送ってほしいし、
そうゆう社会になってほしい!!
というのが私の強い願望。
子どもが夢を描ける社会、一人一人の個性にあった子育て、才能を見つけて伸ばしてあげられる環境が、どんな子供にも広くあったらいいなという想い。
親になった今できることは、目の前の子供の個性にあった子育てをすること。子供の好きを見つけるのを横で見守ること。
その個性にあったというのが、数秘やホロスコープ、マヤ暦、個性学なんかでタイプ別に分けれていたりする。
そういったのを生かして体質や、性質が全く違う一人ひとりに対しての声掛けや、アドバイスの仕方などをちゃんと変えてあげること。
相手が受け取りやすい言葉で、届けること。それが親子にとってストレスなく、いい関係を気づきながら成長をサポートできると思っている。
それが家庭でも教育の現場でもあたりまえになったらいいな。
家が息苦しくて息苦しくて仕方なかったから特にそう思うのかもしれない。
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お読みいただきありがとうございました
過去を振り返って書きたくなったので書いてみました。
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