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インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(84)

第3部:スタンフォード研究所 (SRI)  1972年

第 33 章 不可能への跳躍

1972 年 6 月 4 日、スタンフォード研究所の H. E. パソフ博士を訪ねるためにニューヨークを出発したとき、私はついに自分が正気を失ったと確信した。

空港までの長いタクシーの乗車中、私は暗く不吉な予感に包まれていた。私は自分の愚かさを痛感していた。これは人が抱くことのできる最悪の感情の一つだ。多くの人が愚かではないふりをするのはそのためだと思う。しかし、私が敢えてこの旅に出たのは 2 つの理由があった。

カーリス・オシス博士は、私にはアメリカ心霊研究協会以外に行く場所はない、と言い放った。だがもちろん、私が別の場所に招待されていることを示すためだけに SRI に行くのは非常に幼稚なことである。

パソフ博士は、彼の監督と管理の下で説得力のある実験が行われるのを見たがっていた。そのような実験がなければ、シュマイドラーとオシスの研究はすべてあらゆる方向からやってくる執拗な疑惑の猛攻撃の下ですぐに消えてしまうだろう。

私はガートルード・シュマイドラー博士を心から崇拝していたし、オシスが卑劣な人間の策略に関して比較的無邪気だったことは別として、彼の実験設計を賞賛し、尊敬していた。もし私がどこかで何らかの実験に参加しようと勇気を出さなければ、単なる臆病さのために実験を放棄することになるだろうと感じた。

検討すべき私の3つのネットワークもあった。それはビューエル・マレン、ルース・ヘイギー・ブロッド、ゼルダ・サプリのサークルで構成されている。彼らは臆病さを歓迎しない。もし私がパソフのところに行かなかったら、私は彼に誘われたが本当に成果を出せないので断ったという噂が広まるだろう。これはあらゆるところに潜む日和見主義の懐疑論者を元気づけるだけだろう。

もしそれが自分だけに関わることなら面目を失うことを我慢できたと思う。しかし現在の状況は、私が尊敬し私にとって完全に意味のある友情を育んでいた他の多くの人々を巻き込んでいた。

私は「挑戦しなければ地獄、挑戦して失敗すれば地獄」と表現される、あの苦しい状況に挟まれていた。

しかし、全力を尽くして挑戦すれば、失敗しても恥ではない。結局のところ、それがスポーツマン精神というものだ。

これが、私がこの本の第1章で提示した「状況」に関する最初の本当の暗示だった。これまで、自分で作り出した状況以外では、自分が状況に巻き込まれていると感じたことは一度もなかった。


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