インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(94)
ハル・パソフ博士はSRI で、科学的な手法で特定の超常現象を研究し、物理学などの専門知識をそれらの現象に適用するプロジェクトを立ち上げたいと考えていた。そのためには、提案書を書いてそれをスポンサーに売り込まなければならなかった。要するにパソフ博士は、米国で 2 番目に大きい「シンクタンク」の真ん中で「サイキック研究」を行うことを提案していたのだ。
私はこれを聞いてパソフ博士の前で笑ってしまった。彼が提案していたことは超心理学と以前のサイキック研究で実現できなかったことだったからだ。この2つの分野にはもともと著名な科学者やノーベル賞受賞者も関わっていたのだが。
私は、超心理学における資金提供を巡る争いについて、超心理学者がいかにして自分たちのために資金をかき集めるために互いに裏切り合っているかを彼に説明した。
それに加えて、科学そのものが示す超能力に対する絶対的な抵抗と懐疑論者による批判がある。さらにメディアによる抵抗がある。タイム誌はあらゆる本物の超能力研究の取り組みを「いかさまボックス」に押し込んだ。
パソフは私を SRI のメイン・ダイニングルームに昼食に連れて行った。そこで私は「あなたはJ. B. ライン博士ですら達成できなかった資金調達をしなければならないだけでなく、いろんなところから叩かれることになるだろう」と言ったのを覚えている。
この時点では、私はハロルド・E・パソフのことをよく知らなかった。彼のことをもっとよく知っていたら、私は決して笑ったりせず、黙って彼の言うことを拝聴していただろう(たとえそうすることが私にとって非常に困難であったとしても)。
私が彼と共に実験をするのは1972 年 6 月 5 日の月曜日から5日間の予定だった。あと 4 日でまた自由になれる、と私は心の中で自分に言い聞かせた。
しかし、その32時間後に起こったことは、パソフも私も想像できなかったことだった。ここには現代科学の時代における超能力の歴史のすべてが凝縮されている。
1972年6月6日に起きた出来事は、SRIでのその後15年間の研究につながる道筋を始動するものだった。それがハル・パソフ以外の誰かの主導で他の場所で起こっていたとしたら、間違いなくサイキック研究と超心理学の研究における一つの出来事としてすぐに忘れ去られていただろう。
しかし、H. E. パソフ博士が織り込んだ非常に細い糸は、この国のあらゆる諜報機関を縛り付ける強力なロープに変貌していったのである。