アンドリュー・ワイルズの言葉
まず私は、フェルマーの数学の知識は私とそれほど違わないだろうと考えた。
純粋数学者というのは、手強い問題が、そう、未解決の問題が大好きなのです。数学をやっているとすばらしい感覚を味わいます。はじめのうちは何がなんだかわからなくて、取りつく島もありません。ところがいざ問題が解けてみると、なんて美しいのだろうと信じられない気持ちになる。いっさいがエレガントに調和しているのです。
最初の真っ暗な部屋に入ると、そこは暗いのです。真っ暗な部屋です。それでも家具にぶつかりながら手探りしているうちに、少しずつ家具の配置がわかってきます。そうして半年ほど経ったころ、電灯のスイッチが見つかるのです。電灯をつけると、突然に部屋のようすがわかる。自分がそれまでにどんな場所にいたかがはっきりとわかるのです。そうなったら次の部屋に移って、また半年を闇の中で過ごします。
大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。新しいアイデアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。
(証明の内容は驚異的なもので、数論の様々な分野から当時最新の論文結果を大量に組み込まれた証明内容でした。これを評して曰く、)
「数学者というものは各人ばらばらの目標を立てて研究して来たように見えて、実は全員がフェルマー予想に取り組んでいたのだ」
引用終わり
人生をどう進めるか。ヒントがあるかもしれない
これまでフェルマーの最終定理に挑んで、ついには解く事が出来なかった数多の人達。人生の無駄だったのか?
解く事が出来なかった者も、解けたという結果を得たものも、その結果すら無意味なのかもしれない。
しかしその過程は素晴らしいものだと確信した。彼の言葉やそこに登場する人物の話は、そう思わせるものだった。