ハーバードの法律家が UFO、エイリアン、情報操作、秘密の政府について語る(1) ジョン・マック事件
ダニー・シーハン弁護士のインタビュー動画がまた出た。またもや3時間半の長尺。1945年生まれということなので来年で80歳になるというのに、感心するほどの情熱とエネルギーである。
コメントを見ると「これまでのダニーのインタビューで最も内容が濃い」「耳を傾けていたら4時間近く座ったまま動けなかった」など評価が高いので内容を紹介したいが、これまでのインタビューと重なる部分などは省略して、興味深い部分を抜粋する。
過去のインタビュー記事はこちらなど参照
ジョン・E・マック(アブダクション本で有名なハーバード大学精神科医)との関係について
1994年にジョン・マック博士からハーバード大学との事件について代理人になってほしいと連絡を受けました。私はハーバード大学で修士課程と博士課程を終えハーバード・ロースクールを卒業していたので役に立つと思ったのかもしれません。
ジョン・マックは大学から問責され解雇される危機にありました。
私はジョンと一緒にローレンス・ロックフェラーに会いに行きました。ロックフェラーはハーバード大学での審議に提供するためのすべての情報と証拠を提示することに同意していたので、私は準備のためにジョン・マック博士に代わって現場の事実上全員にインタビューしました。
インタビュアー(以下太字):それで、ジョン・マックのアブダクションに関する本に載っていた人々にインタビューしたのですか?
私はそれらの人々の何人かに会い、主要な研究者全員にもインタビューしました。スタントン・フレッドマンやバド・ホプキンス、デビッド・ジェイコブスを含め、事実上すべての人に会うことができました。スティーブン・グリアやリンダ・ モルトン・ハウにも会いました。
その後、ジョン・マックがケンブリッジに集めたグループである非日常体験調査プロジェクトの法律顧問にもなったので、あらゆる種類の直接の体験者に会うことができました。その流れで、スティーブン・グリアが 2001 年に最終的に私に情報開示プロジェクトの法律顧問になってほしいと依頼し、私は 20 年間「ディスクロージャー・プロジェクト」の顧問を務めていたので、2001年にナショナル・プレス・クラブで講演する予定証人を精査する際に、より多くの人々に会うことができました。
ジョン・マックが最初にあなたに連絡を取ったときの話に戻りますが、彼が行っていた研究に対してハーバード大学から責任を問われていたことについて、あなたに代理人になってほしいと依頼があったのですか?
そうです。
彼と初めて会ったとき、あなたたちは何をしましたか、そして彼とその件にどのようにアプローチしましたか?
そうですね、面白かったのですが、実は最初にジョン・マックの親友であるロン・ロバートソンから連絡があったのです。彼はジョンとサリーの結婚式などにも出席していて、ロンはサンタバーバラにいて、私はカリフォルニア大学で教えていました。 ロバートソンから私に連絡があり、彼はサンタバーバラ市立大学の芸術学部長で、イラン・コントラ事件、カレン・シルクウッド事件、スリーマイル島事件、その他の事件に関する私の講義に何度も来ていました。
それで彼は私に電話して、会いに来てほしいと言い、UFO問題についてどう思うかと尋ねたので、私は非常に重要だと思うと言いました。それはおそらく人が関わることができる最も重要な公共政策問題の一つだと思うと言いました。すると彼は、私の親友のジョン・マックがハーバード大学で問題に巻き込まれていると言いました。それは現在完全に極秘だが、彼が地球外宇宙船と直接接触したと信じている人々にインタビューした本を書いたことで大学が彼を非難しているというのです。
そして彼は、ジョンの代理を検討するためにジョンへの電話に応じてくれないかと言ったので、私はイエスと答え、ジョンから電話がありました。私はケンブリッジに飛んで、彼とこの件について話し合い、調査しましたが、これは正式な審議ではありませんでした。それはアメリカの大学教授の協会が承認したいかなる種類の委員会でもありませんでした。
調査の中で私が知ったことは、アメリカ空軍、国防総省、中央情報局が、軍内部や政府機関内部でUFOに関して公に語ろうとする人々を中傷する計画に何十年も従事してきたということです。もし軍の高官が公式のUFO報告書を提出すると主張したら、彼らが最初にすることの一つは、彼に精神科検査を受けに行くよう命令することです。それは軍人のキャリアにとって致命的なことです。
例えばアリー・アーノルドソン大佐がその一人でした。 1968年にモンタナ州のマルストローム空軍基地の司令官だったアーノルドソン大佐は、 UFOが基地の上空に現れ、10発のミニッツマン・ミサイルをすべて遮断したとき、そのことについてNORADに報告しました。それについて報告書を提出しようとしたら、精神医学の検査を受けるよう命じられたのです。
多くの人々がこの種のトップレベルの精神医学の検査を受けるためにハーバード大学医学部に送られ、その任務を引き受けたのは学部長であるジョン・マックでした。ジョンは彼らと面接し、あらゆるテストを行いました。
それは彼がそうすることを選択したのではなかったのですか?
いいえ、彼らはそうするように命じられたのです。彼らは検査を受けるためにそこに送られました。私の推測では、彼は部門長としてある程度の裁量権があり、誰が実際に検査を行うかを割り当てられていたため、検査を行うことを選択したのではないかと思います。
彼はこれらの軍関係者にインタビューする前に、このテーマに何らかの興味があったのでしょうか。
いいえ。彼は実際にこれらの人たちが何か問題を抱えているのではないかと疑っていました。しかしテストの結果は彼らが正常なパラメータ内であることを示していました。
それでも彼らはこのような話があったといい、話すことを禁じられたと主張し続けたので、ジョンは困って母親に相談しました。そのとき彼は60歳くらいだったと思いますが、彼が90歳くらいの母親に電話してこのことを話すと、お母さんは「ホプキンスに会いに行ったほうがいいわよ、マック家はホプキンス家と友人どうしだったのよ」と言いました。
バド・ホプキンスは、これらのUFOを見た、またはパイロットや乗員と直接接触したと信じている多くの人々にインタビューすることに従事していたのです。ジョンは最終的にバド・ホプキンスに電話して話をすることになり、バドは人々をジョンのところに派遣しました。バドが紹介した人々は、警察官、教師、弁護士、図書館司書など、地域社会でそのようなことをでっち上げることは彼らの利益にならないような立場にあり、ジョンは彼らにインタビューを始めました。彼は次第にその物語に魅了され、本格的な調査を始めたのです。
インタビューの際に催眠後退を用いましたか?
いいえ。ジョンは誰にも催眠術をかけませんでした。彼はそういうことはしたくなかったのです。彼がやったのは、ホロトロピック呼吸と呼ばれるものです。ホロトロピック呼吸は、人々を非常にリラックスさせるためにスタニスラフ・グラフによって開発された方法であり、ヨガのさまざまな呼吸法のようなものの一つです。そして彼らはある種の意識の上昇状態に入り、非常にリラックスした状態になり、それが彼らが抱えていたあらゆる種類の不安が記憶を妨げていたことを思い出すための鍵でした。
彼らはインタビューで、たとえば彼らが宇宙船の中で検査を受け、そこで使用されていたいくつかの機器について話し、その機器がどのようなものであるかを詳しく説明しました。その部屋には何らかのナビゲーション機器があり、あらゆる種類のコンピュータがあったなどの詳細な話がありました。
ジョンはクライアントの語ることがかなり詳細であり、それぞれの話に共通性と相関性を認めたので、 ニューイングランド医学ジャーナルに記事を書きました。ところがジョンが送った記事は数日後に送り返され、これは出版しないつもりだというメモがついていました。
これは非常に専門的な記事であり、ジョン・マックはハーバード大学医学部臨床精神科の長だったのです。彼はさらに脚注を加えて編集部に送り直しました。すると2日後に以内に編集長のアーノルド・レルマン教授がジョンのオフィスに現れ、原稿を彼に渡し、これはまだ読んでいないし、読むつもりもない、まして出版するつもりもないと言いました。
ジョンはこのことに腹を立て、伝手のある出版社に電話しました。ジョンは『アラビアのロレンス』の作者T・E・ロレンスの伝記を題材にした作品でピューリッツァー賞を受賞していました。彼は出版社に連絡し、その原稿は数日以内に出版されました。
すると医学部の学部長がやって来て、ジョンにこう言いました。「あなたが新しい本を出版したと聞いていますが、これはとても興味深いテーマだと思います。何人かの教授たちと一緒に、このことについて話しませんか。」
ジョンはこれに興奮し、 素晴らしいアイデアだと思ったので、指定された場所に行きました。すると学部長はじめ何人もの人々が部屋にいて、法廷のような雰囲気でした。ニューイングランド医学ジャーナル誌の編集長であるアーノルド・レルマンが議長を務め、ハーバード大学の法務審議会のメンバーもがそこに座っており、その他に3人の教授がいました。
彼らはハーバード大学の名前を使ってこのようなばかばかしい本を出版したことについてジョンを非難し始めました。彼らは明らかに精神を病んでおり、精神疾患についての記事であれば認められるだろうが、ジョンはこの経験全体にある種のリアリティを帰しているような印象を与えていたので、教授たちはその記事に驚愕したと言いました。
ジョンは帰って親友のロン・ロバートソンに電話をかけ、先ほど言ったように彼から私に連絡が来て、私がこの事件に関わることになったわけです。
それで私はジョンと一緒に次の審議会に出頭しました。私たちが部屋に入ってに座ると、そこにはレルマンがいて、医科大学の学部長や弁護士、その他の人たち全員がいて、レルマンは彼を尋問しようとしました。
それで私は言いました、「すみません、私にはこの審査会の根拠が不明です。私にはこの法廷のようなものの性質が何であるかわかりません。これは司法権限のある機関が招集した法廷ではありませんよね。」
「しかしこの集まりが何であれ、こで問題になるであろう次の二つの質問についてお答えいただけますか。 第一に、地球外生命体が存在するかどうか、第二に、これらのUFOの目撃情報の少なくとも一部は実際に地球外文明からの乗り物である可能性があるかどうか。」
そしてレルマンは、その二つの質問は全く馬鹿げていると言いました。
ハーバード大学は1994年に、宇宙の他の場所に生命が存在すると考えるのは完全にばかげていると言ったのです。
私は彼に言いました、「この事件には協力の精神で臨みたいと思いますが、ひとつ教えてください。学部長にこの件を告発したのは誰ですか。」
すると部屋中に沈黙があり、レルマンは周りを見回しました。ハーバード大学の弁護士は彼を見て、首を振りました。レルマンは「申し訳ありませんが、ここはそのことについて議論する場所ではありません」と言いました。
そこで私は、「協力の精神から申し上げますが、あなたは彼にたくさんの質問する一方で、あなた方は質問に答えることができないと言います。それは公正な手続きと言えるでしょうか」
また長い沈黙があり、弁護士は首を横に振り「申し訳ありませんが、ここは議論をする場ではありません」と言いました。
それで私は、分かりました、それでは開かれた精神で話しましょうと言いました。「ジョンと私はローレンス・ロックフェラーと週末を過ごしたところです。ロックフェラー氏はハーバード大学でこのテーマに関する完全な調査に資金を提供することに同意しました。私たちは連邦航空局の主任研究員を招く予定です。軍人も連れてきます。 警察官やこれらの証言をした人々を連れてきます。」
ハーバード大学の弁護士が立ち上がって、絶対にだめだと言いました、この手続きが一種の見世物になることを許可するつもりはないと彼女は言いました。
私は、私たちはあなたがここで問題にしている二つの事実上の質問を裏付ける証人を提示するつもりですので、審議を続行する準備ができています、と言いました。彼らはノーと言ったので、私はジョンにこの場から退出しようと言いました。「ジョン、私たちはここから出ましょう。ここはいかなる種類の正式な法廷でもありません。あなたはここにいる必要はありません」
それで私は手を差し伸べて彼が椅子から立ち上がるのを手伝い、その部屋から立ち去りました。
それから私は私たちが用意できるあらゆる証人たちのインタビューを行って回りました。 これはハーバード大学に対して私たちが持っている証拠と情報を示す機会だと思いました。
私は地元の弁護士を雇わなければなりませんでした。なぜなら、私はニューヨークの南部地区とワシントンDCでは代理人になることができましたが、マサチューセッツ州では代理人資格を許可されなかったからです。
それで私はハーバード大学の私の教授の一人である弁護士の事務所に行きました、ここでの代理人を誰に頼めばいいか相談すると、彼は若いエリック・マックリーンを推薦しました。
ジョンの妻サリーは、ジョンがハーバードで仲間外れにされたことに本当に腹を立てていました。彼女も女性たちの行事にも招待されなくなったので、彼の身に何かが起こっていると思っていました。しかしそれはすべて秘密でした。ジョンがこれを秘密にしてほしいと言ったからです。
私は「いったいなぜこのことを秘密にしなければならないのですか。これはばかげています。彼らにはこんなことをする権利はないのです」と言いましたが、最終的には秘密にしたいというジョンの希望を尊重しました。
そこで私がしたのは、さまざまな証人候補全員に連絡を取って準備を始めてもらうことでした。連絡を取ったうちの一人はコロラド大学にいた人でした。 彼は何年も前にコロラド大学から出た「コンドン報告書」のことでひどく腹を立て、新聞社に電話してそのことを伝えました。私は彼にこの件について証言してもらうつもりでした。彼がそのことを誰かに話し、それについて大学側はそれが公表されたという事実をめぐって大騒ぎになりました。
エリック・マクリーンが問題を解決しようとして介入し、最終的には大学がジョンに謝罪し、ジョンは自由に調査を行うことができるようになりました。その後私は超越的な体験を調査するジョンのプロジェクトの法律顧問になったのです。
つづく
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