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インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(77)

レセプションは 午後5時から8時までの予定だったが、9時になってもまだかなり人が密集していた。

人混みが少し減り始めたので、いろいろな人ともっと長く話すことができた。アン・T・ジョンソンは当時のスタッフ写真家で、親切にも写真1組をくれた。私は今でもその写真を大切にしている。

写真の中には、私があの「いかさま囲み記事」で悪名高い雑誌、TIME 誌の当時の編集者の一人と親密に話しているものがある。これが TIME 誌との私の「冒険」の始まりだった。

誰もがレセプションは大成功だったと感じていたが、私は今でもこのイベントがジャネット・ミッチェルとカーリス・オシス博士の頭越しに行われたことに少し憤っている。

そしてレセプションは終わった。が、まだ終わっていなかった。

ASPR に展示された絵画について、当初の計画は、ASPR のメンバーが希望すればそこに来て鑑賞できるように、3か月間そこに展示することだった。

しかし、レセプションの数日後、ASPR は個人の芸術作品を展示するために使用すべきではないという理由で、理事会のメンバーが絵画に反対していると聞かされた。

この人物は、当時次官補を務め有名な超心理学者でもあったチャールズ・オノートン氏だと教えられた。オノートンは、ずっと後になって、数人の著名な科学者の超能力に対する懐疑的な見方を変える建設的な仕事をすることになり、この点における彼の仕事は疑いなく称賛に値するものだった。彼は残念ながら早すぎる死を迎えたが、私は彼が表舞台から姿を消したことを残念に思う。私はASPR で行われた彼の追悼式で彼の遺灰の箱の左側に座る栄誉に浴した。実に悲しい出来事だった。

私は自ら進んで絵画をすぐに撤去した。

他の3点の作品とともに、『船尾から観た射手座(AFT-SHIP'S VIEW OF SAGITTARIUS)』 を含む ASPR の絵画 2 点は、ワシントン DC にあるスミソニアン国立航空宇宙博物館の「宇宙芸術」コレクションに収蔵されることになり、永久保存されることになった。私はこれらの絵画(5枚)を国家に無償で寄贈した。もちろん非常に小さな遺産ではあるが。スミソニアン博物館の梱包スタッフが来て丁寧に箱詰めしてくれたときは誇らしく光栄に思った。

ただし1枚の絵は残した。それはゼルダの雇用主であるリード・エリクソンがジーン・ヒューストン博士の勧めで1969年に購入した三連画「DEATH OF A MAN」の油絵の下絵だ。

オシス博士は私のスタジオを訪れた際に、この絵を特に気に入っていた。絵を運び出すとき、彼がその絵をじっと見つめているのを見つけた。私はその様子に心を動かされて、「この絵を贈り物として個人的に受け取ってくれませんか」と言った。彼はそうしてくれた。私は嬉しかった。

インゴ・スワンの作品「Millenium Triptych」

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