見出し画像

ジョセフ・ヒース“The Machinery of Government(行政機構)”要約:第1章:行政を真面目に考える_1/3

ジョセフ・ヒース“The Machinery of Government(行政機構)”要約:1章:行政を真面目に考える

1章:行政を真面目に考える
1.1 機構に内部潜入してみる
1.2 裁量権の逸脱
1.3 行政権力
1.4 常設の〔立法・司法・軍以外の〕官公庁
1.5 政治的中立性
1.6 リベラリズム(自由主義)か民主主義か?
1.7 結論

1章:行政を真面目に考える

1.1 機構に内部潜入してみる

・トマス・ホッブズは、国家を人工的な創造物として説明したことで有名である。彼は国家を巨大な人のようなものに例えた。「人が自然を模倣して創造したもの、これこそ偉大なるリヴァイアサンである。コモンウェルスあるいは国家(ラテン語ではシヴィタス)と呼ばれているものだ。これはつまるところ人造人間である」【1】。
・主権国家(sovereign)は、「全身への活力と運動」の源泉となる本尊(soul)に相当するとホッブズは主張した。
・適切な命令が行われれば、報酬と罰のシステムによって「個別の関節や器官は、自らの義務を遂行するよう機能する」。ホッブズはこのシステムを、人体の四肢を制御する神経と腱に例えている。
・こうして機能することに不思議なことなど何もない、「心とは何か、バネではないか。神経は多くの糸に過ぎず、関節は多くの歯車にすぎない、これらよって、熟練工の意図のように全身は機能している」とホッブズは主張している。
〔リヴァイアサンの既訳はあまりよろしくない翻訳が多いように思われる〕

・ホッブズのこの「国家は自然ではなく人工的なものである」という国家像によって、西洋の伝統的な哲学への決定的な決別を示した。
・〔リヴァイアサンは「森羅万象は神によって意味・存在を与えられている」との思想を持つスコラ派を主な反論対象に執筆されている。〕
・ホッブスのこの“description(記述)”が強烈な印象を与えたのは、伝統的な哲学に対してだけではない。リヴァイアサン発表後、思想家達は、「主権は、君主ではなくて、民主的に選ばれた“assembly(議会)”にあると考えることに安住することになった。
・〔ヒースのことなので政治哲学者が「民主主義の最善の意思決定装置の当然視化」や「議会による国家運営の当前視化」を皮肉っていると思われる。〕
・さらに、国家をメカニズムは、主権者の意志を実行する機械となることが唯一の目的であるとのイメージが永続的なものとなった。
・事実、19世紀に入って国家が実際に複雑な官僚制度で機能するようになると、ホッブズの、「国家はメカニズムであり、個々の役人は巨大な機械の歯車である」とのイメージはより広まることになった。

・時を経て、このイメージが一般化し、政治哲学者達は、国家が実際にどのように機能しているかについて、理想化されたもの、あるいはせいぜい少し歪みがあるだけのものとして、認識するのが常となった。
・歯車(役人)は運動を伝達するが、それ自体は動機を持たないのだ、と。
・しかし、歯車(官僚)は人なので、どんなに監督下・コントロール下にあっても、自発性・独立性・不服従性を備えている。
・20世紀入って、国家が急速に発展し、福祉国家が台頭するにあたって、「選挙で選ばれた議員は、国家の官僚制度をどの程度コントロールできるのか?」という問題が、学者の関心の的となり、この問題について洗練された実証的文献が発達した。〔ウェーバー等のことと思われる〕。
・しかし残念ながら、民主主義・主権・司法権力について多くのことを語ってきた「規範的な政治理論家」は、この問題にほとんど関心を持たなかった。
・ところが、実際の公共政策の多くは、選挙で選ばれた政治家ではなく、官僚によって行われている。
・この官僚がほとんどの公共政策を行っていることは、我々の政治制度の特徴としてある程度は周知の事実ではあるが、この事実の“normative significance(規範的な重要性)”については、ほとんど考察されていない。

1.1 機械の内部

国家についての哲学的考察の前奏曲として、“machinery of government(政府の機械性)”をもう少し注意深く調べて、歯車がどのようなことをしてきたのかを確認することは理にかなっている。
・以下の3つの物語は、「国家の官僚制度が実際どのように機能しているのか」について、レアケースでもなければ、代表的なものではないだろう。それでも、「複雑な“policy questions(政策課題)”がどのように決定されているのか」を示している。
・まずは、軍から始めよう。
・軍は少なくとも理論上は、命令に従うという原則に最も忠実な行政機関である。

1.1.1. 軍

戦闘戦車「M1エイブラハム」の名前の由来となってことで、有名なアメリカ陸軍のクレイトン・エイブラハム将軍の最も重要な軍事的遺産は、彼が監督し、1973年に採用された、アメリカ陸軍の官僚的な再編成、いわゆる“Total Force structure(総力戦体制)”である。
・このエイブラハムの再編成は、ベトナム戦争で米軍が受けた“humiliation(屈辱・恥)”への包括的な再編成の一環として行われた。
・ベトナム戦争は、アメリカ社会にも激しい対立を引き起こした。対立の原因となったのは、ほとんどが“draft(兵士の徴募)”――特に“conscription(徴兵制)”に関するものであった。
・「傷に塩を塗る」ことになっていたのが、帰還兵への敵意に満ちたアメリカ社会の応対だった。
・軍服を着ていた帰還兵達は、公共空間で、無言の嫌味や、口頭の罵倒に遭遇することになった。
・ペンタゴンの職員は、戦争に抗議する市民からの「赤ん坊殺し!」「戦犯」との罵倒に耐えて出勤することになった。
・このことで、兵士や軍職員の士気は著しく低下した。

・この社会との軋轢によって、政府は「徴兵制は最悪のアイデアだ」という明白な結論を導き出した。
・ニクソンは、徴兵制草案の継続を見送ったので、徴兵制は1973年に法的に失効した。
・「徴兵制は社会を分裂させる」との考えから政府は、全兵士の志願制への移行を公的に約束することになった。
・しかし、軍内部には、「軍と社会との軋轢は、不人気な徴兵制が原因ではない」との考えも存在していた。
・軍(の一部)は、「社会分裂を招いたのは、文民指導者が、一般市民の支持が得られない戦争に米軍を投入したことである」と考えていたのである。
・軍(の一部)は、ベトナム戦争に対して市民の支持が得られなかったのは、大統領の1964年のトンキン湾決議に始まる、大統領が曖昧で斬新的な戦力の増強したことであり、議会が正式に宣戦布告しなかったことにある、と考えていた。

・エイブラハムは、この信念を共有していた軍(の一部)の一員であった。
・エイブラハムがまず公約したのが、アメリカ国民の広範な支持を確保することなく、議員が大規模な軍事作戦を行うことは二度とあってはならない、ということだった。
・エイブラハムは、「総志願制に約束履行するには、大規模な組織再編が必要である」との構想の元で、当時の国防長官ジェームズ・シュレジンジャーとの間に、いわゆる“Golden Handshake agreement(ゴールデン・ハンドシェイク協定)”を締結した。
・エイブラハムは、既存の人的資源を維持したまま、陸軍の師団数を13から16に増やす合意を行った。
・観察者から見れば、この合意は既存のモデルでは達成不可能に見えた。多くの地位に当てる活動的な業務スタッフが不足するからだ。
・エイブラハムは、軍の伝統的な支援機能をほとんど予備役に回すことでこれを達成した。
・エイブラハムは、総戦力を増やさずに、予備役に依存することで師団数を増やすことを達成した。この新たなる総力戦体制への再編成が完了した後、危機が勃発した場合は、一番最初に予備役を招集する必要となった。

・エイブラハムの構想の主目的は、予備役兵の役割を高めることにあった。
・軍のほぼ全ての輸送インフラを予備役に担わせることで、予備役を招集せずに、軍を展開できなくしたのである。
・このエイブラハムの構想と再編成の結果、文民指導者は、広範な国民の支持を最初に得なければ、大規模な軍事行動を起こすことが困難になった。

・エイブラハムの再編成によって、大規模な危機の初期においても、陸軍は予備役兵無しで機能できなくなり、大統領の軍事力行使の柔軟性も根本的に制限されることになった。
・一時的な予備役の導入は大統領の承認で可能となっていたが、予備役は州兵としても編成されていたので、議会や知事との折衝が必要となっており、大統領権限を著しく制限することになった。
・さらに180日以上に渡って、軍を戦域に投入するには、議会の承認が必要となっていた。予備役制度の性質上、州兵や陸軍・空軍の予備役兵は、現役兵士より高齢となっており、これを導入することは、全国の家庭から突如として夫や父親を奪うことを意味していた。
・リンドン・ジョンソンは、ベトナム戦争期に予備役兵の大規模な動員を避けたことで、国論が割れることを避けたわけだが、エイブラハムの措置はこれを逆手に取ったわけである。

・シュレジンジャーが後に以下のように述べている。
・「エイブラハムは軍の文民統制の原理に強くコミットしていた。同時に、エイブラハムは、ジョンソンによる予備役兵の招集の拒否が、ベトナム戦争における最悪の決定の一つであると信じていた」
・シュレジンジャー曰く「エイブラハムは、文民が適切に行動できるように、インセンティブを修正した」。
・あるいは別の専門家によるなら「エイブラハムは、大統領の軍事力の行使に対して、憲法違反の鉄条網を敷いた」ということになる。

1.1.2.交通

・1897年、カナダ政府は、ブリティッシュコロンビア州南部の炭田の経済開発を促進するため、カナダ太平洋鉄道(CPR)との間に、カナダ南部アルバータ州レスブリッジから、ブリティッシュコロンビア州ネルソンまでの鉄道を建設する契約を結んだ。
・政府は、CPRに、37万エーカーの土地を割譲し、多額の現金補助金を支給した。その見返りとして、CPRは、平野部牧草地で栽培された穀物を、CPRの鉄道で主要輸出港に輸送する際の、輸送料金の引き下げと以降の料金の維持を含む、一連の輸送料金の統制処置に同意した。
・CPRに取って〔後に〕運の悪さとして作用するのが、こういった料金契約は、19世紀の慣行で、名目ドル建てとなっていたことだった。
・「いずれ鉄道料金が下がるだろう」との期待もあったが、当時のカナダは金本位制だったので、大幅なインフレの可能性は考慮されていなかった。

・そして、実際に、この料金設定は、以後50年にかけて“Crow Rate(クロウ・レート)”と呼ばれ、鉄道会社(CPR)に大きな負担をかけることなく、鉄道会社による独占的な料金設定を慣行・抑制し、〔政府の〕期待通りの効果を十全に発揮した。
・1940年後半に、戦時中の賃金・物価統制が解除されたことで、急激な物価上昇が起こり、これはCPRに財政難をもたらすことになった。
・穀物輸送による損失は、1961年には年間数百万ドルと推定されるようになった。
・CPRは、穀物輸送で利益を上げることができなくなったので、当然の反応として、穀物輸送インフラへの新規投資(新しい車両の導入)や管理維持(穀物貯蔵を繋ぐ複雑な支線編のメンテナンス作業)をほとんど行わなくなった。

・これは、カナダ政府を苦境に陥れた。“Crow Rate(クロウ・レート)”は、アルバータ州とサスカチュワン州が連邦に加盟する前に交渉締結されたものだったので、政府が“Crow Rate(クロウ・レート)”を維持することが、両州が連邦に加盟する条件の一つと見なされており、地域的な憲法のようなものとなっていた。
・それでいて、この協定の維持はもはや困難となっていた。穀物輸送が完全にもうからないものにしているだけでなく、価格に歪みをもたらすことで、カナダの西側の諸州の経済にも持続的にネガティブな影響を与えることになっていた。
・これは〔結果的に安価なクロウ・レートを経由することで〕穀物輸出に多額の補助金を出すことになってしまっており、カナダの西側の諸州では、付加価値の高い食品加工業や家畜生産を阻害することなり、クロウ・レートでの輸送補助金の対象外だった大豆やキャノーラ(キャノーラ油を作る菜種)といった新規作物の多様化も制限されることになっていた。
・政府と鉄道会社はこのクロウ・レート協定に縛られており、見直しを表明した政治家は有権者からの投票で罰せられることになっていた。
・結果、政府はクロウ・レートを維持するために、鉄道会社への補助金を継続し、さらに支線のメンテナンスを引き付き、新車両も購入し、鉄道経営に深く関与するようになっていった。

・1970年代にインフレが2桁に達したことで、運輸省と財務省の官僚達は、この協定を維持できないことをハッキリ自覚するようになった。
・にもかかわらず、カナダの小選挙区制と連邦制による強い地方分権に要素によって、政治的には解決が不可能となっていた。
・1980年の総選挙で、ピエール・トルドー〔現カナダ首相ジャスティン・トルドーの父親〕率いるカナダ自由党は勝利を収め、政権に復帰するが、この時、自由党は、ケベックで圧倒的な勝利を収め、カナダ西部の州ではほとんど議席を獲得せず政権を獲得したので、クロウ・レートの見直しの着手が可能となった。
・トルドーによって運輸大臣に任命された“Jean-Luc Pépinジャン・リュック・ペパン”は見直しに着手することになり、運輸省の官僚は10年以上前から利害関係者との調整を行って用意していた「見直しプラン」を大臣に提出した。

・残念なことに、この改革の取り組みは、1982-83年には深刻な挫折に見舞われた。
・クロウ・レートの見直しによって農家に直接補助金が支払われることになっており、西部の穀物価格を定価させ、ケベック州の農家が西部農家と競争にさらされることが示唆されたからである。
・ケベック州の農家は改革に反対するようになり、ケベックの強い支持で成立していた自由党政権は、ペパンが提出した改革法案を却下した。
・当時の運輸省副大臣〔日本では事務次官〕、アーサー・クローガー(副大臣在任期間1980-83年)は以下のように回顧している。

・「運輸省官僚にとっても、大臣にとっても、この内閣の拒否は、ボディブローのようなものでした。政府の役人を志す者に必須の“objectivity(客観性)”と“political neutrality(政治的中立性)”の資質は、公共政策の決定における無関心と混同するべきではないのです。特に、私達が落胆したのが、閣議決定の原動力となった、ケベックの農民の不満が、後年になって根拠がないのが明らかになったことでした。私達の認識では、この内閣の決定は『政治家が最善策を知っているにもかからず、最悪を選択した』のです」〔若干の意訳〕

・官僚達は、「農家への直接の補助金の代わりに、鉄道に移行補助金を支払う」修正法案でもってこの内閣の却下に対応した。
・これは次善策であったが、政治的に実現可能な唯一の合意であった。
・1983年に“Western Grain Transportation Act(西部穀物輸送法)”が可決され、クロウ・レートは廃止された。
・以後、大豆は、カナダで第三位の農作物になり、カナダで最も栽培された穀物は、キャノーラとなった。

1.1.3 規制

・経済発展において、〔ある国が他国より優れているかの〕ベンチマークの1つが、国家が自国内で、食品や医薬品の販売に対して、どの程度まで規制制限の行使と、管理を行えているかにある。
・特に医薬品では、全ての先進国が高度な審査プロセスを備えている。
・これは特に新薬においてそうなっており、新薬は発売前に臨床試験を行い、承認を得る必要がある。
・こういった〔各国で導入されている〕承認プロセスは、アメリカの食料医薬品局(FDA)によって開発されたものである。
・FDAは“gatekeeping authority(ゲートキーピング権限)”による管理モデルを開発した。〔ゲートキーピングは門番のことであり。複数の門番・段階の認証を通貨しないと新薬が承認されないシステムのこと〕
。FDAは、新薬承認には「フェーズⅠ」「フェーズⅡ」「フェーズⅢ」のような複数の審査段階を通過するモデルを設定した。
・過去20年において、このFDAの規制権限を弱めようとする様々な試みがあったが、FDAは以前として、最も強力な規制機関であり、組織内に科学専門家を抱え、世界で最も厳しい審査基準を備えている。
・ダニエル・カーペンターが指摘するように、これはかなり、不可思議で逆説的な現象である。
・アメリカは政府の規制が「弱い国」と思われているにも関わらず、他の西洋諸国と比較しても医薬品への政府の規制は、広範囲に及び、最も厳しいものとなっている。
・なぜ、FDAは、20世紀ほとんどの期間において、医薬品の開発と販売に対して、“formal power(公的な権限)”と“informal discretion(非公式な裁量権)”を行使してきたのだろうか?

・この問いに対する答えは複雑だが、中心的な特徴は、FDAは20世紀を通して“mandate(マンデート:委任権限)”の再定義と拡大を行ってきており、これに関係する権力にあった。
・例えば、食品への不純物混入は、初期の資本主義では長期に渡って問題となっており、最初期のFDAの介入は、これの規制を目的としていた。
・1906年の“Food and Drugs Act(食品医薬品法)”は、この食品への規制を医薬品にまで拡大するものであった。
・しかし、この法律にはFDAの規制権限は付与されていないかったので、「特許薬」市場は無放置のままに大規模に拡大し(特許薬は19世紀の数百種類から20世紀初頭には数千種類にまでなった)。
・中毒事件が頻発し(大規模な死亡者も出ている)、大々的に報道されたことで、議会はゲートキーピング権限を持つ機関の設立を迫られ、1938年の“Federal Food, Drug and Cosmetic Act(連邦食品・医薬品・化粧品法)”によって、FDAは正式に設立された。

・この法律は、FDAに特許志願した新薬に安全性を評価する権限を与えたが、医薬品の「有効性」や“therapeutic value(治療的価値)”を評価する権限を与えていない。
・FDAの権限拡大に、医薬品の製造業者は反対したが。当時は医師も反対している。
・医薬品の、臨床的有効性を判断する権限は、当時は医師に与えられており、患者への処方判断を、役人に左右されるのを嫌がったからである。
・しかしながら、この「医師による臨床的有効性の判断権限」は国家的には不適切な案件であった。
・カーペンターが指摘しているように「19世紀後半から20世紀前半に販売されていた特許医薬品は、アスピリン等の鎮痛薬を除けば、臨床的治癒力を持つことが示されていなかった」からだ

・これは、専門家への嫌悪感と相まって、“hucksterism(ハックスタリズム:もうけ本意主義)”と「消費者への搾取」を産み出していた。
・このような状況に、FDA内の多数の科学者が、FDAの権限を拡大しようと志向するようになったのは不思議でも何でもない。
・同時に、薬理学の出現と発展は、政府内の科学者の方が、医師よりも、臨床的有効性の判断を適切に行える、との状況をもたらした。
・医師は、“anecdotal evidence(逸話的証拠・裏付けの乏しい証拠)”を盲信したり、治療的価値のない薬について“testimonial(証言証拠)”を提供することで、悪名高い存在であった。
・唯一の解決策は、“control groups(統計的対照群)”を用いた離床試験を導入することで、「患者が自然治癒」する“background tendency(水面下の傾向)”を区別するにある、とFDAの官僚たちはハッキリと認識していたのである。

・よって、FDAは、戦後になって、単に有害物質を市場から締め出す以上の“mandate(マンデート:委任権限)”の拡大を開始した。
・FDAは、“mandate(マンデート:委任権限)”の拡大を求めるのに、以下の2つの論拠を持ち出ている。
・1つ目は、“FDA’s authority over labeling(安全性の表示の権限)”である。
・2つ目は、前述の「『安全性を評価する権限』には、前もっても薬の有効性の評価が必要である。故に前もっても臨床試験による安全調査が必要である」との論拠であって。
・2つ目が、より有力な論拠となった。
・〔面倒なので大胆に省略意訳〕

・この「安全性と有効性は手続き上は不可分である」と訴えと、既にFDAは安全性の証明には臨床試験を義務付けていた規定事実を元に、FDAは徐々に要求を拡大し、薬の製造業者は臨床的有効性の証明を提示することを強制することを可能としたのである。
・この証明権限が拡大したのは、NDA(新薬承認申請書)の様式の修正を重ねた結果であった。
・特に初期の化学療法薬剤は、「細胞を殺す」ことで効果を発揮するため、副作用が必然的に伴っており、抽象的に「安全である」とは言えない薬剤であった。
・故に、「有効性が副作用を上回る」ことで使用を正当化する必要があった。
・これは「安全性と有効性は手続き上は不可分である」との訴えに完全に適応しており、FDAが「様々な容量での毒性評価」を検査し、その結果を公表し、「有効性が副作用を上回る」決定を医師と患者に委ねる公的システムが想定されることになった。

・FDAは、効果を評価する公的権限を求めて様々なキャンペーンを行った。
・FDAは、1962年に“Kefauver-Harris Amendments(ケフォーバー=ハリス修正案)”によって、新薬の有効性を評価をする権限を得た。
・医師会や、製薬会社のロビー活動を跳ね除けて、FDAが権限を得ることができたのは、サリドマイドの薬害を受けてのことであった。
・アメリカでのサリドマイドの申請に対して、FDAの科学者フランシス・ケルシーは、広範な臨床試験を要求し、最初の承認申請を却下している。
・アメリカで承認が滞っている間、ヨーロッパ(特にドイツ)では、サリドマイドが重篤な薬害を引き起こすことになった。
・ケルシーは、ケネディ大統領から名誉市民勲章を授与され、主要な新聞や雑誌から讃えられ、国民的英雄となっている。

・FDAのこのサリドマイド等での道徳的権威の増大を、法的権限の拡大に利用しようとした。
・ケルシーは議会で証言し、修正案は議会で可決され、FDAは製薬会社に対して「新薬の有効性の証明」する権限だけでなく、“substantial discretion(実質的な裁量権)”もしくは「委任権限」を与えられた。
・修正案では、立法において、多くの重要な概念が未定義のままとなっていた。
・結果「アメリカの政治家達は、解釈と定義の権限をFDAに委ねた。このことで、アメリカの医薬品政策における重要な進展は、『制定法』ではなく、行政の規則制定と規制慣行からもたらされることが保証された」のである。

・「これらFDAの改正案は、危機の余波を受けて即席で仕立て上げられらた」と批評家によく批判されている。
・これは事実ではない。この法律改定案は、何年も前から準備されており、FDAはこれを制定するために、議会に積極に働きかけている(しかし失敗している)。

・ここで、重要なのが、FDAは前もって法案を作成しており、適切な時期(サリドマイドの大惨事が回避された時期)に、議会にこの法案を通過させるように強行に働きかけたことである。
・カーペンターが指摘しているように、この出来事は、戦後のアメリカの、法規制の発展における一般的な傾向を示している。
・ニューディール以降のアメリカの国家成長パターンは、何年も前に確立された有効な規制等の行政実務を、国家が後追いで、連邦の規則・法令として制定しエンコードしていったことにある。

1.2 裁量を超えて

・「アメリカでの徴兵制の廃止」「カナダでのクロウ・レートの廃止」「アメリカでのFDAの権限拡大」これらの話は、異なる管轄区域・異なる時期・異なる国家の部門の話であり、一見すると、共通点はほとんどないように見えるかもしれない。
・しかし、これらが示している共通点は、結果的に良き“decision(決定・裁決)”が行われたにも関わらず、従来の民主主義理論で示されている“decision(決定・裁決)”は行われていないことである。
・標準的な教科書にれば、民主主義社会では、国民が選挙で選んだ代表者を介して、主権と意思決定を行使する、これが“self-governing(自治)”である。
・つまり、国家の権力行使に関する主要な決定は、選挙で選ばええた代表者によって構成された「立法府」が行うこととされている。
・この教科書的な“theory of the state(国家についての理論)”に従えば、選挙で選ばれた議員(国会議員)は、権力の頂点に立ち、“policy(政策)”における全ての問題点を“decide(決定)”する責任を保持している。
・そして、こうして〔議員による〕“decision(決定・裁決)”は、役人に引き継がれる。役人は、“adopted(採用された)”政策を、ただ単純に“implement(施行)”するだけの存在とされている。

・むろん、“real world of democracy(実際の民主主義世界)”は、決してこう単純ではない。
・実務において、〔教科書的な民主主義国家理論の〕“basic organizational principle(基礎的な組織原理)”は、しばしば“violated(破られる・違反される)”ことは一般的に理解されている。
・しかし、このような“violated(破られる・違反される)は、大抵は、民主主義国家における組織の、“defect(欠陥・欠点・不具合)”もしくは“imperfection(不完全性・欠点・欠陥)”と見なされている。
・しかしながら、公共政策が具体的にどのように発展してきたのかについて、例えば、“public official(官僚)”や“civil servant(公務員)”に話を聞いてみると、このような“imperfection(不完全性・欠点・欠陥)”は例外というより、むしろ“rule(常習・一般的)”であるように思われる。
・さらにより重要なのが、〔教科書的な民主主義国家理論では〕、司法が、“countermajoritarian(反多数決主義的)”な制度として機能することで、“popular democracy(大衆民主主義)”の行き過ぎを抑制することに多く触れられているが、“civil servant(公務員)”もまた同様の役割を多く果たしている事実である。
・しかしながら、これは、公務員が日々の活動の中で享受している自主性の水準において最も謙虚である〔司法による監査ではなく、行政府の公務員が自主的に行っているということ〕。
・(結果、〔行政府の公務員が〕国家の行動の不足分となっているであろう、ある程度の一貫性・安定性・技術的専門知識・長期的なプランニングを補っている。)

・この自律性はいくつかの異なる形態がある。
・まず最初。エイブラハムによる陸軍の再編成が示しているように、“public official(官僚)”は、選出公務員からの命令をどのように実行するかについては、多くの裁量権を持っていることである。
・軍隊だと、具体的な作戦上の領域では、文民の指導者ではなく将校によって決定されている。(拠点工作・補給等)
・ただ、エイブラハムが行ったような、軍の大規模な再編成は、〔文民による〕トップの政策レベルの決定に大きな影響を及ぶす可能性があり、事実、トップの政策レベルで利用可能なら選択肢の範囲を劇的に制限してしまうことになっている。
・また、文民による軍の統制は今でも守られているが、過去数十年にかけて、軍による裁量権の拡大が一般的になっている。
・ジョンソン大統領が、ベトナムの地図を見ながら、爆撃対象を選択しているイメージは、様々な理由で多くの人を不快にさせた。
・このような作戦上の決定は、軍事専門家が行うべきである、との認識が高まっている。

・第二の特徴。“civil servant(公務員)”は“long game(ロング・ゲーム)”を行うことができる。
・カナダのクロウ・レートの引き下げの試みが明らかにしているように、公務員は、政治家と違い、何十年にも渡って問題に取り組み、状況が好転し、政府が賛同するまで待ってから、具体的な提案を行える立場にある。
・また、公務員は、市民社会の主要な関係者と長期的な関係を築き、研究と分析に資金を提供し、他の管轄区域の職員と研究・協力し、学術・技術的な専門知識を活用できる立場にある。
・政治家に比べて、公務員はよく組織されており、情報が豊富で、短期的な政治的圧力をあまり受けない。
・特に、公務員の行政部門には政治的中立の伝統がある。政権交代に伴う職員の交代がほとんどない管轄区域では特にそうなっている。

・第三の特徴。これは最も“diffuse(広範的)”で特徴づけるのが難しい特徴である。
・FDAを研究しているカーペンターは、これを“reputation and power(一般人が抱く評判・信用と権力)”という“twin notions(双子の概念)”を用いて説明しようとしている。
・FDAの以上ケースに最もよく示されているが、政府の“department(局)”“agenciy(機関)”は、問題解決の成功によって、純正の政治権力や、権威を入手が可能になっていることだ。
・一般市民の意識調査によるなら、アメリカ人は連邦政府の様々行政機関に対して、議員よりはるかに高いレベルを示すの一般的である(実際通常は、行政機関として議会は、全ての行政機関の中で最低の支持率を示している)。これはアメリカの立法制度の特殊事情とも関係しているが、一般的な現象の反映でもある。
・中央銀行総裁、“chief medical officer(医療部門の最高責任者)”、検事総長などの非選出公務員は、技術的な専門知識があるからというだけでなく、公務の中心的な義務である“public interest(公益)”に奉仕するするという義務を、選挙で選ばれた指導者よりも効果的に果たしていると見なされているため、しばしば非常に権威がある人物となっている。
・この権威によって、彼らは選挙で選ばれた役員(国会議員)への圧力や、より一般的なレベルだと、立法の所産[[outcome]]に影響を与える能力を保持している。

・言うまでもないが、「行政における裁量の問題」は長期に渡る議論が存在している。
・行政裁量の現象は新しいものではなく、近代国家において行政能力の発展とほぼ同時に生じたものである。
・例えば、イギリスでは19世紀初頭に、“legislator(立法者・国会議員)”は、様々な社会・経済的な問題を規制することに関心を持ち始めた時に、国会議員の立場から「俺の言った通りにやれ!」と言っても、概して、思うようにはならないことを即座に発見している。
・「建築基準」「鉄道の安全基準」「保険衛生問題」「大西洋横断航海での食料品の提供」「諸地域への地方警察の創設の働きかけ」といった問題に関して、議会が法律を可決しても、可決後には、個人・地方自自体・当時新興されていた株式会社であろうと、皆、議会の可決を無視したのである。
・国が、以上のような問題を規制しようとするなら、単に法律を通すだけでなく、その法律が実際に施行されるようにするための、行政能力が必要であることが明らかになったのである。

・しかしその後、イギリスの立法者達が効果的な行政能力を構築するようとする過程で、立法者達は“administrative officials(行政官達)”に、幅広い裁量権を与えていることにも気づいたのである。
・例えば、よく知られている“factory inspector(工場監督官)”は、今日の工場検査官の職務を超えた責務を負っていた。
・19世紀の工場監督官は、政府や議会と競技することなく、現場で多くの決定を下さなければならなかった。
・当時のイギリスの工場監督官は、規則や規制を策定し、準司法権を享受している。
・(また、企業経営者に向けて、技術的な助言や、経営の成功実例の情報伝達を行う、重要なリソースでもあった)

・多くのケースで、工場監督官が享受していたような裁量権は、法律に明記されていた。
・例えば、1832年の「コレラ予防法」である。
・〔予防法の具体的な記述が続くので翻訳割愛〕

・20世紀初頭に、中央銀行制度が制定された際にも、中央銀行制度を政治的な直接支配から切り離すために同様の決定がなされている。
・米国議会は、連邦準備制度理事会(FRB)に非常に広範な権限を与えた。
・FRBの理事会のメンバーは、大統領によって任命され、上院によって承認される。
・この任命プロセス以上に重要なのが、最高裁判事と同様に、政府からほぼ独立した立場で運営されていることだ。
・理事は、議員によって罷免されることのない14年間の任期を保持している。
・カナダ中央銀行総裁は、任期7年で政府による任命され、解任の規定は存在しない。
・カナダの財務大臣は、中央銀行に書面で指示を出す権限を保持しており、中央銀行はこれに従わねばならないが、この権限は一度も行使されたことがない。
・憲法上の“tradition(伝統)”に従うなら、カナダの中央銀行の独立性は、米国以上の“convention(慣習)”となっている〔成文化されていない〕が、これはある意味で、進化してきた“convention(慣習)”である。

・中央銀行の業務は、単なる技術的問題であり、故に民主政治における権限から取り除くことができると、よく考えられている。
・この見解に基づいて、「立法府は、中央銀行に対して基本的な政策目標を設定し、中央銀行はその目標を実現するために適切な手段を選択する「技術的な裁量」が付与されているだけである」と一般的に考えられている。
・しかし、これは明らかにそうではない。
・FRBは「最大雇用」と「安定物価」の2つの目標「デュアル・マンデート」が課せられているが、このことで、2つ目標のバランスの決定という、極めて政治的な任務が、理事会とFRB議長に委ねられている。
・カナダの中央銀行にも、同様にも複雑な任務が課せられている。
・カナダの中央銀行に課せられた任務とは「国家の経済生活を最大の利益化するために、信用と通貨を制御管理し、国家の通貨単位の対外的価値を管理・保護し、この影響力でもって、金融行動の範囲内で可能な限り、生産、貿易、価格、雇用の一般的水準の変動を和らげ、一般的なカナダの経済・金融の繁栄を促進する」というものだ。
・「国家における、経済活動を最大利益」を促進すべしとの差止命令のように、オープエンド〔定義が曖昧な〕言語が使用されていることで、中央銀行は明らかに、技術的裁量以上の権限が与えられていることが意図されている。

・中央銀行を、政治家の手から引き離す理論的根拠は、比較的単純なものだった。
・国家の金融制度を健全に運営するには、政治家が陥りやすいいくつかの誘惑に抗する必要がある。
・特に、金本位制を廃止して、不換紙幣を導入した国では、政治家が誘惑に、屈してしまうことが知られている。
・懸念されているのは、政治家が財政誓約を緩め、“easy money(イージー・マネー:一攫千金)”政策を選好し、インフレを招く政策を採用する傾向があることだ。
・中央銀行は、インフレを抑制するために高金利を維持する等、非常に不人気な決定を行わなければならない立場にあることが多いが、このことで、中央銀行が、ポピュリストの反発に抗するために、ある程度超然とした立場にあるべきだ、と考えるのは理にかなっている。
・金融制度を健全に運営は、長期的な利益に繋がっているかどうかで判断されねばならず、民主的な多数決が信頼できないとの認識に基づいて、この中央銀行という行政機関への、独立性という強い裁量制の付与に至り。これによって、民主的なコントロールの塩梅が調整されてきたのである。

・事実、この手の「特定の行政分野から、“keep politics out(政治の締め出し)”要求は、民主的正当性の原理に真っ向から反しているにもかからず、驚くほど長く続いてており、多くの場合で、一般的な要求である。
・福祉国家が20世紀になり発達するに従って、行政機関全体が、選挙で選ばれた公務員と、“arms-length(互いに対応な立場)”の関係になることがますます一般的になった。
・例えば、1981年に、アメリカ議会が、Consumer Product Safety Commission(消費者製品安全委員会)を設置した際には、この委員会が政治的干渉を受けない形で機能するために、“Department of Health, Education, and Welfare(健康・教育・福祉省)”内に部局を設置せずに、独立機関として設置することで、ある程度の自由裁量を保証している。
・委員会報告は、この決定を擁護して、以下の言葉で説明している。

・〔以下、委員会報告文章の引用〕
・「国民の安全の為にには、超党派の委員を任命することで、政治・経済的圧力を遮断する効果と持つ」等々。
・〔面倒なので翻訳割愛〕

・アメリカにおいて、この傾向は、1970年代に環境保護庁(EPA)と労働安全衛生庁(Occupational Safety and Health Administration)が設立されたことで頂点に達した。
・両局共に、非常に広範な権限を持って設立されている。
・アメリカの政治の機能実態を鑑みると、「“regulated interests(規制された利害関係者)”による“capture(捕獲)”から、規制機関を守る」為には、「政治家から規制機関を守る」こととイコールになっている。
・このような「規制期間への、独立性や広範な権限の付与」は、「民主的な説明責任を維持せねばならない」との要求に反している。
・そして、1970年代に入ってから、「議会は‘Go forth and do good(行って、良きこととをせよ)’と命じる以上の広範な権限を与えた、新しい官僚機構を創設することで、当地責任を放棄する段階にある」のような文言と共に、官僚機構への批判が登場するようになった。

・20世紀、特に1960年代から1970年代にかけての、公共部門におけるも一つの主張なトレンドは、“corporatization(企業化)”であった。
・国家の官僚組織の一部を分離化は、半独立の“corporations—state-owned enterprises (SOEs)〔国営民間企業〕”、あるいは、ウェストミンスターの用語では“crown corporation(非営利企業・国営会社)”と呼ばれている。
・これら企業は、政府によって任命された独立した取締役会を持っていた。
・例えば、“British General Post Office(英国郵政省)”は、19世紀から20世紀のほとんどの期間、政府の一部門であったが、1969年にその資産は、独立した法定法人に譲渡され、以来、政府から独立して営業している。
・同様に、戦後の欧米諸国の多くでは、航空会社、鉄道、船会社、炭鉱、発電会社、電気通信サービス、石油会社などを所有するようになった。
・これら多くは、政権(例えば閣僚レベル)に直接管理従属下にあった。
・特に悪名高い例だと、もとの西欧国家が、国営の航空会社を所有していたことだ。
・国家が、航空会社を運営するにあたって、路線、運賃、整備施設、新しい航空機の購入の決定等の主要な決定は、閣僚レベルで選挙で選ばれた役人によって行われていた。
・しかし、19070年代には、こうした行政判断を、政治的なコントロールから外そうとする動きが活性化した。
・標準的な救済策は、「法人化」であった。
・(SOEs)〔国営民間企業〕と各部門間の資産と負債の分割、選出公務員(議員)と経営者との関係を仲介する取締役会の創設、SOEによる設備投資の自己資本化、経済的効率性を経営目標とする(損益分岐点や収益性)の重視、そして最終的には国有企業として「社会的責任」義務を履行する契約が実行された。

・言うまでもなく、これら一連の改革は、公共部門の経営の自律性を飛躍的に高めた。
・こういった一連の改革は、“new public management新しい公共経営)”(NPM、ないしアメリカでは「政府の改革」と知られる改革運動)と呼ばれる改革運動の台頭によって、ハイビング・オフ(分離独立)プロセスが加速し、省庁の一部門から独立し自律性を持つ機関が誕生する以前から存在している。
・〔所謂、「新自由主義」による民営化プロセスが盛んになる前から、この動きは加速していたことをヒースは言いたいのではないかと思われる〕
・これら改革によって、「公務員の裁量権が拡大した」と表現するのは控えめな表現である。
・多くのケースで、一連の改革によって、公務員に特定の領域でイニシアティブを取らせ、政策を直接裁定する能力を付与されている。
・例えば、。SOEs(国営民間企業)の活動が1つまたは複数の政府部門に統合されていた旧体制下では、「企業」の予算と、大元の省庁とのの予算は統合されていた(営業損失は省庁の予算によって単純に補填されていた)。
・旧体制下において「国営企業」による資本への投資は、道路近接、警察などへの経常的な支出と並んで、公共支出プログラムの一部となっており、「国営企業」の営業黒字は、税金や社会保障費などと並んで、政府の収入の一部となっていた。
・〔旧体制下では、国営企業の終始は、全て政府の予算と統合されていたことが指摘されている〕
・よって、国営民間企業化よって、それら企業の予算が、省庁の一部門から分離されたことは、選挙選出公務員(政治家)の同意無しに、公共プロジェクトが実施されることが意味されていた。

・歴史に詳しい人なら、こういった民営化プロセスは、予算を最大化しようとする官僚の自己意志によってではなく、「公共の利益」により効果的に奉仕するように、国家によって新しい責任領域への幅広い対応して行われたことを知っているはずである。
・こういった一連の改革は、政治家の完全な認識と同意を得て実施された。
・NPMによる改革の主目的は、官僚の肥大化と予算の最大化を抑制しようとしたものであったが、それでも公務員の自律性を劇的に高めたのである。
・実際、イギリスのマーガレット・サッチャーは「鈍感」で「気難しい」公務員を厳しく取り締まりながら、「リスクテイク」と「イノベーション」を促進しようとしたが、これはかなり逆説的なものであった。

・以上様々な傾向の結果、民主主義国家の機能の有り様――少なくとも、規範的政治学の理論で表現されている有り様――実際の運営の有り様との間には、大きなギャップが生じている。
・このことは、「時代や目的が異なっているにもかかわらず、権力の表象は王政の呪縛下であり続けてきた」「政治的な志向や分析において、我々はまだ王の首を切り落としていない」とのミシェル・フーコーの主張を想起させる。
・しかしながら、行政モデルの階層化において、最良のシナリオとされている軍のような機関においてさえ、その機関の「組織図」は、非常に誤解を招くような図を提供していることが分かる。
・同じことは警察にも当てはめることができる(社会学の研究によるなら、街頭レベルでの警察の行動文化は、厳密には職務権限の一部でないにもかかわらず、「社会秩序」の維持に執着するなど、この文化は、様々な政策目標へのコミットメントが含まれていることが、かなり前に立証されている)。
・〔日本の事例だと、警察の街角での職務質問と任意同行は、職務権限から逸脱しており、警察官個人の強い裁量によって行われている。これは、警察官(公務員)(組織)の自発的動機なり裁量によって実行されていると社会学的観察では解釈できる。この社会学的観察は、通常の規範政治学では説明ができない、ことをヒースは言いたいではないかと思われる。〕
・実際、選挙で選ばれた役人(議員)は多くの点で欠陥があり、かなりの(certain)問題において、〔公務員〕は国家行政の下層での政策決定を欲している、想定するのは妥当である。

・残念ながら、“democratic self-governance(民主的自治)”という考え方は、現代の自由民主主義国家において、支配的な規範モデルであり続けている。
結果、民主国家内での実際の政策決定プロセスの多くは、「ウィンク―ウィンク、ナッジ・ナッジ」方式で行われ、組織内の誰もがこの意思決定の暗黙構造を理解しているにも関わらず、一切明らかにされていない有様となっている。
・〔「ウィンク―ウィンク、ナッジ・ナッジ」とは、おそらくだが、組織内の上位地位の人物が「ウィンク(暗黙の指示・了解)」を行い、そのウィンクを受けて下位の人物が「ナッジ(暗黙の了解を示し、間接的な効果を上げるような制度設計で指示を実行する)」〕つまり阿吽の呼吸の連鎖で忖度して責任の所在を曖昧のままに行動する、行政機構内の意思決定と実行プロセスのこと〕
・私個人の考えでは、このような行政の相対的自律性〔官僚が自主判断で裁量権を行使すること〕は、民主主義の原則にとって恥ずべきものではない。
・〔このような官僚の自主性が〕批判されるのは、ある種の誤解が蔓延しているだけであることを、本書を通して主張したいと思っている。
・私が望んでいるのは、〔官僚が自主的に行っている〕既存の取り決めは、どのように規範的に正当化されるべきかを示すことにある。正当化すれば、行政府内での意思決定の実際のプロセスを明確に、あるいは明示化することが可能となる。
・こうして明確・明示化することで、これまで以上に、官僚自身が、こういった「〔官僚が自主的に行っている〕既存の取り決め」に、これまで以上に批判的“self-reflection(内省)”が可能となるはずである。

1.3 行政権力

ここまで紹介してきた行政による〔自主的〕行動の例の多くは、単なる〔官僚の〕裁量権の行使として容易に分類できない。
・高いレベルでの行政の裁量は、〔具体的な〕法律によってが直接関与されている場合と、実際に効果をもたらす為ににはさらなる詳述が必要となっている抽象的な言葉で書かれている法律に基づいている場合がある。
・例えば、アメリカの公害防止法は、「合衆国議会は、ここに可能な限り発生源からの汚染の防止、又は削減させることを合衆国の国策であることを宣言する」と規定されている。
・この法律は、「防ぐ」「減らす」といった用語の解釈や意味だけでなく、「汚染」という用語の意味についてのなんら〔具体的に〕言及していない。
・結果、これら用語の解釈を定義し、特定の規則を公布する権限がEPA(環境保護庁)に委任されることになったのである。
・この曖昧な規定と、EPAへの委任は、2009年にオバマ大統領が議会の承認なしに、気候変動の緩和を目的として行動を取ることを許可するために、EPAが二酸化炭素を汚染物質に分類したことで、問題となっている。
・こういった〔立法府の許可を取らずに〕行政府だけの一方的処置主義は、法律のバグと指摘されることもあるがそうではなく、行政府が立法府によって付与された裁量権の行使の特徴なのだ。
・John Rohrは以下のように観察・指摘してきている。
・「このような行政の独立性は、かなりの程度まで、立法による意図の産物となっている。議会は法律によって行政機関を設立する際に、advisable(当を得た), appropriate(適切な), beneficial(有益な), competent(適格性をもって), detrimental(弊害をもたらす), expedient(便宜的手段でもって), equitable(公平な), fit(適合した), practicable(実用的な), proper(妥当な), reasonable(妥当な), reputable(信頼性をもって), safe(無難な), sufficient(足りうる), wholesome(有益な), and their opposites(そしてこれらの正反対の意味の形容詞や副詞)等々の、曖昧で抽象的な言葉を散りばめた上で、行政機関に裁量権を付与した結果、必然的に〔この曖昧な裁量権の付与から〕生じる帰結を確実に認識していたはずである」と。

・一方、FDAが段階的臨床試験制度を創設した場合や、あるいはカナダの公的機関がクロウ・レートの廃止の〔暗黙裡に〕基礎固めを行った場合、これらは単に、既存の法律の空白を埋め合わせたり、漠然とした条項を明確にしただけではなかったのである。
・これら場合において、公務員は、裁量権の行使以上のことを行っている。
・公務員らは、率先して、以後の立法批准の対象となるような一連の慣行や政策的立場を形成している。
・こういった、公務員が裁量権を超えて行動は、現行の公行政の特徴となっている。
・テリー・クーパーによって観察されてきたように、「立法案は、頻繁に行政手動で提出される」のである。
・このような広範が行政活動を捉えるために、私はユルゲン・ハーバーマスに倣いたい。
※48
・ハーバーマスは、「“行政権”の行使とは、裁量や政策立案だけでなく、政治プロセスへの影響力を含めて”公正要素”として解釈可能である」と述べている。
・すると問題となるのは、このような行政による権力の行使を、単に〔行政府による〕支配・優位の一形態、あるいは立法権の簒奪として考えずに、いかにして正当化されるのだろう、ということになる。

・この問いに答えるために必要なのは、本質的に“philosophy of the executive.(〔政府〕行政機関の哲学)”である。
・このフレーズは、国家権力を、立法・司法・行政の3つの部門に分ける古典的リベラルな考え方を想起させる。
理想・典型的な定式化に従うなら、この3つの部門の役割は以下となる。
・1.立法府の役割(task)は、「一般的な規則」を公布することである。
・2.司法の役割(role)は、立法府で定められた規則を、「解釈して適用する」ことである。
・3.行政府(executive)の仕事(job)は、立法府で定められた規則を「執行する」ことである。
・ウェーバー型官僚制度の見解を採用するなら、「領土内での合法的な武力行使を独占している国家部門は、厳密なまでの行政府の特権であり、他の2つの部門は、行政府の武力行使を合法化するための条件の規定しているに過ぎない」とされている。
・このような、リベラル的見解による権力の三権分立的の条件下では、「国家の強制力」は全ての場合において行政府が行使することになっている。
・警察、刑務所、軍隊は全て行政府に属しているだけに留まらず、ほとんどの国家職員が行政府に属していることになる。

・国家の大部分が行政府によって構成されていることを考えると、この「行政府」という政府部門が、理論化されていない現状には驚くばかりである。
・実際、1821年に、ヘーゲルの『権利の哲学』から、2010年のピエール・ローザンヴァロンの『民主的統治』に至るまで、主要な政治哲学者は、このテーマを包括的に扱うのに苦闘してきている。
・政治哲学者は関心のほとんどを立法府に集中している。
・残りの僅かな関心エネルギーは、法廷に向かうようである。
・例えば、犯罪と刑罰に関する文献読むと、「裁判官が何を考えているのか」については非常に多くを知ることができる。
・ところが「刑務官が何を考えているか」については、事実上何も知ることができない。
・このような軽視の多くは、行政部門は、他の2つの部門(立法&司法)の従属的な部門に過ぎずないので、理論的にはさして興味深くない、との単純化された認識に基づいている。
・この見解によれば、行政府は、単に権力を行使しているだけであり、その権力行使の正当性の条件は、他の2部門によって完全に条件付けられているとされている。
・以上見解に地違えば、行政府は、“legitimacy(正当性)”や政治的権威の源泉ではなく、単に他の2部門から規範的地位を継承しているだけである、ということになる。
・なので、規範的理論化は、2部門(立法&司法)に関心を持つべきことが意味されることになる。
・私は、行政府が政治的権威における独立した源泉としてある程度であるが機能している様を示すことによって、この見解に意義を唱えるつもりである。

しかし、この考え方を追求する前に、いくつかの制度の詳細を明らかにする必要がある。
・古典的リベラル理論に見られる、理想的な典型的な国家の三権分立の図式は、時として根底にある権力の原理を曖昧にするような形で制度化されている。
・行政府の地位を巡る論争は、政治システムが英語圏内で2つのシステム(イギリス型の「ウェストミンスターモデル」と、アメリカ型の「大統領制」)を採用している国に分かれていることで、損なわれることになっている。
・この2つの制度は、多くの点で相違があるが、どちらの制度は起源はイギリスであり、この結果、正式には“the executive(行政府)”と呼ばれる政府機関は、王権にルーツを持っている。つまり、君主権力の子孫なのである。
・一方、“the legislature(立法府)”は議会の子孫である。
・この両機関のルーツが、王権と議会という異なったものとなっていることで、権力がこの2機関に分割される有様に、いくつかの特殊性をもたらしている。
・最も明白な事実に、行政機関は、基本的に“statutory control(法定管轄下)”から外れた多くの〔慣習的〕特権(例えば、外交処理)を行使している歴然たる事実である。
・これは、英国議会が君主から全ての権力を奪うのに成功しなかった事実の帰結である
・(そして、アメリカでは、1787年に採択された憲法が、当時のイギリスの三権分立を大まかに定着させた事実の帰結である。
・このように、現代アメリカにおける、大統領と下院との間の権力の分割は、18世紀後半のイギリス国王と議会との権力の分割を本質的に再現しているのである。
・対照的に、イギリスのシステムは、19世紀にかなりの進化を遂げている。)

・しかし、最も大きな混乱の原因は、どちらの制度においても、行政府の最高幹部は民主的に選出されていることである。
・まずウェストミンスター制(イギリス、カナダ、ニュージーランド、カリブ海諸国、オーストラリア、南アフリカ、インド、パキンスタンなど、世界中でこの変種が様々に採用されている)について考えてみよう。
ウェストミンスター制度の当初の取り決めでは、公式の国家元首は、君主(または君主の代理人)のままとなっており、全ての法律は、制定化されるには国王の承認を受けねばならない。
・「政府」は(大部分が各省庁のトップである大臣で構成された)内閣がトップを務める。内閣は形式的には国王に奉仕し。行政機関の長は内閣のメンバー(大臣)となっている。
・大臣は(法律上は国会議員である必要はないが)、国会議員であることが条件となっている。
・民間人が大臣に任命されるのは珍しくないが、一度任命されると、通常が下院選挙での当選を目指しすことになる(そうでなければ、内閣に貴族院のメンバーに選出される)のが通例となっている。
・一般的には、首相や大臣といった行政府の上層部は、通常は選挙で選ばれた役員(国会議員)であるというのがポイントになっている。

・このような構造のため、行政府の正当性は、立法府の正当性から継承されていると考えがちである。
・しかし、私が着目しているのは、内閣ではない。公務員の役割である。
・大臣の直下の公務員は、政権交代後もその地位の維持がすることが期待されており、“permanent secretary(事務次官)”と呼ばれる官僚階級がある。
・よって、イギリスでは、各々大臣は“permanent secretary(事務次官)”によって補佐されている。(オーストラリアでは“departmental secretary(部門別書記官)”、ニュージーランドでは“chief executive(チーフ行政官)”、ここカナダでは“deputy minister(副大臣)”あるいは端的に“DM(副大臣)”と呼ばれている)。
・DM(副大臣)は首相によって任命されているが、驚くべきことに、副大臣レベルで行われている部門の人事決定権は全て副大臣によって行われる、技術的には大臣の管轄外にある。(この点では、民間企業のCEOの組織管理に比較して、大臣の自分の部署への管理権限は遙かに小さなものとなっている)。
・常設公務員は、雇用・任命・昇進などの内部的かる自律的なシステムを持つ行政府の中核を構成しており、その権限は、「民主主義国家はどのように機能しているのか?」という私達の概念に最大の課題を投げかけている。
・ジョージ・ワラスは1908年に以下のように観察している。
・「イギリスにおける本当の『第2会議室』、本当の「憲法上のチェック」は、貴族院や君主制ではなく、政治家の意見や要望から独立した制度によって任命され、善行を行ったいる限りはその職に就ている常設の公務員によって提供されている」

・アメリカの制度は、行政府の長である大統領が、国会議員とは別に選出していることから、かなり異なったものとなっている。
・さらに重要なのが、「大臣と省庁」という内閣システムは、19世紀のイノベーションである事実である。
・そして、この内閣システムは、イギリスとアメリカが分岐して以降、イギリスで独自に(ウェストミンスターモデル)として発達した制度なのである。
・よって、アメリカの行政制度は、18世紀イギリスの立憲君主制度の、民主化版に似ている。
・アメリカでは、大統領が任命する行政府のトップメンバーは、立法府からほぼ完全に独立して運営されている。これも19世紀のイギリスにおけるイノベーションであるが、“spoils〔利得〕”システムとしばしば呼ばれているが、あまり寛大なシステムではない。
・アメリカでは行政府のトップ層は、非選出公務員制度の常駐に変わって、政権交代による政治的任命制度がある。時期大統領は、〔政権交代で〕4000人以上を直接任命し、そのうち少なくとも1000人は上院の承認を必要としている。
・上院による承認は、大統領の交代の全体的な影響を評価を困難にしている。
・なお、一般的な試算では、政権交代による、アメリカの行政府の人事の交代は、その総数で約5万人とされている。

・結果、アメリカ政府の組織図では、〔他国より〕行政府の立法府からの分離が進んでいることが示されている、実際には、〔英国のような〕議会制度においては上級レベルの常設公務員が設置されており、この常設公務員は、アメリカよりはるかに大きな権限と裁量権が与えられている。
・一方、行政府の自治権を高めているアメリカの独自の制度は、いくつかの特徴がある。
・第一に、アメリカは、政権の代理である各省庁から、かなり自治独立権を持った機関を作る政治運動の先鞭を切ってきている(これはホワイトハウスによって管理されている)。
・こういった機関のリーダーは、政治的に任命されているが、実際にそのリーダーがどの程度権限を行使できているかは、不明な場合が多い。
・第二に、〔アメリカにおいて〕大統領以外の選出役人〔国会議員〕が、政府の様々な部門で何が起こっているのかを知りたい場合、国会議員は議会の委員会に頻繁に役人を呼び出し、質問するしかない(率直な答えが返ってくるかもしれないし、返ってこないかもしれない)。
また〔立法府の国会議員が〕行政府をコントロールするには、立法に頼らざるをえなくなっている。これは、ウェストミンスターシステムで見られるような大臣と各省庁を繋ぐ権限構造が欠如しているからである。
〔アメリカでは、各省庁のトップは国会議員であると限らない。例えば、現財務長官であるイエレンは、学者出身である。〕
最後に、多数の通常立法案の可決において議会の「グリットロック化」の増加は、上院での事実上の超大多数派的束縛の進化を伴って、行政権力の着実な拡大に繋がってきている。
〔アメリカの国会議員は党議拘束がないため、各議員が比較的自由意思で投票する。下院は自由投票に近い単純な多数決で可決される一方、上院は超党派のコンセンサスによる超大多数派による可決を志向しているため、一般的な法案の可決過程が歪められており、結果的に、立法府のコントロールを受けない行政権力が強くなっていることが指摘されていると思われる〕

このように、行政権力(administrative power)の問題は、英連邦諸国と米国の両方において、行政執行権(executive power)の問題とほぼ照応しているが、どちらのケースでも方程式は単純となっていない。
英連邦諸国と米国の制度には大きな違いがあるため、両者を普遍化した「行政哲学」を構築するのは困難となっている。よって、以下の議論において、主にウェストミンスターの構造に焦点を当て、特定のトピックについてのみ米国に言及しよう。これにはいくつか理由がある。第一に、私はカナダ人なので、ウェストミンスター制度の方が詳しいという単純な事実がある。第二に、非常に物議を醸すだろうが、ウェストミンスター制度のほうが、世界中で広くコピーされている事実である。
第三に、最も物議を醸すだろうが、議会制〔民主主義〕の方が、大統領制よりも規範的に優れていると私は考えているからである。
私が目的としているのは、行政の最良実施(best practice)に焦点を当てることなので、米国の制度は、国家行政の全体的な質が低いため、あまり関心がない。(スティーブン・テレスが論じているように、米国政府は「クルージ民主主義」と表現されるのが最適なものとなっている――〔アメリカの行政制度〕どのような政策問題に対しても想定しうる限り「最も複雑で不透明な回答」を生成する驚くべき能力を持っているのである。【55】

〔以下続く〕

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?