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インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(63)
第 28 章 H. E. パソフ博士への最初の手紙 - 1972 年 3 月 -
この本は、おそらく「リモートビューイング」の開発に関して戦略的な立場にあった「内部関係者」によって書かれた最初で最後の本だ。
他の著者もこのテーマに興味を持っており、今後も興味を持ち続けるかもしれない。しかし他の著者は皆、個人的な目的や異なる傾向や態度を持っている。
一部の問題は過度に強調され、リモートビューイングの本当のストーリーにとって重要な他の問題は避けられたり無視されたりしている。通常彼らにとってスキャンダラスだと思われるテキストを作成することが優先される。
しかし今後は、リモートビューイングは過去の「スキャンダル」の文脈では考えられなくなるだろう。もっともいずれにせよ、それは愚かなタイプと知的なタイプの両方の愚者によって作られたものではあるのだが。
もちろん私はリモートビューイング事件のすべてを生き生きと記憶していることを除けば、他の著者とほとんど変わるところはない。この記憶は (少なくともこれまでのところ) 非常にしっかりしており、多くの書類キャビネットによって裏付けられている。
リモートビューイングの歴史的記録には、ハロルド・パソフと私がなぜ協働するようになったのかに関する書類を含める必要がある。
パソフと私が一緒になっていなければ、語るべき物語はまったくなかっただろうということを強調したいと思う。またパソフがいなければ、リモートビューイングが機能することはなく、これほど注目されることもなかっただろう。
私はスリムで強力な戦闘マシンだったかもしれない (これはパソフを含め、多くの人が気付いたことである)。しかしパソフは複雑なリモート ビューイング「パッケージ」をまとめた外交官であり戦士だった。これは私一人では成し遂げられなかった偉業だ。
私とパソフの関係は時には非常に不安定だった。私たちの関係が維持されていたのは、社会的に拒絶された「人間のバイオマインド超能力」を解明するという動機にのみ基づいていた。
多くの喧嘩があったが、結局はそのことが橋渡しとなった。全体像を忘れてしまったら、リモートビューイングの本当の話はすべての超能力を取り巻く愚かな社会的ジレンマにすぐに引き継がれてしまうだろう。
クリーヴ・バックスターはパソフ博士のいくつかの論文を私にくれた。しかし私はサイエントロジーの件があったので彼と連絡を取らないことに決めた。
私のためにかなり乱暴なやり方で状況を解決してくれたのはゼルダだった。私はスクラブルのゲームをしながら彼女に状況を説明した。彼女はしばらく考えた後、こう言った。「でも、あなたは ASPR で受けたのと同じ偏見を彼に持っているんじゃないの?」
ゼルダは、ブロードと同じように、彼女なりの方法で物事の核心に迫ることができた。
「これは偏見じゃない」と私は答えた。「深刻な問題なんだ」
ゼルダはしばらく返事をしなかった。それから「いいえ、偏見よ。あなたは彼があの組織に所属しているから彼を避けているのよ。それは同じことだわ。科学は超能力研究に関係する人々を避ける。そしてユダヤ人、イスラム教徒、キリスト教徒、性的嗜好、人種、金、貧乏人を...」
「もういいだろう」と私は言った。
それで私は家に帰り、丸一日傷をなめ続けた。そしてついに夜遅くベッドの中で、バックスターが私のためにコピーしたパソフ博士の文書を読んだ。
特に感銘を受け、驚かされた文書が1つあった。それで翌朝、1972 年 3 月 30 日、私はパソフに手紙を書いた。それは書きたくてたまらなくなって書いたものだった。