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1-2 ホモ・サピエンスの誕生と拡大
約30万年前:最古のホモ・サピエンス(新人、現生人類)がアフリカに出現(モロッコのジェベル・イルード。諸説あり)。ホモ・サピエンスの時代から言語が本格的に用いられるようになったとも考えられる
ホモ・サピエンスの狩猟
恐らくホモ・サピエンスの時代から、進化した言語能力と文化の共有によって、何百人もの人々が地域集団として結合する。彼らは灌木や岩陰に身を隠しながら獲物を狙い、背中の曲線だけで獲物の諸状態を見極めたか
ホモ・サピエンスはマンモスやトナカイ、ヤギュウやサイ、馬の群れなどを狩猟した。崖下に無数の馬の骨があったことから(フランスのソリュートレ)、火などを使って崖の上に追い込み、崖下に落ちてから、崖下の仲間が殺すという、馬の追い込み猟を行っていたか
マンモスなどは沼地や袋小路に追い込んで集団で殺害したと考えられる
他にも罠や落とし穴も用いたり、動物の皮をかぶったり、木の枝で偽装して目標に近づいたこともあったとされる
戦闘に先立って麻薬を使うこともあったかもしれない。むしろ、恍惚状態に至るために戦闘を始めることもあったとする説も。後の文明化後にも戦闘前にアルコール飲料を飲むこともあったが、飲酒が暴力を引き起こすこともあった
ホモ・サピエンスはマンモスの骨や牙も武器とした。ヤギュウやウマを求めた古い時代には定住生活の遺跡が多いが、トナカイを追って暮らすようになった後の時代にはキャンプ生活の遺跡が多い
約25万年前:ザンビアにローデシア人が出現(~約13万年前)
約21万年前:ギリシアにホモ・サピエンスが進出したとも(アピディマ洞窟)
約20万年前:現生人類の始祖ともされる女性がアフリカに生存していたか
約20万年前:ネアンデルタール人を担い手として、ヨーロッパ、西アジアで中期旧石器時代が始まる
ネアンデルタール人の技法
中期旧石器時代は、あらかじめ加工しておいた石核のまわりを1周するようにして、規格性のある剝片をつくる円盤技法(ルヴァロア技法が代表)を特徴とした。剝片は更に加工してスクレーパーやナイフなどとすることも
作った剝片はナイフなどとしても用いた(剝片はそのまま武器などとして用いることも)
ルヴァロア技法はあらかじめ仕上げる石器の形を想定する必要があった
他にも、細い綱の先端に丸い石を結びつけて、動物の足などに絡ませる狩猟具であるボラが使用されたか(異論あり)
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上図:ルヴァロア技法で作られた尖頭器
![](https://assets.st-note.com/img/1731824958-XsAql4fkSUe0T3DcPV6jLOxH.png)
上図:ボラ
約18万6000年前:地球で寒冷化が進む。ヨーロッパではネアンデルタール人のみが居住するように(他の旧人は消滅)。また、彼らは西アジアにまで南下
約18万6000年前:中国で円盤技法が用いられるようになる。しかし、南部では円盤技法は用いられず。一方で、東南アジアでは石器の使用が始まる
約18万年前:ホモ・サピエンスがレヴァントに進出(ミスリヤ洞窟)
約13万5000年前:アフリカで極端な乾燥化と温暖な気候が交互に繰り返される大規模な気候変動が始まる(~約7万年前)。こうした危機がホモ・サピエンスの能力を高めていったか
約12万年前:ホモ・サピエンスが中国南部に進出していたとも
約12万年前:島根県砂原遺跡にて石器が作られていたとも
約10万年前:ジャワ原人が絶滅
約10万年前:現代型ホモ・サピエンスが完成していく
約10万年前:スロベニアのクラピナにてネアンデルタール人の骨が粉々に砕かれる。事故や埋葬儀礼の可能性もあるが、脳みそや骨髄を取り出しての食人という可能性も残されている
約9万年前:イスラエルのタブン洞窟にて、石刃(細長い剝片)が作られるようになるも、やがてルヴァロア技法に戻る
石刃技法
ホモ・サピエンスは石刃技法を開発しており、細長い薄手の剝片を次々に打ち出せた。この技法ではルヴァロア技法よりも多くの剝片を作れた
石刃技法は、材料となるフリント(火打ち石としても使われる硬い岩石)の自然石を打ち欠いた後、一端をハンマーで強く打つ手法である
なお、新人の時代には石器製作場が残されており、大量の石器生産を証明している
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上図:石刃技法で用いられた石核と剝片
約7万8000年前:地球が寒冷期に入る。これにより、ホモ・サピエンスは中近東からアフリカに撤退
約7万5000年前:スマトラのトバ山が大爆発(更新世最大の爆発)。寒冷化が進行し、ヨーロッパ・中近東はネアンデルタール人が中心に
約7万5000年前:南アフリカのブロンボス洞窟で、石に模様が刻まれる。人類の抽象的思考が発達したか
約7万年前:木製の槍、投げ槍が発明される。ただし、この時期に槍が人間に向かって用いられたという証拠はない。一方で、当時のネアンデルタール人の遺体には、槍で突かれたと思われる穴が見られる。なお、槍は石製のものも発明された
槍の活用
ルヴァロア技法で作った剝片は石槍の先につける尖頭器などとしても用いられた
他にも、骨や角を加工して作られた槍先などは石刃技法による石器によって作られた
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上図:ルヴァロア技法で作られた尖頭器、槍先
約6万7000年前:ルソン島にホモ・ルゾネンシスが出現。この種はデニソワ人とも
約6万年前:現代の多くの人類に繋がるホモ・サピエンスがアフリカの外へと進出。以後、後期旧石器時代とよばれる。この時代には石刃技法を用いて作られた石刃と骨角器が大量に作られた
ホモ・サピエンスの進化
この頃の人々はすでに領土意識や文化圏を形成していたか
また、この時代からホモ・サピエンスの定住性は増加
部族社会の戦争
時期は不明だが、部族社会が成立すると、氏族間の紛争も日常的となる
部族は移動を行っていくが、内部の分裂、人口圧力、土地の貧困、喪失、自然災害と自然圧力などが部族移動の原因か。奇襲などは人口密度の上昇とともに減少していく
財産や馬(かなり後のことだが)の所有、戦勝の栄誉による評価や地位の獲得が戦争の原因となることもあった
一般的に、名声を求める有力者は祝宴を開くが、そのための財産を蓄積するために戦争も発生したか
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上図:ホモ・サピエンスの進出
約6万年前:ホモ・フロレシエンシスがこの時期までジャワ島に生存。彼らはホモ・エレクトゥスから進化した小型の人類であった
約5万年前:ネアンデルタール人が胸を刺されて殺された証拠
約5万年前:南アフリカのクラシエリバーマウスにて、石刃技法が円盤技法に戻る
約4万9000年前:東アフリカにて石刃技法が定着し始める。他にも、ハンマーで台石においた石核を叩く両極技法で微細な剝片を大量生産している
約4万7000年前:ホモ・サピエンスがオーストラリアに進出。彼らは既に筏かボートのようなものを製作していたか。オーストラリアの先住民はアボリジニとして一括されるようになるが、3万年前のオーストラリア大陸には2つのタイプのホモ・サピエンスが生活していたという(分化したのか、異なる移住者であったのかは不明)
約4万7000年前:中近東で後期旧石器文化が始まる
約4万5000年前:ヨーロッパにクロマニョン人が出現。後期旧石器文化を創出
クロマニョン人と戦争
先住のネアンデルタール人と緊張関係が生じたとも
クロマニョン人は新たな武器として、槍投げ器を発明した。これは、槍の根元をひっかけ、槍を遠くに飛ばす棒で、飛距離は腕だけで投げる場合の2~3倍となった
槍の先端には先をとがらせた石や骨を用い、槍投げ器は、木や他にもシカやトナカイの骨で作られた
なお、クロマニョン人は移動時には野外テントを使用していた
約4万4000年前:ウクライナのモロドヴァⅠ遺跡にてマンモスの骨で巨大住居が作られる
約4万2000年前:ネアンデルタール人が後期旧石器文化の石器を製作(シャテルペロン文化)。ホモ・サピエンスの石器製作技術を真似たか
約4万年前:南アフリカのホモ・サピエンスが獰猛な動物を狩猟し、罠を仕掛けて鳥を捕るようになる
約4万年前:南レヴァントで細石器(細石刃を用いる石器)の使用が始まる(アハマリアン伝統)。極小石器で木や骨の柄にはめこまれ、槍・鎌の刃などに使用された(後には矢としても用いている)
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上図:細石刃
約4万年前:中東からヨーロッパに狩猟採集民が進出
約4万年前:日本列島にホモ・サピエンスが本格的に進出
約4万年前:アジアで石刃技法が出現。一方で、中国北部や日本南部では石刃ではなく、縦長剝片を生産。中国南部から東南アジア、オーストラリアでは礫器と剝片だけを用いた
道具の違いの背景
東アジア北部は環境変化が激しく、馬やロバなどを集中的に狩猟したが、東南アジアには動物が少なく、道具を発展させる必要はなかったためと考えられている
一方で、オーストラリアは狩猟の比重が大きいのに、石器は進歩しなかった
約3万7000年前:フランスのショーヴェ洞窟に洞穴絵画が残される
約3万5000年前:中国に新人の周口店上洞人が出現(~約1万2000年前頃)
約3万4000年前:タスマニアにホモ・サピエンスが進出
約3万年前:ソロモン諸島までの地域に、ホモ・サピエンスが進出
約3万年前:ネアンデルタール人が消滅。スペインのザファラヤから最後の化石が発見される。滅亡の原因には諸説あり
ネアンデルタール人絶滅の要因
ホモ・サピエンスの遺伝子のほうが生殖に関しては優秀であったとする説がある
一方で、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を駆逐したとする説もあり(混血により吸収されたとも)、この場合はホモ・サピエンスの地域集団による結束が戦争での優位をもたらしたか
他にも、気候変動や疫病の流行などが打撃となったとする説もある
ともあれ、ネアンデルタール人が絶滅したことは間違いなく、最後は食糧不足でカニバリズムが起こった可能性もある
ネアンデルタール人の行く末
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと交雑し、現代人の祖先の一つとなっている
約2万8000年前:ヨーロッパでオーリニャック文化がグラヴェット文化に変遷。集団の交代が伴ったと考えられている
約2万6500年前:メキシコのチキウイテ洞窟に人類の痕跡か
約2万5000年前:イタリアに新人のグリマルディ人が出現
約2万2000年前:この頃の遺跡であるロシアのスンギールに、帽子や上着、ズボンや靴の切れ端が残される
約2万年前:最終氷期が最寒冷期を迎える
約2万年前:レヴァント地方でケバラン伝統が始まる。この頃には夏冬で異なるキャンプ地を用いていた可能性がある
約1万9000年前:中国黒竜江省で集団の交代が発生。現代の東アジアを構成する集団が到来したか
約1万8500年前:スペインのアルタミラで洞穴絵画が描かれる
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上図:アルタミラの洞穴絵画(複製)
約1万8500年前:人類が南アメリカ大陸南端にまで到達
約1万8000年前:ヨーロッパにてクロマニョン人のマグダレニアン文化(マドレーヌ文化)が成立(~約1万1000年前)。グラヴェット文化の人々は既に気候の変化で南ヨーロッパや中央ユーラシアに移動しており、マグダレニアン文化の人々はイベリア半島から南西フランスなどに進出した
約1万8000年前:以降、ヨーロッパにおいて狩猟対象とされたトナカイが減少
約1万7000年前:ヨーロッパでは生態系が不安定な状態に
約1万6000年前:この時期のアメリカにホモ・サピエンスが進出したとも。当時、シベリアとアメリカ大陸はベーリンジアという大地で陸続きであった
約1万5500年前:フランスのラスコーに洞穴絵画が残される
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上図:ラスコーの洞穴絵画。洞窟は狩猟の疑似体験や呪術・儀式の場であったともされ、洞穴絵画は狩猟の成功を祈ったか
約1万5000年前:温暖化が進行し、ヨーロッパではマンモスやバイソン、トナカイなどの動物がツンドラの後退に伴い北部へ移動
約1万5000年前:東南アジアの熱帯雨林でタロイモやヤムイモなどの根菜農業が始まったとも(最古の農業か)。農耕民は未耕作地へ広がり、その地域の狩猟採集民を押し出した可能性も考えられる(農耕を模倣した狩猟採集民もいただろう)。なお、農耕普及当初は、まだ集落が短い期間で移動していたために要塞がそこまで築かれなかったか
約1万5000年前:中国北部で細石器が出現
約1万5000年前:この頃までデニソワ人が生存していた可能性がある。デニソワ人は以前にメラネシア人の祖先と少なくとも2度交雑した
約1万4000年前:最後の氷河期が終わり、中石器時代が始まる
約1万4000年前:弓矢が出現。発明の場所は不明。弓矢の射程は投げ槍の2倍であった。弓矢は狭い場所でも隠れて狙えることが長所で、外しても二の矢、三の矢を射ることができる。これにより、ライチョウなどの鳥類を捕獲することが可能になった
弓矢発明の影響
クニャックで発見された壁画には、人間とも思われるものが槍もしくは矢で射抜かれているようにも思われる絵が残されている。洞穴絵画の中には集団で矢を射合う絵もある
また、この時期には指揮官のもとに統率された軍隊が編制された
他にも壁画には、当時の戦士が革製ないし樹皮製の防具を身に着けていた可能性が示唆されている。狩猟採集民の装備としては、棍棒、木製の盾や皮革の甲冑、猪牙の兜などが考えられている
弓矢の出現によって、女性が矢を射って戦うことも。他にも、女性は使用された矢や槍を拾って再供給するなどの支援も行ったか
儀式的な戦争
部族間では、儀式的な戦争が行われていたかもしれない。オーストラリア北部準州のアーネムランドのアボリジニのムルンギンの狩猟採集民の間で行われた儀式的な戦争は以下の通りである
最初は罵り合いから始まり、やがて矢を避けながら、2組の戦士らが控え目に槍を投げ合う。ここに儀式的な踊りも行われていたという。血が流れたり、怒りが収まったように見えれば戦いは終結した
しかし、更にエスカレートすると安全な距離から戦い始める(戦いが当初から意図されたものもあった)。一方で、敵を待ち伏せし、側面や背後を奇襲するということもありえた
とはいえ、この時代の戦争の一般的なものは、夜間(明け方)に集落を急襲するものであった。こうした戦争では、戦時中の色をペインティングする人々もおり、儀礼的でシャーマニズムのような行為で戦闘や急襲は終わる
他の事例でも、踊りや歌、音楽、嘲り、自慢と空威張りなどが形式的な戦いで行われた
また、騙し討ちのための宴を開くこともあった
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上図:スペインで発見された壁画。弓を携えた人間同士の戦争の様子が描かれている
約1万4000年前:骨銛が作られ、漁撈が盛んになる
約1万4000年前:バルカン半島などからヨーロッパに人々が移動
約1万4000年前:レヴァント地方南部にアフリカ北部から多くの人口が流入したか
約1万4000年前:西アジアのレヴァント地方にて、洞窟の中に竪穴住居が作られ始める。この頃には社会が複雑化したか。また、この時期に開花した芸術様式は近接する集団間の社会関係を円滑にするためのものとする説があり、場合によっては集団間の戦争があったのかもしれない。他にも、この頃には狩猟用の動物として、イヌが家畜化されていた
約1万4000年前:ヌビア(エジプトのアスワンからスーダンのハルツームまでの地域)のジェベル・サハバにて争いが発生。食料資源の奪い合いや、より良い環境をもつ居住地を求めての争いがあったか。多くの遺体に石鏃が突き刺さっていた
約1万3500年前:ヨーロッパの生態系が安定。狩猟対象はシカやイノシシ、野ウサギや野鳥などとなり、槍の穂先はより精巧となり、投槍器も発明される。なお、この時代のフランスでは400人近くの人々が住む集落地が発見されている(大抵は10家族ほどの集落が通常か)
約1万3000年前:ホモ・サピエンスがアメリカに本格的に進出
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上図:アメリカ大陸へのホモ・サピエンスの拡大
約1万3000年前:寒冷期が始まる(ヤンガードリアス期)。この頃に西アジアで農耕が模索されたか。一方で、レヴァント地方の人々は再び遊牧生活に戻ったとも
約1万2500年前:レヴァント地方でナトゥーフ文化が始まる。この頃には鎌が発明される
約1万2000年前:東アジアにて、マンモスやナウマンゾウ、オオツノシカなどの大型動物が消滅。代わってイノシシやイヌ、シカやウサギなどの小型動物が繁栄
約1万2000年前:中国の鵝毛口遺跡(山西省)にて農耕が始まったか
約1万1700年前:完新世が始まる。温暖な時代となり、乾燥化などもあり、大型哺乳動物は小型化ないし絶滅した。マンモスは人類の過度な狩猟によって絶滅したとも
約1万1500年前:レヴァント地方で定住生活が定着し始める
約1万1000年前:西アジアで農耕が始まる(本格的な新石器時代の始まり)。発祥の場所は、ヨルダン渓谷からユーフラテス川中流域にかけての地域のどこかと考えられている。なお、新石器時代とは近年、農耕・牧畜の開始によって始まるとされている
約1万1000年前:西アジア、ヨーロッパで磨製石器(砂や砥石で磨いた石器)が作られるようになる
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上図:磨製石器の一種である磨製石斧。木などにくくりつけて用いたか
約1万1000年前:ホモ・サピエンスがチベット高原に進出
前8500年頃:北アフリカで、食用あるいは毛や皮革を得るために動物の家畜化が始められたか(牧畜の始まり)。こうした家畜を生業として生まれる遊牧民は農耕民の土地へ襲撃を繰り返した。彼らは奇襲攻撃を基本とし、農耕民の家畜を連れ去っていった。また、牧草地を巡る争いもあったであろう
前8000年頃:イラン高原にてヤギが食用あるいは毛、皮革を得るために家畜化される
前8000年頃:西アジアから西ヨーロッパ、北アフリカからエーゲ海にて細石器が普及。細石器の使用は哺乳類中心の狩猟から、小動物の狩猟などへの転換に繋がる
前7500年頃:温暖化により、氷河が北方へ後退。その地に狩猟採集民が進出
前7500年頃:ケニアにて骨製の銛が発展
前4000年頃:ホモ・サピエンスがカリブ海地域に進出
前1200年頃:ホモ・サピエンスがポリネシアに進出を開始
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上図:太平洋地域におけるホモ・サピエンスの拡大
800年頃:ホモ・サピエンスがイースター島やハワイにまで進出
1300年頃:ホモ・サピエンスがニュージーランドにまで到達したか