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ジミー・カーター元大統領とUFO

在任中は中東和平のためのキャンプ・デービッド会談などで知られ、退任後もさまざまな人道活動で世界平和のために尽くしたジミー・カーター(Jimmy Carter)第39代アメリカ大統領が亡くなった。享年100歳。

Jimmy Cater 1924-2024

ジミー・カーターには、UFOとの遭遇に関する注目すべきエピソードがある。1969年1月、ジョージア州リアリーに滞在していたカーターと約10人のグループは、空に明るい光を見たと報告した。カーターによると、光は色を変え、離れる前に浮かんでいるように見えたという。当時海軍士官だったカーターは、その体験を興味深いと感じ、自分が見たものについて議会で証言する用意があると述べた。

彼は大統領選挙の際の公約に、未確認飛行物体(UFO)について政府が保有する情報の透明性を掲げた。大統領に就任した1977年、カーターは1月の大統領就任式に先立って、後の41代大統領で当時CIA長官だったジョージ・ブッシュに面談を求めたが、ブッシュはUFOについてのブリーフィングを行うことを断り、カーターには「知る必要 Need To Know」がないと言った。

そこでカーターは大統領に就任すると、さっそくこの問題を追及し、議会調査局の航空宇宙専門家、マーシャ・スミスが調査担当に任じられた。マーシャ・スミスはダニエル・シーハン弁護士に声を掛け、バチカンが大量に保管しているというUFO関連の文書の閲覧許可をバチカンからもらうよう依頼した。当時シーハンはワシントンDCの米国イエズス会本部の総合顧問弁護士を務め、ペンタゴン・ペーパーズ事件やイラン・コントラ事件の活動などですでに全国的に知られる人権派弁護士であった。

シーハンがバチカンに出した請求は断られたが、彼は「プロジェクト・ブルーブック」の機密扱いになっている部分を見たいと思い、ダメもとで文書の閲覧申請をしたら、許可を得ることができた。

1977年の晩春にワシントンDCの議会議会図書館を訪れたシーハンは、厳重な警備体制の下で迎えられた。彼は歩きながらブリーフケースを開けて黄色いリーガルパッドを取り出し、小脇に挟んだ。目的地に着くと、ブリーフケースを廊下に置いておくように言われた。「メモは取らないで。記録はいっさい不可です」と彼を連れてきた係員の一人が言った。

閲覧室で彼が見たものの中には、ドームのついた古典的な円盤の全体像が映った写真があった。それは野原に墜落した機体で、雪に覆われていた。円盤が落ちた地面には長く巨大な溝ができ、雪の吹き溜まりのようなところに円盤が45度の角度で突き刺さっていた。その場にはアメリカ空軍のパーカーを着て防寒具を身に着けた兵士たちがおり、何人かはカメラを手にし、一人は映画撮影用カメラを引き摺っていた。

そのうちの1枚の写真には、シーハンが知るどの言語でもない初めて見る記号が映っていた。それは円盤の側面の、ドームのすぐ下の部分に刻まれていた。シーハンはこっそり持ち込んでいた黄色いリーガルパッドのノートの内側に、その奇妙な記号を書き写した。

UFO研究家のリチャード・ドーランによれば、最終的に2通の機密扱いの報告書が作成されてカーター大統領に届けられ、そのうち1通は地球外生命に関するもの、もう1通がUFOに関するものであったという。これらの報告書を大統領に送られる前に見たシーハンによれば、どちらの報告書にも、彼が見た回収機体の画像は含まれていなかったという。

1977年7月には、カーター大統領の科学顧問だったフランク・プレス博士が公的な「UFO関連調査」を検討するようNASAに要請した。
しかし1977年12月、当時のNASA長官ロバート・フロシュ博士はホワイトハウスの要請を拒否し、「NASAはこの分野の研究活動の確立や、このテーマでのシンポジウムの開催には手をつけない方がよい」と提案した。

Grant Cameronの「Jimmy Carter: Paranormal and UFO Tales」によれば、上記とは別に、カーターにアメリカ国家安全保障局(NSA)からUFOと地球外知性に関するブリーフィングが行われたという。

「マクジョージは私の連絡先に、ブリーフィングの内容について基本的に話してくれました。私はできる限りその情報をお伝えしたいと思います。大統領が部屋に入ってテーブルに着席すると、マクジョージは別のテーブルに着席しました。NSA のメンバーが、この現象の歴史的特徴を述べ、現在に至るまでの全体的なブリーフィングを行いました。その時点で、この生物の進化の習性、彼らがここにいる理由、その他の重要な事柄を説明した多数の文書がジミー カーターに示されました。」

「次にジミー・カーターに見せられたのは、ホロマン空軍基地で撮影された、UFOの住人と軍人が物理的に接触する15分間のフィルムでした。カラーフィルムでした。その後、国家安全保障関係者による説明と講演が続き、基本的に説明はそこで終わりました。非常に観察力のあるマクジョージは、説明の約30分後にカーターのオフィスに入ったとき、カーターの目に涙が浮かんでいたことに気付きました。」

上記のダニエル・シーハンの話について、ジャーナリストのロス・コーサートがカーター元大統領の報道顧問を通して問い合わせたところ、丁重にコメントを断られたという。

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