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インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(71)
嵐は1972 年 4 月 17 日、宇宙から落ちてくる巨大な流星の如く到来した。
その日オフィスに来ると、ジャネットがしょんぼりしているのを見つけた。明らかに泣いていた。
「どうしたの?」と私は尋ねた。
「まあ!」とジャネットは、まるで白熱したエネルギーを爆発させようとしているかのように話し始めた。
「信じられない。出版委員会が論文の出版を拒否したの!しかも理由も言わないで!」
私はびっくりして、彼女が言ったことを理解できなかった。
私は尋ねた。「彼らは何と言ったの?」
彼女は4文字の単語を連発ながら説明し始め、私はようやく何が起こったのかを理解できた。
私はとりあえず持っていた一番大きな葉巻に火をつけた。
こうして、由緒あるアメリカ心霊研究協会を根底から揺るがすスキャンダルの一つが始まった。協会の研究部長であるオシス博士でさえ、目に涙を浮かべていた。全員がそうだった。
さらに悪いことに、レセプションはわずか9日後に迫っていた。
誰も、何人かの理事会メンバーでさえ、出版委員会の考えを変えることはできなかった。議論と争いはすさまじいレベルに達した。
出版委員会は多大な圧力の下で弁明を強いられた。それによると、OOB 実験の結果はあまりにも優れていたため「何か問題があるに違いない」ということになったという。
これは他の多くの優れた超心理学研究の結果に直面した熱心な懐疑論者が言うこととまったく同じである。だが出版委員会は熱心な懐疑論者ではなく、高い地位にある「熱心な」超心理学者で構成されていた。
しかしこれらの超心理学者は、オシス博士の OOB 実験を認めることを完全に拒否した。実験の設計とセキュリティは以前に理事会によって承認されたものであり、出版委員会の役員もメンバーに加わっていたにもかかわらず。
このすべては、オシス博士、ジャネット、そしてもちろん私自身の誠実さと能力に対する直接的な攻撃であった。私にとっては、実験の被験者としての私の名前が泥沼に叩き落されたことを意味していた。後にもっと大きなことをすることがなければ、私の名前は今でも泥沼に嵌ったままだっただろう。
自分を哀れんでいる場合ではなかった。私の心はオシスとジャネットに向けられていた。ASPR のニュースレターの編集者兼プロデューサーであるマリオン・ネスター夫人の心中も察した。私の記憶が正しければ、マリオンはニュースレターの夏号を印刷する準備をほぼ整えていた。
彼女も他の誰もと同じように憤慨していた。彼女は準備したものに代えて、8つの正式な実験の結果を発表すると言った(次の章でこのニュースレターを引用する)。だがこれは世界中の超心理学者が科学的であると認めていたジャーナルに論文が掲載されることと同じではなかった。